教育ひとすじ半世紀 ~ わが80年の人生のスケッチ ~(2)

大学への夢
 高校時代の思い出は高2の時生徒会の議長をしたことぐらいか。部活は社会研究部に入っていたかも知れない。しかし「通学」で忙しかった。毎日の通学、窓から蒸気機関車の煙が入ってきた。
 忘れもしない高校3年のお正月だった。入江という先生のお宅に行った。勉強の好きなグループといっしょだった。この先生は早大出でレッドパージの余波で士別に来たというような感じの先生だった(ロシア文学専攻で国語担当)。
 入江先生との話の中で、進学の話が出て、やはり大学に行くことが大事だ、と強調された。私は当時中学卒の時と同じく母のために就職を志していた。今の公務員試験初級を受けるべくかなり一生懸命に勉強していた。たしかこの年(高三)の秋だったのではないだろうか、この受験のために初めて札幌に来た。篠路の伯母の家に泊まった。そして公務員試験に合格。まもなく開発局に就職が決まりかけた。

 しかし私の本当の願いは進学。当時の資料では北大が一番カネがかからない大学だった。そういう意味で第一志望は北大である。第二はない。母はこれにいい顔はしなかったのではないかと記憶している。高校を卒業したら就職だというのが何度も言われていたし、自分も高3の12月末まではそういう「覚悟」だった。先に記したとおりだ。
 
 1月から3月初旬まで「登校拒否」をし、裸電球をたよりに、睡眠時間と食事等併せた8時間を除いて16時間を勉強に充てた。この時期農業の仕事はあまり無かったのも幸いした。
 受験科目を精選。得意科目と不得意科目の得点目標を決めた。平均6割5分の得点があればいいだろう、と傾斜得点で計画をたてた。私の人生の中で、この2ヶ月間の勉強が最も熱心だったのではないか。そして3月初旬の受験。宿舎は札幌市豊平の「覚英寺」だった。貧乏人の宿舎として大学が用意してくれたのではないだろうか。高校の先生がお寺に激励に駆けつけてくれた。
 そして3月の大学の合否の発表は「有線放送」だった。この放送で自分の受験番号を聞いた。飛び上がるほどの感動だった。「このうれしさは多分結婚の喜びよりも大きいのではないだろうか」というような感想を日記に書いたように記憶している。この時士別高校から北大に合格したのは9名だったと思う。
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