かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

昨年の今日は母の納骨式だった

2019-02-27 19:21:22 | ブログ記事
と、Gooブログが知らせてきてくれた。

本当は、昨年の2月25日の母の四十九日に皆で納骨もする予定だったが、
その日は午後雨になる予報だったので、延期したのだった。

で、納骨に参列したのは、私と兄嫁と父方の従姉の三人だけだった。

華やかなことの好きだった母にしては寂しい納骨だった。

これも、跡取りの兄が母より先に亡くなったのが、その原因だ。

せめて私が生きて納骨に参列できたことが、母への供養になった。

私は、幼いころから何度も死にかけて、母には苦労をかけた。

55歳で心臓弁膜症の手術を受けたあとは、
母は、仕事を人に頼んで、手術後、半月の間、入院中の私の傍に付きっきりでいてくれた。

あのときの母の年齢は78歳だった。

母は、その半年後に脳梗塞で倒れたから、
今度は、心臓手術後、半年の私が母に付き添った。

私も、もう少しで死ぬところだったが、母も、そうだった。

母は、その後、14年生きた。

脳梗塞の後遺症を持った身体での14年は辛い年月だったと思う。

しっかり者の母は、おくびにも見せなかったが・・・。

私は、母のようには頑張れないから、倒れたら即死したい。

*

★納骨は坊さん以外三人で寂しき母の野辺の送りよ

★みどりごのころより何度も死にかけて死なざりし吾(あ)が野辺の送りを

★いくたびも死にかけしわが幼な日の寝返りのたび目覚めしとふ母

★わが横で死にし亡母に気づかずに熟睡してゐし昨年睦月

★納骨は二か月後なり三か月かけてはならぬといふ法ありて

★葬式も四十九日も納骨も一年過ぎて遠くなる母


え、自転車のパンクを直してきてほしい?

2019-02-27 12:40:46 | ブログ記事
今までも何度か書いてきたが、
我が家のお向かいの家主さんは鳥取在住であられる。

以前は時々川西に帰ってこられたが、ご主人が80歳になられてからは、
川西まで帰ってくるのがしんどいのと、会社が儲かっていないから、お金もないと
帰ってこられなくなった。

その代わり、同じ阪急沿線に嫁がれている娘さん(といっても50歳くらい)が
週に一度、泊りがけで帰ってこられる。

帰ってこられても、家に閉じこもりで、食事も何か買ってきて食べられているようだ。

今日、夫がお昼ごはんを食べているときに来られたので、夫を呼ぶと、
「自転車がパンクしたから直してきてほしい」と。

夫は「いいよ」と。

え、夫は、私の自転車がパンクしても、「自分で直してこい」って言うのに?

確かに向かいの鳥取にお住まいのご両親には、「娘のことを頼みます」とは頼まれている。

しかし、70歳を超えた私も、自転車の修理くらいは自分で自転車屋さんまで押していく。

なぜ、まだ50歳くらいなのに、自分で行かないかと思うのは、間違っているのだろうか。

冬は、石油ストーブの灯油を夫が車で買ってきてやっている。

最近は人手不足なのか、灯油の配達をしてくれないのだそう。

私は、なぜお向かいの娘さんのご主人がしないのかと思うけれども・・・。

ちなみに我が家は灯油を買いに行く手間を省くため、家中ガスファンヒーターである。

それから、これは、お向かいの娘さんは知らないことだろうけれど、

昨年の秋は、
お向かいの裏の家のお爺さんに、
「お向かいの庭に植えてある木の落ち葉がひどいからなんとかしてくれ」と言われて、
夫ははしごで上がって、枝を伐ってあげただけでなく、
大量の落ち葉を三つの大判のゴミ袋に入れて始末してあげた。

そのゴミをゴミの日に出したのは私だ。

夫に、「そのくらいはしてやれ」と言われて・・・。

まあ、お向かいさんが90歳くらいのお婆さんなら、私も喜んでさせていただくが、
なぜ、私よりずっと若い人のゴミを70歳を超えた私が出さなければならないのだろう。

こんなことを思ってしまう私はケチなのだろうか?

喜んでしてあげる夫は親切な人なのだろうか?

私は、なにかうまく利用されているような気がしてならないが・・・。

*

★おつちやんと甘えた声で頼み来る女の頼みは断らぬ夫

★妻よりも他所の女が大事かと思(も)ひつつ文句言はねば苦し

★心臓の悪きわたしの通院に車で送りてくれしことなし

★タクシーで行けと宣ふわが夫(つま)は他所の人には灯油を運ぶ

★大腸癌手術後退院するときもテニスがあると病院に来ず

★お向かいの自殺未遂をせし人は心配だからと優しき夫

★鬱勝ちのわたしのことはと聞きたれば全く心配あらぬと夫は

★心配は赤の他人のことばかりわたしが死にても心配せぬや

★今日もまた夜は要らぬと出かけたり歌のレッスン受けむがために

★ブログには書くなと言はれて書かざれば家居のわれは鬱になるのみ


*

お向かいの娘さんも、今は、まだ50歳で若い部類に入るかもしれませんが、
10年、20年なんて、すぐです。

そのときも、まだ現在のように、誰彼が甘えさせてくれると思っていても、
そうはいかないと思います。

そのころになれば、現在の私の悔しさが、少しはわかるかもしれませんね。

そして、自分が厚かましかったと少しは反省する?

しないかもですね。

今でも想像力があれば、私の気持ちはわかると思うから。

年取って夫婦そろっていることは理想ですが

2019-02-27 11:45:04 | ブログ記事
食事の支度等、負担を感じるのは妻のほうになりますか。

夫も夫なりに協力しても、食事の支度は朝、昼、晩ですから、
妻は、夫がいる限り、自由にはなれません。

私の夫も私に、「どんどん出ていけばいい」とは言ってくれますが、
しかし、実際問題、夫がいれば、食事の用意をしないといけないから、身体は拘束されます。

夫は、お誘いがあれば、時間にかかわらず、いつでも出かけられます。

食事というのは、楽しみでもあるのですが、生きていく上で足かせになりますね。

そういうことからも、その食事を担う女性は、旅行すると、二重、三重に羽を伸ばせます。

違う場所に行けるという歓びとともに、
食事の支度から解放される歓びがあるわけです。

できたら、残生は、お金の続く限り旅行していたいと思う私です。

私の場合は、趣味の短歌も、旅行すれば、巧拙はともかくとして、どんどん湧きます。

むかし松尾芭蕉などは、
「旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」と吟じて亡くなりましたが、

旅は、主婦の食事作りの解放からの願望であるだけでなく、

人間一般の究極の願望なのでしょうね。

*

★自由とは旅に出ること自由とは食事の支度からの解放

★食べるのは楽しみなれど作るのはしばしば苦行義務であるゆゑ

★食べさせてもらふと食べる支度することには天と地ほどの違ひ