平凡な人間には平凡な歌しかできない。
私の今も尊敬してやまない、故、河野裕子氏は気違い=天才であった。
その証拠に嫉妬に狂って夫の永田和宏氏を包丁で追いかけまわした。
それは永田和宏氏が、その著書で詳らかにしている。
だからこそ、河野裕子氏は名歌が詠えたのだ。
平凡な歌も多いが、しかし、ハッとする歌を残している。
河野氏が短命(62歳)だったのも、気違い、否、天才だった証しである。
高齢化の現代は60代で亡くなるのは夭折と呼んでもいい。
その河野氏を愛した永田和宏氏にも気違いの素質があるのであろう。
が、永田氏は男であるし、理性的な人であるから、気違いの部分は抑えている。
が、気違いの、否、天才の河野裕子氏を愛していたのは、
自身同じ素質があるためだろう。
二人は、同士でありながら、同時に、敵味方でもあった。
敵味方でありながら、同士でもあった。
だから、お互いにお互いの才能を開花させることができたのだ。
いま、「塔」に気違い=天才歌人はいない。
河野裕子氏のような気違い=天才がいないから、小さくまとまってしまっている。
私の今も尊敬してやまない、故、河野裕子氏は気違い=天才であった。
その証拠に嫉妬に狂って夫の永田和宏氏を包丁で追いかけまわした。
それは永田和宏氏が、その著書で詳らかにしている。
だからこそ、河野裕子氏は名歌が詠えたのだ。
平凡な歌も多いが、しかし、ハッとする歌を残している。
河野氏が短命(62歳)だったのも、気違い、否、天才だった証しである。
高齢化の現代は60代で亡くなるのは夭折と呼んでもいい。
その河野氏を愛した永田和宏氏にも気違いの素質があるのであろう。
が、永田氏は男であるし、理性的な人であるから、気違いの部分は抑えている。
が、気違いの、否、天才の河野裕子氏を愛していたのは、
自身同じ素質があるためだろう。
二人は、同士でありながら、同時に、敵味方でもあった。
敵味方でありながら、同士でもあった。
だから、お互いにお互いの才能を開花させることができたのだ。
いま、「塔」に気違い=天才歌人はいない。
河野裕子氏のような気違い=天才がいないから、小さくまとまってしまっている。
独断と偏見で言わせていただければ、
「塔」は、同じく天才の永田和宏氏がいる間はまだしも、
永田氏まで不在になれば、一気に衰退に向かうだろう。
*
いま図書館で永田和宏氏の著書を数冊借りてきて読んでいるが、
科学者でありながら、
「塔」は、同じく天才の永田和宏氏がいる間はまだしも、
永田氏まで不在になれば、一気に衰退に向かうだろう。
*
いま図書館で永田和宏氏の著書を数冊借りてきて読んでいるが、
科学者でありながら、
同時に、これだけ奥深い文章を書ける人は、ちょっとほかにいないと思う。
その意味では、
その意味では、
永田和宏氏を尊敬し、かつ片思いをしてやまない私なのである。