「山宣ひとり孤塁を守る」の山本宣治という戦前の代議士

今日(240305)の道新「卓上四季」を読んで思い出した。戦前殺された代議士・山本宣治という人を。このコラム記事を参照しよう。

自由な言論が封じられ、戦争への道を突き進んだ昭和初期。息苦しさが増す時代、いつも弱い者の立場で光をともし続けた政治家がいた。山本宣治(せんじ)。愛称の山宣(やません)の方が通るかもしれない。
花を植えて世を美しく、と夢見た少年はやがて生活難や多産で苦しむ女性の権利を守る運動に関わる。産児制限(受胎調節)や家族計画など。
頼まれればどこへでも講演に向かう気さくな人柄。労働運動や小作争議でも頼りにされ、政治の場へ。1928年(昭和3年)の第1回普通選挙で労働農民党から立候補し当選する。官憲の弾圧や妨害にも負けず、軍事費増大を批判し戦争反対を訴えた。1929年3月5日、運命の日がやってくる。治安維持法の最高刑を死刑へと引き上げることに反対を表明した山宣は右翼の男に刺殺された。享年39歳。
デモクラシーは形骸化への道をたどった。
95年後の今、過去の話と言い切れようか。
命日のきのう、最後の演説の一節を思い浮かべた。「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋(さび)しくない。背後には大衆が支持してゐるから」。

先日(2月20日)「映画・風よあらしよ」について書いたが、この中で「関東大震災」(1923.9.1)の時に、映画の主人公が殺されたことについて触れた。上の山宣もその数年後の3月5日に殺されている。
まさに「孤塁を守っていたが故に殺された」のだ。忘れることができない出来事でもある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「株価が高騰... 明治以降、兇... »