戦艦大和

60数年前、軍国少年だった私は戦艦大和はまさにユメの軍艦だった。神国日本の象徴というべきものだった。今のような情報がなかったにしても、イメージは無敵艦船であり不沈戦艦だった。

昨日の開戦記念の日、NHKテレビがこの軍艦について報じた。この7万トンクラスの超とつく軍艦は当時の、そして今でも多くの日本人の心にある。3,332人の乗組員とともに、敗戦の年の4月7日、鹿児島と沖縄の間の海で、アメリカの飛行機の攻撃を受けて、沈没した。生き残った人は270余名であったという。
この中の何人かが、インタビューに応じていた。16歳で大和に乗り、今84歳のもと帝国海軍兵士がいう。生き残って「うしろめたい」思いをずっと持ち続けてきたと。また兄弟2人で大和に乗っていたが兄が死んでよかったという。もし二人とも助かっていたら、顔向けできないからだという。

大和は青春そのものだったと言っていたが、戦争はイヤだとも。

この巨大な「不沈軍艦」は、1945年の段階では、巨砲は有効性をもちあわせず、押し寄せる軍用機の前でもはや敵ではなかった。なぜ死ぬのか、何のために死ぬのか、その理由をさぐりながら3,300人以上の若い兵士が今も海底に眠る。

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