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日記 … Kametarou Blog
日本初の産科女医さん
吉村昭という作家が書いたものに「日本医家伝」がある。前野良沢など歴史に登場する医師たちの伝記であるが、そのうちのひとりに「楠本いね」という作品がある。
文政6年(1823)に長崎にやってきたオランダの船に、希望した日本に赴任したドイツ人の青年医師シーボルトがいた。彼が長崎にいた数年間、厳しい鎖国の制限はあったが、日本の若い医師希望者をたくさん育てた。江戸時代後期に大きな意義をもっていた洋学はシーボルトによるところが多かった。
若いシーボルトのために「派遣」された日本人女性に「お滝」という美しい遊女がいた。家庭の都合で「引田屋」という遊女屋に売られた女性だった。最初「毛唐」に抱かれることをいやがっていたお滝も、そのうちシーボルトと相思相愛の関係になる。そして女の子が生まれた。
いわゆるシーボルト事件を引き起こし日本を追放されたとき(文政12年(1829))、娘いねはまだ2歳8か月だった。
この「いね」が楠本いねという日本初の産科女医さんだった。ハーフのいねは美人だったが、若いときから差別と好奇心の目にさらされた。しかし、母親ゆずりの気丈ないねは不屈の努力によって医学をきわめていった。安政6年(1859)、長崎にイギリス商船が入港した。そのときに64歳のシーボルトと、お滝といねは再会することができたという(ふたりとも別に結婚しその妻や夫はすでに死んでいた)。
いねは明治3年(1870)に東京で産科医院を開き洋方女医として名をたかめた。そして明治36年波乱の生涯を終えた。享年77歳だったという。
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