来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「新しい資本主義」って?
岸田首相の「所信表明演説」をしっかり読んだ。いろいろ気になる所があるが、一番の関心事は、第一の「新型コロナ対応」に次いで、第二の政策として強調した「新しい資本主義の実現」という部分だ。
彼は今の国難を乗り越え、心豊かな日本を次の世代に引き継ぐために全身全霊をささげる覚悟だと前置きして、標記のテーマをあげた。
私たちの理解でいえば、資本主義の原理は私有財産制を前提として、自己の利益(もうけ)を追求すること、これによって社会は発展する。その仕組みはまさに神の見えざる手によって人間社会が運営され人々の幸福が増大する、というアダムスミスの思想がベースになっていた。しかし、岸田さんはこの仕組みで進められてきた日本は「国難」に見舞われている。(コロナ禍とかもあるが)。それで国民に提起するテーマは、この資本主義の修正をはかろうということらしい。これを「新しい資本主義の実現」として政策に掲げるというのだ。
この主要な中味は、その演説によれば「成長と分配の好循環」がコンセプトとなる。何度も強調しているのは「分配」だ。分配なくして次の成長なしという。「好循環」が重要だ。「成長も、分配も」実現することだ。この注釈でいろいろ言っている。しかし、言わなければならないことをわかりやすく言えば、資本家は利潤をあげているるが、その利潤を労働者や社会のために十分に支出させる、ということだろう。これまでは儲け過ぎてきた。だからいろいろ格差と分断など、社会的矛盾が増大し「国難」が進んだのだ。だから儲け部分を極力世のため人のために吐き出せ、ということを言えば、誰もが分かる。しかし岸田さんは、この骨子部分をはっきり言わず、コロナとの共生、科学技術、デジタル化、とか回りくどいことを縷々語る。だから何が「新しい資本主義」なのか、はっきりしない。これまで安倍氏、菅氏が言ってきたこととどこが違うのか、分からない。
分からないと言ったが、本音は違わないのだ、と言いたいのでは、と勘ぐりたくなる。「早く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければみんなで進め」。これは岸田さんのために翻訳すれば、特定の人たちだけが幸せになるのではなく、みんなが幸せになるような社会の仕組みを作り直すこと、これを私は強調したいのだ、とでも言えばはっきりするのだが、それは無理な注文か。
彼は今の国難を乗り越え、心豊かな日本を次の世代に引き継ぐために全身全霊をささげる覚悟だと前置きして、標記のテーマをあげた。
私たちの理解でいえば、資本主義の原理は私有財産制を前提として、自己の利益(もうけ)を追求すること、これによって社会は発展する。その仕組みはまさに神の見えざる手によって人間社会が運営され人々の幸福が増大する、というアダムスミスの思想がベースになっていた。しかし、岸田さんはこの仕組みで進められてきた日本は「国難」に見舞われている。(コロナ禍とかもあるが)。それで国民に提起するテーマは、この資本主義の修正をはかろうということらしい。これを「新しい資本主義の実現」として政策に掲げるというのだ。
この主要な中味は、その演説によれば「成長と分配の好循環」がコンセプトとなる。何度も強調しているのは「分配」だ。分配なくして次の成長なしという。「好循環」が重要だ。「成長も、分配も」実現することだ。この注釈でいろいろ言っている。しかし、言わなければならないことをわかりやすく言えば、資本家は利潤をあげているるが、その利潤を労働者や社会のために十分に支出させる、ということだろう。これまでは儲け過ぎてきた。だからいろいろ格差と分断など、社会的矛盾が増大し「国難」が進んだのだ。だから儲け部分を極力世のため人のために吐き出せ、ということを言えば、誰もが分かる。しかし岸田さんは、この骨子部分をはっきり言わず、コロナとの共生、科学技術、デジタル化、とか回りくどいことを縷々語る。だから何が「新しい資本主義」なのか、はっきりしない。これまで安倍氏、菅氏が言ってきたこととどこが違うのか、分からない。
分からないと言ったが、本音は違わないのだ、と言いたいのでは、と勘ぐりたくなる。「早く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければみんなで進め」。これは岸田さんのために翻訳すれば、特定の人たちだけが幸せになるのではなく、みんなが幸せになるような社会の仕組みを作り直すこと、これを私は強調したいのだ、とでも言えばはっきりするのだが、それは無理な注文か。
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