来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「仰げば尊し わが師の恩」
先日紹介したこの歌のタイトルの語句を時どき思う。文字どおり私自身のこれまでの体験は元をさぐれば、自分自身の「先生」との出会いが重要な契機であったからだ。
小学校時代、田舎の小学校だったが、戦争遺児だった私に対して、たしか子どもたちへの冬靴のプレゼントがあったのだと思うがこの時先生が特別に配慮して私に贈ってくれた。
中学校時代、義務教育を終えて私は母の助けにならねばと思い、和寒の小さな工場に勤めることになった。当時中卒で社会人になるのはごく普通だった。しかしその時の会社の社長が「お前は高校に行った方がいいのではないか」と言ってくれたり、またその時の就職を紹介してくれた先生も「士別高校に出願の書類を出しておいたぞ」といってくれたり。そんなことで1週間も勤めないで進路は「進学」に替わった。当時の進学がそんなに容易だったか、詳しい事情の記憶はない。
そして、今とちがって駅から一里(約4キロ)の道を歩いて汽車に乗り、3年間ほとんど精勤で通学した。
(小中高と皆勤ではなかったが、精勤だったことはわれながら大したものだと内心感心しているのだが)。
そして高校卒業後は、就職だということで働き場もあまりない地域だったから、公務員試験をめざすことにした。高3の後半は公務員試験初級(?)を目指して勉強した。受検のために初めて札幌に来たのだが、幸いこれに合格し、道南のある町の役場に決まりかけた。
しかしこの高校3年のお正月に、友だちと国語の先生宅を訪問した。この先生は早大出で、レッドパージもあって士別に来て勤めていたのだそうだが、この先生から「できれば大学に行った方がいい」と強く勧められた。高卒後働くことは一応確保しておくが、イチカパチか進学のために全力投球してみようと決意。「登校拒否」して、2か月間今とはくらべものにならない暗い電球のもとで1日14時間以上は参考書相手に勉強した。3月初めにあった入試のために札幌市の豊平にあるお寺に泊まった。たしか覚英寺といったか。
大学合格を有線放送で聞いて、文字どおり飛び上がる悦びを体験した。
大学時代も「いい先生」に巡り会った。教職の道を決めたのも大学の寮(北大恵迪寮)で聞いた教育学部の先生の講演がきっかけだった。
そんなことで、今もしみじめ「自分はいい先生に巡り会うことができた。これも戦死したオヤジのおかげかも知れない」などと思うことがしばしばあった。
だからそういう数々の積み上げで「仰げば尊し我が師の恩」は単に歌の文句だけではないと痛感している。逆の自分は教え子たちにとって「仰げば尊し、我が師の恩」と感謝されるような教師だったか、それは自信はないが。
小学校時代、田舎の小学校だったが、戦争遺児だった私に対して、たしか子どもたちへの冬靴のプレゼントがあったのだと思うがこの時先生が特別に配慮して私に贈ってくれた。
中学校時代、義務教育を終えて私は母の助けにならねばと思い、和寒の小さな工場に勤めることになった。当時中卒で社会人になるのはごく普通だった。しかしその時の会社の社長が「お前は高校に行った方がいいのではないか」と言ってくれたり、またその時の就職を紹介してくれた先生も「士別高校に出願の書類を出しておいたぞ」といってくれたり。そんなことで1週間も勤めないで進路は「進学」に替わった。当時の進学がそんなに容易だったか、詳しい事情の記憶はない。
そして、今とちがって駅から一里(約4キロ)の道を歩いて汽車に乗り、3年間ほとんど精勤で通学した。
(小中高と皆勤ではなかったが、精勤だったことはわれながら大したものだと内心感心しているのだが)。
そして高校卒業後は、就職だということで働き場もあまりない地域だったから、公務員試験をめざすことにした。高3の後半は公務員試験初級(?)を目指して勉強した。受検のために初めて札幌に来たのだが、幸いこれに合格し、道南のある町の役場に決まりかけた。
しかしこの高校3年のお正月に、友だちと国語の先生宅を訪問した。この先生は早大出で、レッドパージもあって士別に来て勤めていたのだそうだが、この先生から「できれば大学に行った方がいい」と強く勧められた。高卒後働くことは一応確保しておくが、イチカパチか進学のために全力投球してみようと決意。「登校拒否」して、2か月間今とはくらべものにならない暗い電球のもとで1日14時間以上は参考書相手に勉強した。3月初めにあった入試のために札幌市の豊平にあるお寺に泊まった。たしか覚英寺といったか。
大学合格を有線放送で聞いて、文字どおり飛び上がる悦びを体験した。
大学時代も「いい先生」に巡り会った。教職の道を決めたのも大学の寮(北大恵迪寮)で聞いた教育学部の先生の講演がきっかけだった。
そんなことで、今もしみじめ「自分はいい先生に巡り会うことができた。これも戦死したオヤジのおかげかも知れない」などと思うことがしばしばあった。
だからそういう数々の積み上げで「仰げば尊し我が師の恩」は単に歌の文句だけではないと痛感している。逆の自分は教え子たちにとって「仰げば尊し、我が師の恩」と感謝されるような教師だったか、それは自信はないが。
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