集団いじめと教育現場

4月26日、仙台市の中学校で2年の男子生徒が飛び降り自殺した。この理由は集団によるいじめだったという。
昨年6月と11月に学校は全校アンケートをしていた。そして自殺した子どもはいじめといっていい友だち関係にあったことを担任は知っていたと報道されている(「毎日新聞」)。

いつもこういう悲惨なできごとに触れるとき、「学校側」(担任が主たる責任者であるが)のあいまいな、あるいは責任逃れといっていいような対応の発言である。今回も、トラブルの関係者双方からアンケートの結果について事情を聞いたが、その双方に問題があると理解して双方を指導したとのこと。

いじめに対応する原則的な態度は「いじめ問題は双方に問題がある」という態度は絶対にダメ。この原則的な態度があいまいで双方に問題があるというような対応策をとれば、結局は加害者側を免罪することになることを銘記すべきだ。
上の仙台市も問題はまさに全く初歩的なミスをしていたとしかいえない。

ただ今の中学校は教師たちの負担(仕事全般・授業を含めて教育活動全体にかかわる負担)が「過労死」においやるような業務になっていると数日前に報道されていた。そういう物理的な事情を考えに入れないで教師の対応不足を攻撃することはやはり一面的な問題指摘だろう。
子どもの悲惨なできごとが教育現場におこったとき、上の事情を含めて総括していかなければなるまい。しかしこういう問題の指摘はこれまで枚挙にいとまのないほどあったにもかかわらず事件は起こることがなんとも悲しいことか。
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