来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「不登校」関連の5つの論点
私が所属している勉強会の一つに「教育人間塾」がある。北教大の元学長だった村山さんが主宰する市民の勉強会で月一のペースでゼミを開いている。日常的にはメールで意見交換する形で相互の研鑽を進めているのだが、不登校問題に関しての一つの投稿があり、私を含めて(今のところ)現場の先生方が意見を出し合っている。この1週間程度であるが、非常に活発に発言があった。今の段階でのまとめ的な意味をもって次のような投稿を行った。単に私たちグループ内議論にとどまらず一般的な意味をもっているのでは、と思い、ここでも報告しようと考えた。
いろいろなご意見が寄せられて非常に勉強になっています。有り難うございます。
このやりとりをとおして「共通のテーマ」を確認できればいいですね。私が最初に「共通のテーマ」を、と言ったのは、不登校問題は、その立場、役割、ポジション、などからいって「何言っているのか分からない」現象を不可避的に産み出しているからです。立場などで言うことが全く異なります。当然なのでしょうが。
私なりに理解するなら、ここでの論点は当面は、次の5点(オーバーラップしますが)に集約できるように思います。
1.「不登校」をどうおさえるか、についてです。これは議論の前提になると思います。私は、12万余の高止まり現象を続ける「不登校」を「教育・学校」(さしあたり高等教育をのぞく公教育)のシステム(制度)の側面からおさえるのが生産的と思います。個々の教師の努力とか家庭教育の問題とか、それはあると思いますが、また言いたいことでもあるでしょうが、水掛け論に近くなるのではないでしょうか。
※ 文科省の統計では「不登校のきっかけ」の最大は「その他本人にかかわる問題43%」です。これは不登校のきっかけそのものを意味していますね。「何となく学校が自分に合っていないよ」と」。
2.「学校」をどうおさえるか、についてです。私などは、全国のフリースクール運動の関係者がいう「ホームスクーリングまで公教育に含めて構想すべき」という意見には同意していませんが、「不登校」の子どもが元気に通っているフリースクールなども「学校」(いわゆる公教育には属していませんが)
に入れるべきと思います。そういう意味で、このテーマは上の制度的側面をもっと検討すべきという主張と重なります。
3.子どもの学びと居場所をどう保障するか、という客観的な論点が3つ目です。またよくいわれる「居場所」の内容も議論したいテーマです。
4.次は、上の3つと関連しますが、「子どもの権利」をどう評価するか、です。私はこのテーマは観念的なものなどでははなく、民主主義そのものにかかわる重要な問題だと思います。
※ 「不登校の子どもの権利宣言」はこちらにありますので参照してください。
http://www.futoko-net.org/news/items/kenrisengen090823.pdf
5.また上のすべてのテーマと関連しますが、家庭教育をどう不登校問題とつなげるか、です。私見では、不登校の要因に家庭教育がある、あるいは子育ての問題点に家庭の責任がある、という意見は、(私も学校教師の一人なので)わからないわけではありません。しかし、不登校の子どもの親たちと意見交換すると、こういう問題の設定は、まさに不毛の議論だということに気づくと思います。まさに水掛け論そのものです。
上の5点、もう少し推敲すれば別のいい方、別のテーマを想定することができるかも知れませんが、いずれにしてもそれぞれについて、もう少し敷衍して論じたいと思います。それほど遠くないうちに…。
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