かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

また一緒に暮らすことになりました

2019-02-17 19:39:48 | ブログ記事
夫も大阪のマンションと川西のこの自宅を行ったり来たりはしんどくなったそうで、

こちらで暮らすことにするそうです。

別々に暮らすのは不経済でもありますしね。

ガス光熱費も2倍かかりますし、食事も別々に食べるのはね。

が、当分、大阪のマンションも緊急避難用に?おいておくそうです。

そういうわけで、夫も昨日は使いかけの食品とかを持って帰りました。

私も、そうしてもらったほうが安心ですし。

ただ食事の支度は、自分が食べたくないときもしないといけないのが、ちょっとですけど。

何もかもがうまくいくはずはないですから、お互いに許し合って生きていかないと。

*

★七十を過ぎて別居をすることはなかなか苦労夫(つま)もわたしも

★お互ひに許し合はねばならぬことあれば許して生きねばならぬ

母方の従弟たちとは今でも密に付き合うが、父方従兄たちとは疎遠に

2019-02-17 07:07:36 | ブログ記事
きのうの記事の追記になる。

昨日は、帰省時に父方従兄の家を見に行ったが、従兄に挨拶はしなかったことを書いた。

別に仲が悪いとかいうこともないが、最近は、ほとんど会うこともないから
急に訪問することが躊躇われたからだった。

子供の頃は、昨日はあまり遊ばなかったと書いたが、お正月にゲームなどを一緒にすることはあった。

話もまったくしないと言うこともなかった。

が、父が亡くなってから、だんだん疎遠になったように感じている。

昨年、母が亡くなったときも、この従兄は、お通夜は来てくれたが、
お葬式は、自分の親の具合が悪いと言って来てくれなかった。

従兄の親というのは、父の次兄の奥さんで、私の亡くなった母より4歳年上だから、
昨年でも96歳だったはずである。

だから具合が悪かったということは十分あり得ることだったが、
しかし、その後、すぐに亡くなったわけでもないから、
来ようとすれば来れないこともなかった、と思う。

要するに、それほど来る気がなかったということだと思う。

それからすれば、母方の従弟たちは律儀に来てくれる。

大阪に住んでいる私の従弟(亡き母の妹の子)は、母のお通夜、お葬式はもとより、
母の生前も時々わざわざ大阪から見舞いに来てくれて、
過分のお見舞いを置いていってくれたりしていた。、

それは、母の血のつながった甥だったからということもあるが、
しかし、義理であっても、父方の従兄も、一応は甥である。

なのに、同じ高知市に住んでいるのに、よそよそしい。(と私は思う)

そのせいかもしれないが、私も、父が亡くなってからは、父方従兄とは疎遠になった。

(父存命中は、この従兄の父親であった父の次兄が優しくて、かつ弟思いであったことから、
よく我が家に来てくれていたけれど)

それで、一月の母の一周忌に帰省したときも、家の前までは行ったが、訪ねることは遠慮した。

母方従弟たちとは、今でも兄弟くらい親しく付き合っていることを思えば、違いすぎる。

よそのお宅では、こういうことはないだろうか?

皮肉なことに父と生前仲のよくなかった父の長兄の家は実家と隣り合っていることもあり、
今でも帰省すると、何かと付き合う。

従兄も、この父の長兄の息子だった従兄には、もっと親しみが持てる。


*

★親戚の付き合ひ濃淡ありまして母方濃ゆく父方薄く

★母方の従弟いまでも姉弟(きやうだい)で父方従兄他人に近づく

★父方も従姉妹たちとは今もなほ会へば姉妹のごとくありける

★きやうだいは他人の始まり事実ならいとこは既に他人なるべし