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日記 … Kametarou Blog
松浦武四郎
わが故郷の「蝦夷地」を「北海道」と名づけたのは江戸後期の探検家の松浦武四郎ということは、教科書的常識である。
しかし、松浦は「北加伊道」「海北道」その他を提案したが、北海道という案は出していない。明治政府は、「北加伊道」という地名候補を、「東海道」その他律令制にあった地域分けを準用する形で「北海道」にした。
松浦武四郎が「北加伊道」にしたいと言った「加伊(カイ)」は、アイヌ語で自分たちの国という意味だったという。
松浦は、蝦夷地の先住者たちのアイヌ人たちの苦しみの歴史に思いをはせ、彼らを収奪する和人たちへの抗議の気持ちを強く持っていた。北加伊道はそういう歴史への贖罪の意味もあったのではないだろうか。
明治政府の中で、北海道開拓の重責を担うべき立場を持っていたが、彼はこれを捨てた。自分の人生の中で最大のテーマがエゾ地とのかかわりであったのに、である。それは明治政府がすすめた北の大地の開拓政策が先住民族を排除していこうということに対する抗議・反発だった。
これらは、花崎皋平氏「静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族」を参照している。
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