かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

有名になりたかった(なりたい?)かもしれない私(お題に応募)

2019-09-07 08:33:52 | ブログ記事
またGooblogのお題に挑戦です。
 
今日挑戦するお題は「有名になりたい」です。
 
私も自分を顧みることもなく、有名になりたいと思っていたかもしれない。
 
これは、自分がと言うよりも、私の母が私に期待していたと言ったほうが正しいだろう。
 
私の実家はテレビを買うのが比較的遅く、
やっと買ったのが、現、上皇陛下ご夫妻のご結婚のときだった。
 
私の母は、美智子さまのご婚約発表を新聞で知ったときから熱烈なファンになった。
 
まさか私に、そのような期待をしたとも思わないが、
とにかく真似はしていたようである。
 
まず、ご成婚パレードその他を私に見せたくてテレビを買った。
 
私が父の仕事の関係で香川県高松市に暮らしていた小学4年生のころのことだ。
 
これは、その前からだったが、
若い頃に洋裁を習ったことのある母は
私にどこかのご令嬢の着るような服を作って着せることを楽しみにしていた。
 
これが当時通っていた高松市の郊外の、農家の子供達も通う小学校で苛めのもとになった。
 
当時通っていた小学校の生徒たちの服装は、みな粗末なものであったから。
 
掃除の時間になっても、お嬢様だからと箒とかを持たせてくれないのである。
 
担任の先生が私を特別ひいきしていたわけでもないのに、
なにかにつけて贔屓されていると妬まれた。
 
当時住んでいたのは県営アパートであったから、お嬢様であるはずもないのだが、
そう思われたのは、母の作って着せる服のせいだった。
 
母は、なにかにつけ、私を特別な娘にしたがっているように見えた。
 
母自身は、その友人達に女優になれと言われるくらいの美貌であったが、
私は父親似であったから美貌には程遠かった。
 
せめて秀才と言われていた父の頭脳でも遺伝していればよかったが、
そんな頭脳も持ち合わせていなかった。
 
それだけじゃなく、
中学2年のときに難聴ということが判明して、これがどれだけ両親をがっかりさせたことか。
 
それでも、私も、私なりに、親の期待には応えたいと思うところもあって努力はした。
 
有名になるということも、その目的の一つだったかもしれない。
 
が、容姿も頭脳もずば抜けているわけでなく、
その上、難聴という障碍まであれば、人並みに生きていくことさえ困難な状況である。
 
それでも、私は私なりに頑張ったかもしれない。
 
せめて人も羨むような結婚をすれば、親が喜んでくれると思って、
現在の夫と結婚したところもあったかもしれない。
 
夫は、こんな何の取り柄もない私には過ぎた相手だったと思う。
 
それが、幸せな結婚であったかどうかということは、また別の話であるが、
結婚した当時は友人達にも羨ましがられたから、ある目的は達成できたかもしれない?
 
私に、過分の期待をした母は、昨年亡くなってしまったが、
しかし、私は、まだ有名になることを諦めきれていないところがあるようである。
 
これが自分を苦しめているということは十分承知しているが、
しかし、私は、こういうに育てられて、こういうふうになってしまった人間なのである。
 
すべて母のせい?
 
そうかもしれない。