来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
千姫(徳川家康の孫娘)の人生など …3
昨日、書き漏らしていたので補足。秀頼と死別して次いで本多平八郎(忠刻・ただとき)の妻になった、と記したが、この二人に女の子と男の子が生まれている。男はすぐ死んだが、娘の勝姫はその後池田光政という「名君」の正室となった。そして血筋からいえば、この池田光政と勝姫の子孫が徳川最後の将軍慶喜までつながるという。
だからといって、これは豊臣家の血筋があったというわけではないが、妙な流れだったと言えるかも知れない。
千姫は娘の勝姫が池田家に嫁いだ後は、一人暮らしということになったが、徳川家の血筋を引いていた(二代将軍秀忠の娘)関係もあったからけっこー良い地位にあったようだ。しかし話しを面白くするために、千姫の住む江戸の館を「吉田御殿」といったという(この名称が本当のものか分からない)。
そしてこの館の2階から外を通るイケメンに声をかけてウチに招き入れるようなこともしたという後世の話しができた。
先日記した戦前の浪曲の名人寿々木米若(すずきよねわか)の浪花節の一節を今でも覚えている。
「吉田通れば二階からまねく、しかも鹿の子(かのこ)の振袖で…」というセリフだけだが。間違っているかも知れないが。
このシリーズ3回目は澤田ふじ子作「千姫絵姿」とは無関係です。
また千姫の物語はなんとか大河ドラマにしてもらいたいとの運動もあるのだとか。
だからといって、これは豊臣家の血筋があったというわけではないが、妙な流れだったと言えるかも知れない。
千姫は娘の勝姫が池田家に嫁いだ後は、一人暮らしということになったが、徳川家の血筋を引いていた(二代将軍秀忠の娘)関係もあったからけっこー良い地位にあったようだ。しかし話しを面白くするために、千姫の住む江戸の館を「吉田御殿」といったという(この名称が本当のものか分からない)。
そしてこの館の2階から外を通るイケメンに声をかけてウチに招き入れるようなこともしたという後世の話しができた。
先日記した戦前の浪曲の名人寿々木米若(すずきよねわか)の浪花節の一節を今でも覚えている。
「吉田通れば二階からまねく、しかも鹿の子(かのこ)の振袖で…」というセリフだけだが。間違っているかも知れないが。
このシリーズ3回目は澤田ふじ子作「千姫絵姿」とは無関係です。
また千姫の物語はなんとか大河ドラマにしてもらいたいとの運動もあるのだとか。
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