数年前までお誕生日が来たら三人の子供達にお誕生日お祝いメッセージを送っていた。
が、三人とも、うんともすんとも言ってこない。
だから止めた。
まあ三人とも働き盛り、子育て真っ最中の世代だから、それどころではないだろう。
私は、大変な思いをして生んだ記憶があるから思い出すが、
産んでもらった子供らは、特に感謝があるわけでもないだろう。
だから、自分で、産んだころの思い出を書く。
この次男を産んだのは、私の35歳のときだった。
すでに子供は、長女が10歳、長男が9歳になろうとしていた。
住まいは大阪の3LDKのマンションであったから、
産むことはすごく迷った。
子供二人でも狭くなっていたのに、
この上、もう一人子供が増えると、どんなことになるかと。
この次男を身ごもったころ、私はフルタイムでお勤めをしていた。
狭いマンションを脱出したかったから。
が、実家の遠い私に、フルタイムの仕事は無理があった。
まだ小学2年生と3年生だった子供達に負担が大きすぎた。
そこへ、次男を身ごもったので、迷ったけれど、産むことにした。
とにかく子育ては、狭さとの戦いであった。
それだけじゃなく、
その後は、教育費、食べ盛りになった子供達の食費のやりくりに四苦八苦した。
なんとか三人とも教育を受けさせて結婚させて(勝手に結婚をしてくれて?笑)、
今が私の人生の実りのときかもしれない。
が、見方によっては、もう此の世に不要の人間になったとも言える。
夫は16日(祝)から一人で車中泊の旅に出ていて、
私は延べ四日間だれとも喋らずに家に籠っている。
今日はどこかお出かけしようかと考えたりしていたが、
まだ昼間は暑そうだからやめた。
それで、こうしてblogを書いている。
blogという媒体がなければ、今頃わたしはどうなっていただろう。
時間を持て余していただろうか、
それとも、姑のように、子供達の家に行くことを生きがいにしているか。
難聴の私には、blogというおもちゃがあって本当によかった。
*
★難聴で人と会話のしがたくば家に籠りてblog書くのみ
★わたくしを生きがいにして生きてゐし母亡くなればわれも死なむか
★子供らの負担にだけはなりたくはなければ明日死ぬもよからむ