かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

片付けには遺伝的な要因も絡んでいる?

2018-05-09 10:41:03 | ブログ記事
私の母は片付けのできない人であった。

若い頃はまだしも、年取ってからは重症であった。

だから死後、義姉も甥の奥さんも母のものを捨てに捨てた。

どうしてこんなものまで取っておくのかと思うものまでおいてあった。

私は、母には経済的に、ずいぶん世話になったから、

以前は定期的に片付けに帰っていたが、年々ひどくなり、泊まることは愚か、
母の部屋にいることも難しいくらいになっていた。

それで数年前からは泊まることは諦めてホテルに一緒に泊まるようにしていた。

母の部屋では食事もできない状態だったので、
窮余の策で外食しても、
食べるのに時間のかかる母がお店に迷惑をかけてしまうので、
思案した結果、出した結論は食事つきでホテルに泊まることであった。

それは亡くなる時まで続いて、
母は今年1月10日に某ホテルで一緒に夕食を摂った翌朝亡くなった。

娘の私と最後の食事を共にして、私の横で死ねた母は本望であったかもしれない。

が、こういうやり方を見つけるまでは、

私が帰省するたびに母を責めるものだから、
母は死ぬなどと口走ったことさえあった。

旅行好きだった母は、
旅行したら、その旅行記を克明につけていたし、
その膨大な写真もきれいに整理していた。

だから、片付けの能力がまったくないというわけでもなかったと思う。

何が原因で家の中がそうなったかということは、簡単には結論づけられないが、
まず一つには、母がものを捨てられなかったということが挙げられる。

それから、
外交的な性格が災いして、家の中を片付ける時間を取らなかったということもあった。

それから、
躁うつ病の父のため、経済的に辛酸を舐めさせられて、
家事を捨てて働いて私達兄妹を育てる必要があったということもあった。

父は躁鬱の躁期になると、
家にお金を入れずに給料を使い果たした。

父方の祖父が生きていたころには
経済力のあった祖父が衣食住の面倒をみてくれていたから、
生活に支障がなかったが、祖父が亡くなってからが
母の真の苦労の始まりであった。

経済的に困窮したから捨てるべきものも捨てられなくなったという面はあったと思う。

という理由はありながらも、

素質的に片付けのできないところもあったと思う。

というのが、母の母である祖母も、片付けが得意という人ではなかったし、
祖母の妹の大叔母にいたっては、私の母以上であった。

大叔母は恋愛の末に広島県の旧家の義大叔父さんと結婚していたが、
その晩年は、広大な屋敷は足の踏み場もないくらい物があふれていた。

この大叔母には子供が生まれなかったので、養女をもらって育てたが、
この養女は美人であるだけでなく、家事も万能の人であったから、
嫁いでからも定期的に養家である大叔母の家の片付けに帰っていた。

が、
月に一度帰省して片付けて帰っても、
次の月に行くと元の木阿弥になっていると泣いていると母に聞いたことがある。

が、母も晩年は、この大叔母と全く同じになっていたのだ。

私は実娘であったため、
この大叔母の養女と違って遠慮がないので、母を叱りまくった。

が、最近、私がだんだん母のようになってきているようだ。

夫にも叱られるし、子供達にも、もっと家の中を綺麗にせよと言われる。

自分では母とは違うと思っていたが、どうやら母に似てきたらしい。

なぜ似るのだろう?

結婚前には
行儀見習いと称して
お大家に住み込んで家事を仕込んでもらったりもしたのに・・・。

遺伝的な要素もあるのだろうか?

それとも、親のすることを見て育っているから、無意識に真似てしまう?

が、
私の娘は片付け上手で、家の中はいつもきれいにしている。

これは、娘が義母と暮らしていたから、義母の影響が大きかったということか。

義母は片付け上手な人で、認知症になるまでの家の中はいつもすっきりしていた。

夫も片付け上手だ。

娘は、その遺伝子を受け継いだのか。

が、義母の娘の義妹は片付け上手ではなく、家の中は結構雑然としている。

思い返してみれば、義父のお姉さんたちも、片付けは上手でなかった。

義父の長姉は医家に嫁いでいて、裕福だったので、
私は季節ごとの衣類など買ってもらったりしてよくしてもらったが、
家の中は、いつ行っても、けっこう雑然としていたし、

義父の直近の四姉は嫁いでからも実家である私の婚家に家族ごと暮らしていたが、
帰省した私達の世話はよくしてくれたが、家の中は決して片付いている状態ではなかった。

義妹は、その伯母さん達の遺伝子を受け継いだ?

