来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
教育ひとすじ半世紀 ~ わが80年の人生のスケッチ ~(8)
教育一筋、その心
星槎高校の一翼でありながら、事実上は札幌自由が丘学園の高等部の役割を果たすこと6年、2007年から、構造改革特区制度を活用し、和寒町との連携による通信制高校として独立する取り組みを行うようになった。私の出身地が和寒町であること、閉校した三和小学校が新築まもない校舎であってこの有効活用の道を町の人たちがさぐっていたこと、など好条件がかさなっていたことだ。
和寒町の伊藤町長や田代教育長、町議会議員、三和菊野地区の方がた、実に多くの人たちが一丸となって「札幌自由が丘学園三和高校」の設立のために力をそそいでくれた。そしてついに、福田康夫内閣総理大臣の承認を得た札幌自由が丘学園三和高等学校(広域通信制)の設立を実現することができた。私にとってはまさに夢の実現である。現在の北8条東1丁目の同校札幌学習センターが当面の教育活動の中心である。
そして2009年4月25日、和寒町の本校で開校式を挙行。同町の恵み野ホールで開校祝賀会。100人を超える人たちが参加してくれた。この時、私の小学校から高校までの友人たちがお祝いと激励のために駆けつけてくれたことなど表現のしようもないうれしさを体験できた。
これまで「新しい学校をつくろう」と頑張ってきた「来し方」と、未来への希望と少しの心配などをこめた「行く末」を思いまさに感無量。いろいろな人への感謝など、独り胸に去来する昨今である。
今思えばまさに「教育の道一筋の半世紀」とひそかに誇っている。前半の高校教師の30年間は、学校での仕事の他に私学助成を求める運動。街頭署名とかまた行政への要求のために、何度かの「座り込み」など。
後半20数年間は不登校の子どもや高校中退してやり直したいと願う子どもたちのためのフリースクールと三和高等学校を軌道に乗せるための活動など。
いつも心に浮かぶ言葉がある。フランスの詩人のルイ・アラゴンが大戦中にナチ・ドイツと戦うレジスタンスを激励した詩「フランスの起床ラッパ」の中の2行だ。
「教えるとは共に希望を語ること、
学ぶとは誠実を胸に刻むこと」。
これほど「教育」の意味を端的に言い表したことばが他にあるだろうか。
しかし私自身、若者たちと共に希望を語ってきただろうか、自らの道を誠実という文字で貫いてきただろうか、と反芻する契機になる2行である。
※ 今になって絶えず思い浮かぶのは、和寒の地で私たち3人がお世話になった大瀬家で、援農で働きながらも、いつも叔父家族とともに笑い、助け合って過ごした十七年間。遠くに見る大雪連峰をはじめとする周囲の山々など。そして和寒での友人たちとのふれあいなども、今になって元気で過ごしている、もう鬼籍にいるとの知らせなど、60年以上の年月を超えて胸に響くのです。(おわり)
星槎高校の一翼でありながら、事実上は札幌自由が丘学園の高等部の役割を果たすこと6年、2007年から、構造改革特区制度を活用し、和寒町との連携による通信制高校として独立する取り組みを行うようになった。私の出身地が和寒町であること、閉校した三和小学校が新築まもない校舎であってこの有効活用の道を町の人たちがさぐっていたこと、など好条件がかさなっていたことだ。
和寒町の伊藤町長や田代教育長、町議会議員、三和菊野地区の方がた、実に多くの人たちが一丸となって「札幌自由が丘学園三和高校」の設立のために力をそそいでくれた。そしてついに、福田康夫内閣総理大臣の承認を得た札幌自由が丘学園三和高等学校(広域通信制)の設立を実現することができた。私にとってはまさに夢の実現である。現在の北8条東1丁目の同校札幌学習センターが当面の教育活動の中心である。
そして2009年4月25日、和寒町の本校で開校式を挙行。同町の恵み野ホールで開校祝賀会。100人を超える人たちが参加してくれた。この時、私の小学校から高校までの友人たちがお祝いと激励のために駆けつけてくれたことなど表現のしようもないうれしさを体験できた。
これまで「新しい学校をつくろう」と頑張ってきた「来し方」と、未来への希望と少しの心配などをこめた「行く末」を思いまさに感無量。いろいろな人への感謝など、独り胸に去来する昨今である。
今思えばまさに「教育の道一筋の半世紀」とひそかに誇っている。前半の高校教師の30年間は、学校での仕事の他に私学助成を求める運動。街頭署名とかまた行政への要求のために、何度かの「座り込み」など。
後半20数年間は不登校の子どもや高校中退してやり直したいと願う子どもたちのためのフリースクールと三和高等学校を軌道に乗せるための活動など。
いつも心に浮かぶ言葉がある。フランスの詩人のルイ・アラゴンが大戦中にナチ・ドイツと戦うレジスタンスを激励した詩「フランスの起床ラッパ」の中の2行だ。
「教えるとは共に希望を語ること、
学ぶとは誠実を胸に刻むこと」。
これほど「教育」の意味を端的に言い表したことばが他にあるだろうか。
しかし私自身、若者たちと共に希望を語ってきただろうか、自らの道を誠実という文字で貫いてきただろうか、と反芻する契機になる2行である。
※ 今になって絶えず思い浮かぶのは、和寒の地で私たち3人がお世話になった大瀬家で、援農で働きながらも、いつも叔父家族とともに笑い、助け合って過ごした十七年間。遠くに見る大雪連峰をはじめとする周囲の山々など。そして和寒での友人たちとのふれあいなども、今になって元気で過ごしている、もう鬼籍にいるとの知らせなど、60年以上の年月を超えて胸に響くのです。(おわり)
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