最近は図書館で本を借りても読み上げないで返すことが多い。
が、先日三陸地方に行って風景を観たせいで、この本を読み上げることができた。
この本は、もともと『海の壁』という題名がつけられていたらしいが、
本の内容そのままに『三陸海岸大津波』に改題されたらしい。
私も『海の壁』より改題された『三陸海岸大津波』のほうがずっといいと思う。
『海の壁』は三陸海岸の津波の様を表現した題名だと思うが、
この津波の恐ろしさは、どんな表現をしても表しつくせるものではないと本を読み上げて思った。
だから、そのまま『三陸海岸大津波』でいいのだ。
これと似たようなことは、歌作でもしばしば行われる。
いかにもしゃれた言い回しの歌がそうだ。
短歌でも、そのままずばり詠ったほうがいいと思うような事象を、
しばしばこういうもって回った表現にすることが多い。
また、選者という人達は、
そのままの表現の歌より、こういう気取った表現をした歌を選ぶことが多い。
数多くの歌の撰をしなければならない選者には、
こういうもって回った表現をした歌のほうに目が行くからだろう。
いちいち作者の生き様に心を寄せることなどはしていられないから。
それで、短歌作者も、日夜、こういうふうにもって回った表現を磨くことに鎬を削る。
が、日常のありふれた事象を、こういうもって回った表現で詠ったところで、
読者を感動させることはない。退屈なだけだ。
歌集出版が隆盛が極めているが、こういう退屈な歌集は掃いて捨てるほどある。
私は歌は上手く詠わなくていいと考える。
それより、その生き様を正直に吐き出せばいいのだ。
事実をそのまま詠えばいいのだ。
それが感動されないとすれば、
その人の生き様が感動されない生き様であるということに他ならない。
選者として崇められている人達の歌でも感動を催させない歌はごまんとある。
それはその選者が、歌をうまく詠うことのみに生きているからである。
本当に感動を催す歌の作者は選者とかいう立場にあぐらをかく人達の中にはいない。
それは生きることに日夜呻吟している人達であるからだ。
ゆえに、いわゆる短歌界の有名歌人という人達の歌はろくでもない。
そう断言できる。
本の題名の話から常日頃おもっていることを書いてみた。
*
吉村昭の作品は初めて読んだが、このルポタージュ風の小説はいいと思った。
実は、この本を借りてから、『漂流』という題名の本を買った。
こちらは、すでに有名なジョン万次郎よりもっと前に、
やはり太平洋で遭難して鳥島に漂着して生き延びた土佐の漁師の物語だ。
図書館の蔵書検索で探したが、なかったからAmazonで取り寄せた。
『三陸海岸大津波』と同様、極限の生を描いたものだから読んでみたいと思ったのだ。
こういう本を読むと、
現在、自分が生きている、あるいは生かされていることの意味を考えさせられる。
が、先日三陸地方に行って風景を観たせいで、この本を読み上げることができた。
この本は、もともと『海の壁』という題名がつけられていたらしいが、
本の内容そのままに『三陸海岸大津波』に改題されたらしい。
私も『海の壁』より改題された『三陸海岸大津波』のほうがずっといいと思う。
『海の壁』は三陸海岸の津波の様を表現した題名だと思うが、
この津波の恐ろしさは、どんな表現をしても表しつくせるものではないと本を読み上げて思った。
だから、そのまま『三陸海岸大津波』でいいのだ。
これと似たようなことは、歌作でもしばしば行われる。
いかにもしゃれた言い回しの歌がそうだ。
短歌でも、そのままずばり詠ったほうがいいと思うような事象を、
しばしばこういうもって回った表現にすることが多い。
また、選者という人達は、
そのままの表現の歌より、こういう気取った表現をした歌を選ぶことが多い。
数多くの歌の撰をしなければならない選者には、
こういうもって回った表現をした歌のほうに目が行くからだろう。
いちいち作者の生き様に心を寄せることなどはしていられないから。
それで、短歌作者も、日夜、こういうふうにもって回った表現を磨くことに鎬を削る。
が、日常のありふれた事象を、こういうもって回った表現で詠ったところで、
読者を感動させることはない。退屈なだけだ。
歌集出版が隆盛が極めているが、こういう退屈な歌集は掃いて捨てるほどある。
私は歌は上手く詠わなくていいと考える。
それより、その生き様を正直に吐き出せばいいのだ。
事実をそのまま詠えばいいのだ。
それが感動されないとすれば、
その人の生き様が感動されない生き様であるということに他ならない。
選者として崇められている人達の歌でも感動を催させない歌はごまんとある。
それはその選者が、歌をうまく詠うことのみに生きているからである。
本当に感動を催す歌の作者は選者とかいう立場にあぐらをかく人達の中にはいない。
それは生きることに日夜呻吟している人達であるからだ。
ゆえに、いわゆる短歌界の有名歌人という人達の歌はろくでもない。
そう断言できる。
本の題名の話から常日頃おもっていることを書いてみた。
*
吉村昭の作品は初めて読んだが、このルポタージュ風の小説はいいと思った。
実は、この本を借りてから、『漂流』という題名の本を買った。
こちらは、すでに有名なジョン万次郎よりもっと前に、
やはり太平洋で遭難して鳥島に漂着して生き延びた土佐の漁師の物語だ。
図書館の蔵書検索で探したが、なかったからAmazonで取り寄せた。
『三陸海岸大津波』と同様、極限の生を描いたものだから読んでみたいと思ったのだ。
こういう本を読むと、
現在、自分が生きている、あるいは生かされていることの意味を考えさせられる。