と、Gooブログが知らせてきてくれた。
本当は、昨年の2月25日の母の四十九日に皆で納骨もする予定だったが、
その日は午後雨になる予報だったので、延期したのだった。
で、納骨に参列したのは、私と兄嫁と父方の従姉の三人だけだった。
華やかなことの好きだった母にしては寂しい納骨だった。
これも、跡取りの兄が母より先に亡くなったのが、その原因だ。
せめて私が生きて納骨に参列できたことが、母への供養になった。
私は、幼いころから何度も死にかけて、母には苦労をかけた。
55歳で心臓弁膜症の手術を受けたあとは、
母は、仕事を人に頼んで、手術後、半月の間、入院中の私の傍に付きっきりでいてくれた。
あのときの母の年齢は78歳だった。
母は、その半年後に脳梗塞で倒れたから、
今度は、心臓手術後、半年の私が母に付き添った。
私も、もう少しで死ぬところだったが、母も、そうだった。
母は、その後、14年生きた。
脳梗塞の後遺症を持った身体での14年は辛い年月だったと思う。
しっかり者の母は、おくびにも見せなかったが・・・。
私は、母のようには頑張れないから、倒れたら即死したい。
*
★納骨は坊さん以外三人で寂しき母の野辺の送りよ
★みどりごのころより何度も死にかけて死なざりし吾(あ)が野辺の送りを
★いくたびも死にかけしわが幼な日の寝返りのたび目覚めしとふ母
★わが横で死にし亡母に気づかずに熟睡してゐし昨年睦月
★納骨は二か月後なり三か月かけてはならぬといふ法ありて
★葬式も四十九日も納骨も一年過ぎて遠くなる母
本当は、昨年の2月25日の母の四十九日に皆で納骨もする予定だったが、
その日は午後雨になる予報だったので、延期したのだった。
で、納骨に参列したのは、私と兄嫁と父方の従姉の三人だけだった。
華やかなことの好きだった母にしては寂しい納骨だった。
これも、跡取りの兄が母より先に亡くなったのが、その原因だ。
せめて私が生きて納骨に参列できたことが、母への供養になった。
私は、幼いころから何度も死にかけて、母には苦労をかけた。
55歳で心臓弁膜症の手術を受けたあとは、
母は、仕事を人に頼んで、手術後、半月の間、入院中の私の傍に付きっきりでいてくれた。
あのときの母の年齢は78歳だった。
母は、その半年後に脳梗塞で倒れたから、
今度は、心臓手術後、半年の私が母に付き添った。
私も、もう少しで死ぬところだったが、母も、そうだった。
母は、その後、14年生きた。
脳梗塞の後遺症を持った身体での14年は辛い年月だったと思う。
しっかり者の母は、おくびにも見せなかったが・・・。
私は、母のようには頑張れないから、倒れたら即死したい。
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★納骨は坊さん以外三人で寂しき母の野辺の送りよ
★みどりごのころより何度も死にかけて死なざりし吾(あ)が野辺の送りを
★いくたびも死にかけしわが幼な日の寝返りのたび目覚めしとふ母
★わが横で死にし亡母に気づかずに熟睡してゐし昨年睦月
★納骨は二か月後なり三か月かけてはならぬといふ法ありて
★葬式も四十九日も納骨も一年過ぎて遠くなる母