「中国建国の残火」

このタイトルは、遠藤誉という人の書いた「卡子(チヤーズ) 」という書のサブタイトル。卡子(チヤーズ) というのは「軍」の関所という意味という。

この370ページの小説を3日かけて読んだ。文字通り、大戦後から1949年に今の中国(中華人民共和国)が成立し、この新中国がその後進めてきた革命の事業は戦死者と餓死者の遺体が山のようにつまれ、そこから汚らわしいものとして扱われている命の残火が、鎮魂を迫っているように作者には思われた。この卡子(チヤーズ) 経験者は誰もが黙して語らずにこの世を去って行く。だから墓標を立てなければならない、作者はそのために生き残ったのだという。

日本は、中国大陸の北の方を占領して「満州国」をつくった。そこに清朝系の元貴族を皇帝とし事実上日本の支配下においた。いわゆる「満州事変」という日中戦争の歴史だった。

終戦直後、ソ連軍が「新京」(満州国の首都・長春市)に進駐してきた。もとの名の長春に戻っていたが。ソ連軍は人びとの期待を裏切ってあらゆる略奪・強姦で人びとを震え上がらせ、すべての産業技術を破壊した。それ以後、中国の共産党の軍隊「八路軍」が来た。そして八路軍もまた日本人を敵視し、長春から追い出した。一家は、絶望都市長春をあとにした。吉林へ、そして朝鮮との国境に近い延吉へとさまよい歩いた。この町で日本人医師に会うこともできた。そしてこの町で2人の姉と妹は小規模ながら学校に通うことができた。私は意識を失ったまま延々と眠り続けていたらしい。

学校でも地域でも徹底した意識改革(毛沢東思想につながる思想)が行われた。いささかでも上層の人たちの思想に悖る回答などをしたら洗脳のための攻撃があった。
日本人学校には3枚の肖像画がかけてあった。スターリン、毛沢東、徳田球一。

1950年6月25日、朝鮮戦争勃発。この年の12月8日、新たな旅立ち。天津へ。

日本人への攻撃。「日本の鬼め!」「日本の犬畜生!」。そして日本帝国主義、中国侵略、三光作戦、南京大虐殺、抗日戦争、などをキーワードとして学校教育。
10歳の女の子が、あの侵略戦争の全責任を負わされた、

学校では成績順位が常に公表された。初めての試験。先生が「今回、クラスで一位になったのは…」、シーンとした。「女子」。クラスがざわついた。先生が続いて「しかも驚くべきことに…。彼女は中国人ではない」。
「彼女の名前は保俊秀です」。これは私の中国名だ。

先生は「保俊秀は日本人だ。にも関わらずずば抜けて素晴らしい成績を修めてきた。ついては彼女を少年先鋒隊隊員として推薦したい。何か意見は?」と。

「彼女は日本侵略者と同じ民族です。そんな人に毛沢東思想を受け継ぐ資格があるのですか!」と。かつて父親が日本軍に殺された男の子が発言した。
先生は「バカをいうものではない。彼女はたしかに日本人だ。しかし彼女がいつ侵略戦争に加わったというのだ。8.15のとき彼女はわずか4歳だったのだ」。
私は、生きていてよかった。どれほどこの言葉を渇望していたことか。

1953年9月7日、私は日本へ向かう船の甲板に立っていた。
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