世の中、断捨離が大流行りであるが、片付けには遺伝的なものも絡んでいるとしたら、
いくら断捨離の勉強しても、実行は難しいかもとも思ってしまう。

が、
母も大叔母も片付けは下手だったが、経済力はあって、
比較的晩年は裕福だったし、夫の伯母さん達もそうであった。

こういうことをいろいろ考察していると、論文が書けそうにも思う。

これは心臓のせい?あるいは老化のせい?

2018-05-08 11:18:52 | ブログ記事
昨日、次男が急に来て泊まったことは書いた。

私は、最近、早寝早起きというか、
超早寝して夜中に一度起きるパターンで生活している。

昨夜も夕食を終えて9時ごろに猛烈に眠くなり、夫より次男より先に寝た。

いつも通り、夜中の1時過ぎに一度起きて、
夕食の食器の洗い物や、朝のパンを焼いておくため、
パン焼き機に材料を仕込んだりした。

その後、ブログを書いて、二度寝した。

朝、次男に、昨夜あらった下着が乾かないと起こされた。

着替えのなかった次男は、私が寝たあと、
シャワーを浴びて下着を自分で洗って干したらしかった。

が、脱水もせずに干していたから、朝になっても、まだ濡れたままだった。

それを寝ぼけまなこでアイロンがけしたが、かけてもかけても乾かない。

そうこうしているうちに、次男の出勤時間が迫ってきた。

夫が次男の会社まで送ってやるということになり、
私も急に一緒に行きたくなって、ドアの閉まった直後の車を追いかけた。

わが家は袋小路の住宅地だが、その袋小路の出口まで走った。

が、二人に気づかれずに積み残された。

帰宅してから、もう2時間くらい経つが、まだ心臓が正常でない。

子供や孫たちが来て、いつも痛感すること。

それは、私の体力が足りないということ。

何かしてやろうとしても、若い時のようにはしてやれない。

すぐに息切れするし、一仕事すると一休みしないといけない。

これは、やはり心臓が弱いからなのか、
あるいは70歳という年齢的なものなのか。

夫は現在73歳だが、
自宅で仕事をした上で、テニスにも行くし、あちこちの集まりにも出る。

私はごはんを三食作ったら、
あとはブログを書くとか読書するとかくらいしかできない。

この体力の差は何だろう?

