かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

現在、しんどいあなたへ(お題に応募)

2019-09-06 17:33:57 | ブログ記事
極限の生き方をした人の本を読むのもいいかもしれない。

私は、最近、吉村昭の小説にハマっている。

数日前に『三陸海岸大津波』を読み上げた。

この本を読んで、いま生きていることがいかに幸せなことかと思えた。

この小説は、最初、『海の壁』という題名がつけられていたらしいが、
津波は、まさに海の壁だったのだろう。

これは平成の津波ではなく、
明治29年と昭和7年の津波について書かれた本だが、
平成23年の津波も、おそらく同じようなものだったろう。

場所によっては、高さ50メートルまで押し寄せたという津波。

もう人の力ではいかんともしがたい。

その津波で、九死に一生を得た人は、たぶん、
ただ生きているだけでもありがたいと思えたことだろう。

家族をなくした人は、
一時は生きていることが辛いと思ったこともあったかもしれないが、
しかし、やはり生きているということは奇跡だと思うところはあっただろう。

この小説のあとで、江戸時代に、乗っていた舟が嵐に遭い、舵を失い流され、
陸の孤島である鳥島に漂着した人のことが書かれた『漂流』という小説も読んだ。

この本の主人公は、その鳥島で12年4か月生き延びて帰還した。

その12年あまりの生の厳しさ、苦しさと言ったら、
現代の私達が想像できないほどのものである。

鳥島は岩山で植物も動物も生きられない死の島である。

その島に、舟が難破して何も持たずに漂着したのである。

最初は飲み水を飲むことさえ満足にできなかったらしい。

食べ物も、もちろん何もないから、海岸で貝や海藻を採って飢えをしのいだ。

やがて渡り鳥であるアホウドリを食べることを覚えて、
12年あまりも生き延びられたのであるが、その艱難辛苦は、筆舌に尽くしがたい。

こういう極限の小説を読むと、現在、しんどいと思っていても、
そんなことは言っていられないような粛然とした気持ちになる。

現在、しんどい人に一読をお勧めする。

なぜ謝らなきゃいけないの?

2019-09-06 05:25:17 | ブログ記事
先日来、週刊ポストの見出しを問題にするニュースが多い。

そして先ほど見た記事では謝り方まで問題視している。

これです。

「その軽さと分かりやすさを憂う~『週刊ポスト』の”嫌韓”記事をめぐって」

この記事で、江川紹子氏は謝り方が軽いと断じている。

私に言わせれば、全然謝るべき問題でもないことに対して、
なぜその謝り方まで言われなければならない?

韓国がどれだけ日本に対して失礼な発言をしているか知らない日本人はいない。

だから、
今回の週刊ポストの見出しも、われわれ日本国民は皆こころの中で思っていることなので、
謝る必要などないと思っている。

それでも、たぶん騒ぎを収めるためにしたであろう謝罪を「謝り方が軽い」とは?

「江川さん、何言うてはりますの」と言いたい気分である。

あなたオウム事件のときはテレビに出づっぱりでしたが、そんな人でしたか?

私は、もっとまともな人とお見受けしていましたが、見損ないました。

「貧すれば鈍する」の言葉は、あなたにこそお返ししたい言葉です。

それにしても、
今回のこの当たり前の見出しに対して、
「以後、週刊ポストに寄稿しない」と言われる作家のいることにも二度びっくりです。

いえ、私も、週刊ポストがつまらぬ記事ばかりの三流週刊誌とは思っています。

しかし、今回の見出しは、上等とは言いませんが、われわれにはしごく全うなものでした。

この見出しを謝らせようとする勢力は日本人ではないと思いますが、
その勢力の母国にこそ私達は謝ってほしく思っています。

ありもなかったでっちあげの過去を教科書にまで載せて子供の頃から反日教育をする、
その母国に・・・。

日本人は今まで我慢してきましたが、これからも大人しく見て見ぬふりをするとは
ゆめ思われませぬよう、この際、警告しておきます。