来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
千姫(徳川家康の孫娘)の人生など(澤田ふじ子「千姫絵姿」から)…2
1615年の「大坂夏の陣」で豊臣家は滅亡。この落城の時に、戦火の中、秀頼の妻だった千姫を、命がけで助けたのは坂崎出羽守だった。この人は、もえさかる城の火の手を見た徳川家康が言った「誰かこの戦火の中、わが孫を助けてくれぬか。もし助けてもらえるのであれば、わが孫を妻としてあげてもいい」との声を真に受けて「よしそれならあのすてきな女性をもらえるのであればこの命なんで惜しんでいられようか」と、文字通り命を賭けた行動によって助けることができたのだ。
ところが戦が終わって一段落したら、千姫は「あの醜男の坂崎という男はいやじゃ」という。そして1616年家康も死んだが、桑名十万石の本多平八郎の妻になった。彼女は20歳、夫は22歳。どちらも初めての異性だったという。
このような動きに頭にきた坂崎出羽守は、婚礼の列に飛び込んで千姫を奪おうとした。そして剣術の親分柳生又右衛門に切られるという悲しい終わりだった。
千姫と本多は他人もうらやむ仲の良さだったという。
ところが戦が終わって一段落したら、千姫は「あの醜男の坂崎という男はいやじゃ」という。そして1616年家康も死んだが、桑名十万石の本多平八郎の妻になった。彼女は20歳、夫は22歳。どちらも初めての異性だったという。
このような動きに頭にきた坂崎出羽守は、婚礼の列に飛び込んで千姫を奪おうとした。そして剣術の親分柳生又右衛門に切られるという悲しい終わりだった。
千姫と本多は他人もうらやむ仲の良さだったという。
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