やはり心臓のせいか。

が、誰もこのしんどさをわかってくれない。

夫は私の行き届かないところに不満をもっていて、子供達にも言う。

難聴の私が電話できないので、子供達への連絡役は夫で、
夫の言い分ばかりが子供達に伝わる。

それと、
長男、次男の二人のお嫁さんの家は、お母様たちがお掃除上手で、
いずれのお家もホテルのように綺麗にしていられる。

だから息子二人は私のやり方が悪いように言う。

が、娘婿のお母様は60歳くらいから足を悪くされているから、
料理以外の家事はほとんどお父様がなさる。

娘婿のお母様はお買い物が好きで、
それでいて、あまりものを捨てない人だから家の中は結構いっぱいである。

が、娘婿のお父さんは愛妻家だから、お母様の買い物好きを咎めたりしないで、
黙って家事をなさっている。

この娘婿のご両親は同い年だが、お出かけしたら、
車いすのあるところでは、お母さんを車いすに乗せてお父さんが押される。

お母さんの足が痛くならないようにと。

少しは娘婿のお父様を見習ってほしいと思うが、
思ったら顔に出るから思わないようにしている。

娘婿の家は、お父様がそんな方だから、
娘婿兄弟三人も母親思いで、また奥さん思いでもある。

そういう意味では、
娘はいい人と結婚できて大事にしてもらえてよかったと思っている。

*

・息切れをして人並みに働けぬわれを責めるは健康な夫

・子供らにわれの掃除の至らなさ言ひあげ味方にするはわが夫

・わたくしがゐれば喜ぶ母亡くしわれも亡くなりたきときのあり


お金のことは言いたくないけれども

2018-05-08 02:30:00 | ブログ記事
別居すると言って、
今月から生活費を半分にされたのに、夫はほとんどいる。

今月から神戸に引っ越した次男も昨日も来た。

引っ越し先に買った新しい冷蔵庫が
入居したタワーマンションの梁にかかって入れられなかったので買い替えた。

その冷蔵庫がまだ届かなくて、お嫁さんと孫はお嫁さんの実家に戻ったから、
独り神戸に帰っても仕方ないので、会社から近い我が家に来たのだ。

怒鳴ったりしなければ夫がいてくれることは嬉しいし、次男が来てくれることも嬉しい。

なにしろ私は家族にごはんを食べさせることが生きがいだから。

が、

私一人なのと、男が二人加わって食べるのとでは当然食料の必要量が異なってくる。

私はほとんどおしゃれをしないから、もらったお金の大半は食費になる。

食費はケチりたくない。

が、もらうお金に限りがあればケチらざるを得ない。

結婚以来、専業主婦としてやってきたから、人に食べさせるのは好きだ。

子供三人の食べ盛りの食費はそれは気の遠くなるほどであった。

わが家は皆、体格がいいから余計に。

長男は185センチ、次男は181センチの長身である。

食べ盛りの時期は教育費のかかりどきでもあった。

私はほとんど外に働きに出なかったから、毎月のやりくりで凌いだ。

実家の母にも、ずいぶん助けてもらった。

三人の子供達は、皆、大学、または大学院を卒業させた。

長女は私立薬科大、長男は私立大学工学部で、
次男は国立大ではあったが、下宿させて大学院まで行かせたから、
他所の倍かかったかもしれない。

が、とにかく必死になって育て上げた。

さあこれから楽ができるという時期になって、立て続けに病魔に襲われた。

心臓弁膜症と大腸癌である。

心臓はもともと悪かったようだったが、死にかけたのは55歳の時だった。

次男が大学2年で下宿を始めた直後だった。

せめて子育てのさなかでなかってよかった。

これは、やはり神様が、ご先祖様がそう取り計らってくださったのだろう。

そういう意味では病気になったことにも意味があったのだと思う。

それを思えば、
今こうして、夫と危機を迎えていることにもなんらかの意味があるのだろう。

今月生活費を半分しかもらわなかったといっても、
生協に入ってから常に多めに買い込んできたから急に食料が尽きることはない。

まあそのうち、また何とかなるだろう。

*

・別居するはずの夫は別居せず家に居続けゐるなりその後

・引つ越しを次男はせしが神戸よりここ川西が帰るに近し

・これからは独りになると思(も)ひゐしに独りにならず夫も次男も

・人生はなるやうにしかならぬことこれまで生きてきて学びたり

・心臓を治し大腸癌とりてまだ生きてゐるわれにあらずや

スマホに四苦八苦

2018-05-07 13:08:06 | ブログ記事
昨日の午前中にスマホに切り替えたのだが、
昨日はスマホ対応に四苦八苦した。

馴れないのと使い方がイマイチわからなのとで、精魂をスマホ操作に吸い取られてしまう。

夕方はお味噌汁を作っていたのに、なんとそれを焦がしてしまった。アブナイ、アブナイ。

ちょっとと思っても、つい時間を取られてしまうのが、こういう機器の操作である。

若い頃は、もっと臨機応変に対応できただろうけれど、
頭が固くなっているから、なかなか慣れない。

一日弄り回して、夕方にはぐったり疲れてしまった。

馴れれば、今までのガラケーにはない便利さがあるとは思うが、
馴れるまで、どのくらいかかるだろう。

まず家で馴れてから外で使うようにしないと、
外出先で失敗をする恐れがある。

一方、このスマホがあれば、もうパソコンはいらなくなるんじゃないかとさえ思われる。

次男や夫が、お母さんには無理と言っていたけれど、果たして。

*

・スマホなるおもちやをわれは手に入れて日がな遊んでゐる春の暮れ

・パソコンもスマホも良妻真似事のお面を剥がし悪妻にする

・熱中をすれば時間も空間も忘れわたしは異次元の人

・性愛に熱中せしことあらざれどスマホはわれを熱中させる

・性愛とスマホいづれが勝れるや熱中させて人を地獄に

・天国と地獄は表裏一体で天国の根は地獄なるべし

・難聴のわれもスマホが寄り添へば難なく此の世を渡れさうなり

ついにスマホデビュー

2018-05-06 16:20:31 | ブログ記事
今朝はスマホ会社の方が来てくださって使い方の説明をしてくださいました。

ついに私もスマホデビューです。

私はガラケーに不都合がなければ、ずっと使えるだけ使い続けようと思っていたのでしたが、
先月、弘前に桜を見に行こうと上京した折、
ガラケーではホテルの予約もできなくなっていて、
ついにスマホに買い替える決心をしました。

