(一度読んでいただいた記事です)
母の生きていた一昨年までは「敬老の日」は母を敬う日であったが、
母を亡くして、その後、古希を迎えた私は、もう自分自身が立派な老人だ。
が、現代では70歳は古来まれなるほどの老人ではない。
本音を言わせてもらえば、私は、今も自分をちっとも老人などとは思っていない。
で、テレビのニュース等で70歳を過ぎた人の話が出てくると、
「そのお婆さんがどうしたの?」と思いながら観ている自分に気づいて笑ってしまう。私自身が自分を全然お婆さんとは思っていないから、そう思ってしまうのだろう。
しかし、体力の衰えは如何ともしがたい。
たとえば、
この家に来たころは、まだ義母が生きていたこともあって、
一日に何度も二階と一階を行き来していたが、
最近は、自分のものは、ほとんど階下において、
二階にあがることは一日に一度もない日もある。
夫は、一日中、二階にいるから、棲み分けているという理由もあるが、
私が二階に上がるのが面倒になったというか、しんどくなったというのが事実だ。
洗濯物も、以前は二階のベランダに干していたが、
最近は裏の勝手口から狭い北側の裏庭に干す。
日当たりはよくないが、夏の間は北側に干しても十分乾く。
裏庭に干せば、干しに行く手間もいらないが、取り込む手間もいらない。
勝手口から手を伸ばせば届くから(苦笑)。
それから、以前は洗濯物を畳んで二階に持って行っていたが、
最近は、それもあまりしない。
ほとんどのものは、そのまま洗面所のタオル掛けにハンガーのまま吊るしておけば、
夫はお風呂のあとで勝手に二階に持って上がってくれる。
手間が省けて非常に楽だ。(苦笑)
こういう横着をするのも年取ったせいだろう。
そうそう、ご飯づくりも一気にすることが大変になって、分けてすることが多くなった。
たとえば、今日の夕飯の献立は、
マーボー茄子と鰆の塩焼きと冷ややっこであったが、
午後4時頃から支度にかかって、
マーボー茄子は、
中華鍋に①ニンニクと豚ひき肉を炒めたところに②玉ねぎのみじん切りも炒めておいて、
その上に③適宜切った茄子を揚げたものを載せておく。
鰆の塩焼きは片面だけ焼いておく。
こうしておいて、
夫が帰宅した午後5時ごろに、
まず冷ややっこを出して時間稼ぎをしながら、
半分作りかけたマーボー茄子を再度温めて、
④温まったところに豆板醤やテンメンジャンで作ったタレを回しかけて出来上がり。
マーボー茄子の仕上げをしながら、鰆の裏面も焼く。
そうすると、ほぼ同時に出せる。
どうしてこういうふうに分けて作業をするかというと、
全部を一気にすると疲れるからだ。
台所で長く立ち詰めで作業するのが辛いからだ。
が、こういうふうに分けてしたほうがメリットがあることに気づいた。
魚を片身だけ焼いて少しおいておくと余熱で全体の八割がた火が通る。
それを食べる直前に裏返して一気に焼きあげたほうがうまく仕上がる。
マーボー茄子のほうも、そういうところもある。
とにかく、二度に分けての作業になるから、一度の作業の負担が少ない。
体力が衰えたから編み出したやり方だが、
このほうがうまくいくとは伊逹に年をとったわけでもないと自画自賛する。
このやり方ができないのが天ぷらだ。
娘が帰省したときに張り切って天ぷらをしていて天ぷら鍋をひっくり返してしまったが、
これも少し長く立ち詰め作業をすると疲れてきて、ついやってしまったのだった。
夫と二人分でも、最近は、天ぷらを揚げるのは妙に疲れる。