私は、いつも書いているように、
書くことで自分を保っている。
が、私の夫は、人と会うことがご飯より好き?で、機会があれば出かける。
同窓会はたいがい出席するし、誘われれば、それ以外の集まりもたいがい出ていると思う。
夫の場合は、卒園した幼稚園から卒業した大学まで、比較的近くであることから、
友人達と会う、会える機会は普通の人より多い、と思う。
一方の私は、高校卒業まで、ほとんど郷里の高知市であったし、
関西の短大を卒業後、お勤めをしたのも高知市であったから、
近辺に友人が少ない。
だから、夫のように出かける機会がない。
というのは、実は口実で、
実際は、難聴が進んだため、人と会いたくても会うことが困難になったという事情がある。
本当は、私も、夫に負けないくらい社交家であったと思う。
私も、現在ほど難聴が進んでいなかった頃は、積極的に集まりに出るほうだった。
が、出ても聞こえない、聞こえないと話せないということが度重なるようになって、
集まりに出なくなった。
出ると、返って辛い気持ちになるから。
それで、その心の空洞を埋めるために本を読むようになっていた。
その後、
独学でパソコンの操作を覚えたのは、54歳のときであった。
パソコンでは、読むことはもちろん、こちらから発信できることに興奮した。(笑)
それで参加させてもらったメーリングリストにはたくさん書かせてもらった。
すると、
当然反発する人も出てきて、虐められた?
書きたい人は私だけではなかったから。
その後、ブログに転じた。
ブログは、基本個人のものだから、書いても咎める人はいない。
いや、いないこともないが、しかし、あくまで個人専用のサイトであるから、
咎めるほうがお門違いということになる。
私の書くものを読みたくない人は、読みにこなければいいだけのことだ。
というわけで、ブログに安住の場を見つけた私である?(笑)
本当は、私も夫のように、人の中に入り、人生を謳歌したいのだが・・・。
*
★本来は社交的なるわたくしであるから書けり人より多く
★次々と書きても声は出さぬゆゑ人には迷惑かからぬはずで
★書かざれば裡に籠りて鬱になるわたくしなれば書くこと癒し
書くことで自分を保っている。
が、私の夫は、人と会うことがご飯より好き?で、機会があれば出かける。
同窓会はたいがい出席するし、誘われれば、それ以外の集まりもたいがい出ていると思う。
夫の場合は、卒園した幼稚園から卒業した大学まで、比較的近くであることから、
友人達と会う、会える機会は普通の人より多い、と思う。
一方の私は、高校卒業まで、ほとんど郷里の高知市であったし、
関西の短大を卒業後、お勤めをしたのも高知市であったから、
近辺に友人が少ない。
だから、夫のように出かける機会がない。
というのは、実は口実で、
実際は、難聴が進んだため、人と会いたくても会うことが困難になったという事情がある。
本当は、私も、夫に負けないくらい社交家であったと思う。
私も、現在ほど難聴が進んでいなかった頃は、積極的に集まりに出るほうだった。
が、出ても聞こえない、聞こえないと話せないということが度重なるようになって、
集まりに出なくなった。
出ると、返って辛い気持ちになるから。
それで、その心の空洞を埋めるために本を読むようになっていた。
その後、
独学でパソコンの操作を覚えたのは、54歳のときであった。
パソコンでは、読むことはもちろん、こちらから発信できることに興奮した。(笑)
それで参加させてもらったメーリングリストにはたくさん書かせてもらった。
すると、
当然反発する人も出てきて、虐められた?
書きたい人は私だけではなかったから。
その後、ブログに転じた。
ブログは、基本個人のものだから、書いても咎める人はいない。
いや、いないこともないが、しかし、あくまで個人専用のサイトであるから、
咎めるほうがお門違いということになる。
私の書くものを読みたくない人は、読みにこなければいいだけのことだ。
というわけで、ブログに安住の場を見つけた私である?(笑)
本当は、私も夫のように、人の中に入り、人生を謳歌したいのだが・・・。
*
★本来は社交的なるわたくしであるから書けり人より多く
★次々と書きても声は出さぬゆゑ人には迷惑かからぬはずで
★書かざれば裡に籠りて鬱になるわたくしなれば書くこと癒し