ブログも、現在でもガラケーで投稿はできるのですが、
今年になってから、その投稿画面の確認ができなくなりました。

ですから、出先で投稿して画面確認することができないので不便を感じていたのです。

そこへ先月の上京の際のホテルのことがあり、
ついに・・・というわけです。

まだ今日は繋いでいただいたばかりなので、使い方もよくわかりません。

しばらく勉強しないといけないと思います。

が、ちょっと教えていただいた限りでは、ずいぶん便利そうですね。

私は、一人でよく出かけるわりに、よく迷子にもなるのです。

自分がどこにいるかわからなくなって途方に暮れることもあります。

が、スマホだと自分の居場所が確認できるのですね。

これだけでも心強いですね。

何しろ難聴でもあるので、人に聞いても、その説明がよく聞こえなかったりするもので。

本当はもっと早くスマホに代えるべきだったんでしょうが、
夫が先に使い始めて、
「スマホは余計な機能ばかりついて返って不便だ」と文句たらたらでしたから、
私は様子見していたのです。

それとガラケーからスマホには簡単に変えられるけれど、
逆は難しいなどということも聞き及んで、
もうこのままずっとガラケーでもいいと思っていたのでした。

が、上記した通り、なにかと不都合が生じてきたので、仕方なく。

それにしても、同じ金額の使用料を払い続けているのに、
サービスが低下してくるって変ですよね。←ガラケーのことです。

*

・遅すぎたスマホデビューであるけれどこれでいいのだいろはにほへと

別居して別所帯にすると言って出て行ったのに?

2018-05-05 20:26:58 | ブログ記事
昨日は、今日のことがあるから帰って来てくれたと思う。

が、帰って来たら食事が必要になる。

夫は別居するから生活費もこれからは半分にすると言って半分にした。

が、出て行った一昨日はお弁当を買って食べたらしいが、
昨日は帰ってきて、夕方から寝たようだったが、
夜中に、私が昼間作っておいた牡丹餅を食べたようで、朝見るとなくなっていた。

朝は、私はごはんを食べるから夫用のパンを準備してなかったので、
大急ぎでパン焼き機にパンの材料を仕込んだ。

が、朝書いた記事に書いたように、朝から出て行ったから、
焼きあがったパンを夫は食べずじまいだった。

そして今日の午後、次男の神戸のマンションを一緒に出て、夫は私と川西に戻ってきた。

私は図書館に行ってから帰ってきたが、夫がいれば、夫の食事を作らなければならない。

私は料理は嫌いではない。

だから、作るのは苦ではない。

が、作って食べてくれなかったり、要らないと思って作っていないときに要求されるのは嫌だ。

それが夫にはどうもわからないようだ。

私がいれば自動的に食事が出てくるように思っているふしが見える。

ご飯はすぐにできるものではない。

食べる人にはすぐにできあがったように見えても、
作るには段取りというものがいる。

献立をたてれば、その材料を買い出しにもいかなければならない。

生協に注文する時にも、そんなもろもろの段取りを考えてしている。

決して手品のようにごはんができるわけではない。

それがどうもわからないようなのである。

今夜も夫のご飯のことは考えてなかった。

しかし、夫が家にいる以上、何か夫の食べるものを準備しないといけない。

2階でテレビを見ている夫の様子を見に行くと、
「この番組が終わったら、降りていく」と言う。

ということは、夕食を食べに降りてくるということである。

ご飯は、タッパーに入れてあったのがあったから、それを温めて食べてもらうとして、
おかずは、タケノコの炊いたものがあった。味噌汁の残りもあった。

あと松前漬けもあったから出そうか。

年寄りだから、それだけで何とか食事ができる。

が、私は、
私がごはんづくりを面倒がっているから別居すると言って出て行った夫の
不定期な帰宅のご飯をなぜ作らなけばならないのだろう?

生活費も半分にされたら、かなり切り詰めなければならなくなるのに。

私はごはんづくりを嫌がったりしていない。

私が嫌なのは、夫が仕事に熱中するあまり、
いつ降りてきてごはんを食べるのかわからないこと。

ご飯を作ったのに、急に食べないで出かけられたりすること。

これが耐えられないだけだ。

なのに、どこから私がごはんづくりを嫌がっているということになったのだろう。

私は、毎日ごはんを作っている私のことも、もう少し考えてほしいと思っただけだ。

栄養を考えて、できるだけおいしく食べてもらいたいと工夫していることを
少しは理解してほしいだけだ。

それにしても、夫は別居したのではなかったか??

