かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

阪急山本駅~あいあいパーク~宝乃湯温泉

2019-02-18 15:54:28 | ブログ記事
今日は朝から宝塚市の温泉へ行った。

前回、午後に行って混んでいたから。

今日は空いていて、ゆっくり入ることができた。

予定では、電車で阪急山本駅まで行って、温泉の送迎バスで行くつもりだった。

が、山本駅に着いたとき、送迎バスは出たところだった。

次のバスを待ってもよかったのだが、
お天気もよかったから歩くことにした。

山本駅から南に少し歩いたら、「あいあいパーク」という、かなり大きな園芸専門店がある。


ここ、宝塚市山本地区は、昔から庭木の産地で、全国的にも有名らしい。

そのせいで、園芸も盛んなのだろう。

春咲きの花の苗がたくさん売られていた。


庭作りの専門家が、いろいろ教えてくれるようだ。

我が家は庭がないから、残念ながら見せてもらうだけだ。

一角にはレストランも併設されている。


「あいあいパーク」と旧国道176号線を挟んで、「山本新池公園」がある。


どんな大きな池かと見に行くと、大半が公園で、池はほんの一部だった。

昔は、園芸のための池だったかもしれないと思った。


さらに国道を歩いていると、遠く中山連山の住宅地が見える。

この写真のトラックの前のあたりに少し写っている。↓


長尾連山は、阪急宝塚線に平行してあるので、交通至便で、

川西に近いところは、小林一三氏の作った「雲雀丘」
この山本駅から近いところは「山本台」
さらに中山寺の近くは「中山台」として、

バブルのころは、ちょっとした家も一億円くらいした。

夫は山本あたりの新築の家を欲しがったが、われわれには、とても手が出なかった。

しかしもし買えていたら、今頃地震で壊れた新築の家の二重ローンに喘いでいたかもしれない。

やっと宝乃温泉の近くの交差点まで来た。

ここは、宝塚中筋と言って、昔は、ずいぶん賑やかな場所であったらしい。

いつも車がバスなので、
傍に来たことがなかった八幡神社を徒歩で来た今日は参拝させていただく。


宝塚山本地区は、阪神大震災のときに甚大な被害のあった地区だが、
この神社も全壊したようだ。


それが氏子さん達の寄付で再建されたということが書かれてある。


やっと「宝乃湯」に到着。いい運動になった。


前回は自宅から山本駅まで歩いて、山本駅からは送迎バスで来たが、
今日は山本駅まで電車で来て、そこから歩いてきた。

温泉に入るだけだったら、運動にならないが、道のりの半分を歩けば、いい運動になる。

*

★温泉はついでで真の目的は運動であるわたしの場合

★お天気がよければ陽射し温かく光の春の山本あるく

★震災のときに全壊せし神社なにごともなかなかつたやうに春の陽

★なにごともなきが一番幸せと思ふ大震災を思へば

★新築の家も軒並み壊れたるこの山本駅周辺あるく

★二十年経てば跡形あらずして言はれねばわかぬこの山本も

★恐ろしき地震のありし宝塚山本地区にできし温泉


*

たったこれだけのことで疲れて、帰宅後、さきほどまで寝ていた。

年取っても、
車の運転できたら、ここにも難なく来られると思えば、

先日の80代の男性でなくても、
現在、免許証を持っている人の返納は悩ましいことだろうと思う。

今日は久しぶりに温泉に行ってきます

2019-02-18 08:48:36 | ブログ記事
若いころは温泉の効能など信じなかった。

が、最近は信じる。

温泉に浸かったあとは、やはり体調がいいのである。

最近、脚の浮腫みもひどいけれど、肩甲骨のあたりに痛みがある。

温泉に入ってどうなるものでもないかもしれないけれど、
ゆっくり浸かって身体をもみほぐしてこようと思う。

本当は、マッサージとかしてもらうとより効果的かもしれないが、
そこまではもったいないからお願いしない。

温泉には電車とバスとを乗り継いで行かないといけないから、
きのうから自宅に戻ってきている夫に車で送ってほしいところだが、
たぶん断られるだろう。

私の病院通いでも車で送ってくれることは、まったくと言っていいくらいないから。

世の中には、かいがいしく奥さんの送迎をしてあげている旦那さんを見かけるが、
私の夫は、そんなに甘い夫ではない。

が、別のところで、けっこう家族思いであるから、今の状態で満足するべきなのだろう。

とは言っても、電車で行くのって面倒。(笑)

*

★運転のできぬわたしは電車バス使つて行かねばならぬ温泉

★湯冷めせぬやうに昼間に行かむとすまたバス電車つかつて帰る

認知症は、なる人はなるし、ならない人はならない、と思う

2019-02-18 01:34:47 | ブログ記事
私は、ある程度、遺伝的なものがあると思う。

義母は認知症になったが、若いころより、人一倍健康には気を使う人であった。

が、それでも、認知症になった。

認知症になりはじめのころは、自分でもイライラしたようで、
よく里帰りしていた義妹とケンカしたようだった。

このころは本人も辛かったと思う。

私がこの家に来たころは、もう義母は半分諦めの心境になっていたのか、
最初のころを除いて、私に頼りっきりになった。

一方、実家の母は、いわゆる認知症にはならなかったが、
しかし、年寄りというものは、認知症にはならなくても、ややこしくなるものである。

それで、実家の兄嫁は、私の母にはかかわらないように、逃げていた。

母の世話は、母が雇ったおばちゃんに丸投げであった。

兄嫁は、もう一切かかわりたくない心境になっていたのだろう。

もともと、いろいろ人に厳しいことを言う母であったが、
年取ってからは、自分でできなくなった分、余計に人にいろいろ要求することが増えた。

兄嫁にすれば、
そんな母にまともに関わっていたら
自分の生活がめちゃめちゃにされると思ってのことだったのだろう。

その気持ちもわからなくはない。

私が義母、実母、二人の母を看た体験で学んだことは、年取ったら認知症はもちろんだが、
認知症にならなくても、人はややこしくなってくるということだ。

その一番の解決法は、私は長生きをしないことだと思っている。

そうでなくても、私は難聴という生きづらい障害を持っているから、長生きはしたくない。

義母と実母は、その点は私と異なっていた。

二人とも長生きをしたがったと言えるかもしれない。

実は、私は、義母に、「長生きして、楽しいですか?」と聞いてみたことがある。

聞きようによっては、ずいぶん失礼な質問だが、義母は気を悪くせず、応えてくれた。

「楽しい」と。

実母のほうは、その甥(私の従弟)に「母(私の祖母)より長生きしたいと思っている」と
言っていた、らしい。

ということは、長生きをしたかったのだ。

まあ、母も、私には、最後のほうは、
「早くお父さんや〇〇(私の兄)が迎えにきてくれないかと思っている」と言っていたけれど。

義母も実母も、
二人ながら美貌にも健康にも恵まれて、その親に大事にされた生まれ合せだったから、
此の世を謳歌できたのだろう。

二人とも、楽天的であったとも言えたかもしれない。

*

★年取れば認知症にぞなるならぬ関係なしにややこしくなる

★一番の良策長生きをせぬことこれは真実死ぬが一番

★すみやかに死なせることがこれからの医療の目指す目標なるべし

★延命の技術を磨くことよりも安楽死こそあらまほしけれ

★不治の病かかれば安楽死ができる体制こそが民の幸せ

★年寄りが早々死にてやることが子供世代へ孝行になる

★認知症なるまへ出願しておかむ なれば安楽死を希望すと