かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

他人の空似

2019-02-07 07:14:55 | ブログ記事
叔母のことを続けて書く。

叔母(母の妹)は、以前も書いたが、私を自分の娘のようにかわいがった。

叔母には一人子の従弟がいるのみで、娘がいなかったという事情もあったが、
私が叔母に似ていたということもあったらしい。

そのことは、叔母自身も言っていたが、他人にも言われた。

よく人は、直接の親より斜めの関係の伯父(叔父)、伯母(叔母)に似るとか言われる。

叔母と私の関係も、そうであったようである。

まあ、それは血のつながりがあるから、有り得ることであるが、

面白いのは、私の夫と叔母の連れ合いであった義叔父さんがよく似ていたことである。

そっくりと言っていいくらい似ていた。

義叔父さんの息子である私の従弟より、私の夫のほうが義叔父さんに似ていたくらいだった。

高知で医師をしていた従弟の奥さんのお父さんは、偶然、叔母の小学校時代の同級生であったが、
その方が最初に私の夫に会ったとき、母が私の夫を紹介しようとすると、

「わかっちゅう、わかっちゅう、〇〇さんの息子さんやろう」と言ったそう。

〇〇とは義叔父さんの姓である。

「わかっちゅう」というのは土佐の方言で、「わかっている」という意味だ。

そのくらい義叔父さんと私の夫は、よく似ていたのである。

義叔父さんの家は美形統で、姪子さん達も、みな美人であるが、

この義叔父さんも、なかなかの美男であった。

それで叔母は、私の父の従弟にも求婚されたが、親の反対を押し切って義叔父さんと結婚した。

父の従弟は一流大学を出て、大企業の重役にまでなった人だったから、
義叔父さんよりずっと条件がよかったのに、叔母は義叔父さんを選んだのだった。

ついでに言えば、上に書いた、叔母の小学校時代に同級生だった従弟の奥さんのお父さんも
私の叔母は憧れの人だったそう。

叔母は、美人だった私の母と比べると器量は劣ったが、学校の勉強が飛びぬけてよくできて、
それはそれで人気があったようだ。

そこは私と似ていないが、しかし、叔母は常々、私のことを自分に似ていると言っていた。

叔母が亡くなったときに来てくれた叔母の友人達にも、
「叔母さんは、いつもあなたのことを話していました」と言われたから、
叔母は、私のことを本当の娘のように思っていてくれたのだろう。

そんなわけで、私が叔母に似ているのはともかく、
私の夫は、叔母の連れ合いだった義叔父さんにそっくりだったから、
夫婦して、似たもの同士だったということになる。

他人の空似も、ここまでくると、なんだかおかしい。

*

★わたくしによく似た叔母の連れ合ひはわたしの夫によく似てゐたり

★叔父叔母は恋愛なれど見合ひして結婚したるわれわれと似る

★叔母姪が似るのは不思議なけれども義叔父(おじ)と夫が似てゐる不思議

*

母の妹であった叔母は62歳で、母の弟であった叔父は49歳で亡くなったことを考えれば、
私の母が92歳の長寿だったことは、私にとって幸運なことであったかもしれない。

胃が痛いけれど、胃がん?・・・夫婦のかたち

2019-02-07 01:58:29 | ブログ記事

夫が急に帰ってきてもいいように、豚しゃぶの材料を買い置きしてあったのですが、
夫は先週の月曜日に大阪に還ったまま、こちらに帰ってこないので、
昨夜は、そろそろ食べないととも思って、一人鍋をしました。

私も栄養をつけなければと、昨日は、いっぱい食べました。

そのせいか、昨日の夜から胃がしくしく痛みます。

一時的なものだったらいいのですが、私は大腸がんもしていますから、胃がんの心配もします。

いえ、いつも死にたい死にたいと言っていますから、死ぬのはかまわないのですが、
前に大腸がんを患ったときは、腸閉塞を起こして、それは苦しみました。

死ぬのは全然かまわないのですが、苦しむのは嫌です。

母の妹であった叔母は胃癌で亡くなりましたが、気づいたときはもう手遅れで、
それでもわずか半年の間に2度も手術を受けて頑張ったけれど、助かりませんでした。

当時の叔母は62歳、従弟に初めての子ができて間もなくでした。

初孫の顔は見られたけれど、叔母は、もう少し生きたかったのではなかったかと思いました。

義叔父さんは、叔母が亡くなってから30年ほど生きて昨年亡くなりました。

義叔父さんと叔母は、よく小さなケンカする夫婦でした。

義叔父さんは、叔母が亡くなってからは、俳句を作ったり、短歌を作ったりしていましたが、
ほとんど叔母を偲ぶものでした。

義叔父さんと叔母は恋愛結婚でしたが、
義叔父さんの短歌には叔母が女学生だったころの思い出を詠ったものもありました。

そのころから叔母に好意を寄せてくれていたのでしょう。

それら短歌を読ませてもらって、義叔父さんはこんなに叔母のことを愛してくれていたのだと
感動すらしました。

叔母は料理が上手でしたし、全身全霊で家族に尽くす人でした。

だから、生きていた頃は、小さな喧嘩をする義叔父、叔母夫婦でしたが、
叔母が亡くなってからも、義叔父さんは、叔母のことが忘れられなかったのでしょう。

義叔父さんの家は天理教でしたから、仏式ではありませんでしたが、
叔母の年祭は、そのたびに手厚く執り行っていました。

祖父母が結婚に反対したのは、この義叔父さんの家が天理教ということが大きかったですが、
しかし、若いころに肺結核に侵された叔母が62歳まで生きられたのは、
あるいは天理教のおかげだったかもしれません。

ところで、

2010年に亡くなった歌人の河野裕子さんも、
生きていられるときは夫君の永田和宏氏と喧嘩もよくされたようでしたが、
亡くなられると、永田和宏氏は奥さんを懐かしむ歌ばかり作られています。

そういう人たちを拝見していると、
夫婦仲と言うのは、はた目にはわからないものだと思います。

昨年亡くなられた樹木希林さんご夫妻もそうでしたかしら?

*

★棺桶の蓋を覆ひて定まるや夫婦の仲のまことの姿

★喧嘩してゐし夫婦でも本当のことは他人にわからぬもので

★遠慮なく言へる夫婦になるゆゑに喧嘩も多くなるのが夫婦

★本心を言はねば喧嘩起こらぬと思へば喧嘩するは仲良し

★喧嘩して互(かた)みに譲らぬゆゑ起こる冷戦これも夫婦のかたち


*

それにしても夫はどうしたのでしょう。郵便物もいっぱい溜まっているのに。