葬儀でお坊さんの読むお経など

葬儀に参加する機会が増えてきた感がする。(こんな書き出しもこれまで何度か書いてきた感がする)。
長年いろいろ支援をいただいた知人の奥さんが亡くなった。たくさんの参列者があった。

お坊さんの読むお経、もう少し何とかならないのか、といつも思う。たしかに1時間前後のお通夜(葬儀の時もほぼ同じだろうが)をどういう内容で進めるかということから、やはりその半分近い時間はお坊さん主宰の流れでなければならないだろうから、これを「読経」で費やすことが最も無難(反感をよぶ文章かも知れない)だろうが、もし特に参列者に聞いてもらうような話がないというなら、長年死者を弔ってきたプロの僧侶なら、(仏教であれば)ブッダのお話したことのあれこれの一端を説明するということだっていいのではないか、と思う。

お経もブッダの説教だ、と言われてもあの声と節回しからブッダの格調高い説教の一端など理解できるわけがない。

仏教以外の宗教の葬儀では司祭者はどういう内容である種の時間を使うのだろう。かつてキリスト教の葬儀で、何人かが死者の生前の功績などを語るなどがあった。そういうこともあってしかるべきだと思う。
そんなことをいつも思う。
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