新しい年への期待として(各紙の社説など)

内外ともに「歴史の転機」が言われる2017年がスタートした。この転機をどう評価しこれに日本も世界もそして各個人もどう対処したらいいか、を各新聞の社説でチョックしてみた。
 
まず各紙の見出し。
元旦の部。
「あすへの指針」として「分断を修復する努力を」…道新。
「歴史の転機・日本の進路は 『世界とつながってこそ』」…毎日。

3日の部。
「あすへの指針」として「市場万能論からの脱却を」…道新。
「歴史の転機・トランプ政権と世界 『米国の力 平和に生かせ」…毎日。
「資本主義の未来 不信をぬぐうためには」…朝日
「日本経済再生 企業の『稼ぐ力』を取り戻そう。国民の将来不安は払拭したい」…読売
 
見出しだけでそれぞれの新聞の立ち位置が想像できる。道新と読売は対照的。

毎日は、トランプアメリカは強国の力を平和のために生かすべき、国際協調を忘れるな、という。また、元旦の論説では国際協調の放棄や排外的ナショナリズムはヨーロッパの極右勢力を勢いづかせていると説く。グローバル化の先端のアメリカやイギリスが逆回転を始めた。この先に何があるか。世界とのつながりを求めよう、という。日本がグローバリズムに対してどう対処するか、はこの先のテーマだ、というのだろうか。
 
朝日はタイトルの「資本主義の未来」から推測できるように、ヒト・モノ・カネの国境を越える往来を広げてきた資本主義の前途に不安と疑問が大きくなっている現在、その未来の姿が問われているという。朝日は、グローバル化に背を向けるのは現実的ではない、という。しかし市場任せでは解決できない、世界的な格差解消も問題。いろいろな分野での新しい展開(例えば人工知能)などで新しい成長ヤ豊かさをもたらすかも知れない。しかし資本主義の「影」も繰り返しあらわれるだろう。そして現実社会の中で、資本主義そのもののなかで、単なる利益追求を超えた可能性を見る指摘もある、と資本主義の直接の担い手が「論語とソロバン」を(社会貢献と営利)を言い出す人がおり、よりよいシステムを探る努力が今こそ必要だ、と結論づける。
 
道新の3日づけの社説、「市場万能論からの脱却を」は示唆に富むものだと思う。
「グローバリズム」の背景となった新自由主義は富の偏在と格差拡大をもたらした。人の痛みや弱さに鈍感になってしまった。この行き着く先は社会の分断。事業家たちが市場ではなく、人と向き合い、世の中のためになる事業を考えるべきではないか、と提案する。この例をあげている。
 
総じてそれぞれの立場からではあるが、問題点は一定指摘するのだが、日本の政治がどうあるべきかの主張ははっきりしない。

ヨーロッパでも(アメリカでも)、例えば「移民」「難民」の問題で苦しんでいる。この問題解決の道ちしてナショナリズム的(「極右」という語もあるが)、人ごとではない。
ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動くグローバリズムは、ある国々の主権を無視し、またその国民の利益や権利を侵略していく。この端的な危惧がTPPだ。アメリカトランプはこれを拒否しようとしている。一方で日本は、TPP反対ではぶれないなどと言っていた自民党がアメリカの尻をたたいてこれを促進しようとしている。
 
私はグローバリズムは一定制限すべきと思っている。また反対のナショナリズムも時代の流れに合わない。この両面のバランス、これを政治的に明確にする言動が欲しいと思う。各紙もこれと似たことを言っているように思うのだが…?
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