秋場四郎作「雪悲報来」

2018-05-05 18:36:03 | ブログ記事
少し早めに辞去したから、
まだ図書館の開いているうちに川西能勢口駅に帰りついた。

それで、予約してあった本を受け取ると同時に、

短歌の友人が、角川「短歌」5月号に、
秋葉四郎氏が川西池田を詠っていると教えてくれたので、
それを読ませてもらってきた。

キリストの身許に帰りたる君か川西池田わが去る

だったかな。

記憶が定かでないのと、写真が鮮明でないので、まちがっているかもしれないが、

しかし、見事な追悼歌の一連であった。

新刊の雑誌の貸し出しはできないので、
予約しておいて、来月以降にじっくり味わわせていただこうと思う。

やはり「歌は相聞と挽歌に尽きる」ということを実感させていただいた。

ぽとなむという結社の選者をされていた安森敏隆という歌人を追悼して詠われた一連のようである。

*

・詠はれし安永敏隆氏の縁者この川西にいませらるるや

・亡くなりし病院川西市内とぞあれば私の通院病院?

・わが義母も川西池田駅近き葬儀場にて葬儀したりき

・秋場氏の川西池田を詠ひたる歌を教へてくれし歌友(うたとも)

・秋場氏のこの追悼歌読み直ししたくて予約する図書館で

・図書館は川西池田駅からは五分で我が家からも五分で

孫の初節句

2018-05-05 17:35:20 | ブログ記事


今日はケイタイに充電しないで行ったので、
向こうに行きつく前に電池切れしそうになった。

で、せっかくご馳走してもらったのに写真は写さなかった。

上の写真は、お節句のお飾りだが、
兜は私の長男の時に実家から贈られたもの。

武者人形は、夫の幼い頃に亡くなったお兄さんのものである。

長女の長男のときは、私の実家の母が立派な兜とか買ってくれたが、
お嫁さんの実家にあまり負担をかけさせるのは申し訳ないので、
兜も武者人形もありますと断っておいた。

次の写真は、読者のハイジさんが数日前に送ってきてくださった愛東メロン。



この日のためにとっておいて持参した。

ハイジさん、ご馳走様でした。<(_)>

おいしかったです。

*

帰りは車の予定だったが、次男が買い物とかしたいというので、
車はおいて、また今度は夫と一緒に電車で帰ってきた。

阪急神戸線の十三で宝塚行きに乗り換えて帰ってきたので
帰途は1時間半くらいだったかな。

神戸は同じ兵庫県なのに大阪に出るより時間がかかる。

次男も明後日からは時間をかけて通勤しないといけなくなる。

今日は神戸に行くのに違うルートで行くことに

2018-05-05 11:54:15 | ブログ記事
前回下見した時は、行きは阪急電車宝塚回りで行って
帰りはJRの尼崎経由で帰った

が、今日は趣向を変えて、
川西能勢口バスターミナルからバスで阪急伊丹駅まで行き、

そこから阪急塚口駅まで行き、


塚口駅で神戸線に乗り換えて行く。

三宮行きが入線してきた。


阪急伊丹線は今日はじめて乗車したから、
処女乗車と呼べばいいのだろうか?(^-^)

帰りは夫と一緒に車で帰ってくることになると思う。

本当は行きも夫の車で行く予定だったのだが、

次男が引っ越し先にもってきてほしいものがあるというので、夫は朝一番に大阪のマンションに取りに行った。そして大阪から神戸に直行する。

私も一緒に乗っていけばよかったのだが、体調がよくなかったので、遅れて直接一人で神戸まで行くことにした。

それにしても次男は引っ越ししたといっても、次男の服その他大半のものは大阪のマンションに残したままだ。

いっぺんに運び込むと今度の神戸のマンションがいっぱいになるとかで。

マンションは収納場所が限られるから、どうしてもそうなりがちだ。

私達は大阪のマンションで親子五人で暮らしていたが、

当時は捨てなくてもいい、捨ててはいけないものまで捨ててきた。

と思う。

三宮に到着。

ここで、また乗り換えます。
(^-^)

病は気から?

2018-05-04 17:54:20 | ブログ記事
昨日、夫が出て行ってからは、ブログ書き以外は寝てばかりです。

昨日の午後寝ただけでなく、今日も、午後いままで眠ってしまっていました。

夜も普通に眠りました。

今日は朝から寒気がして、温まろうとお風呂を沸かして入って
出てからずっと今まで眠っていました。

どうも風邪を引いてしまったようです。

いま目が覚めると、夫が帰宅した形跡があったけれども、まだ2階を確かめていません。

夫が出て行ったことは平気だと思っていたのでしたが、
やはりショックだったのかもしれません。

ご飯も、夫がいるから頑張って作るのですが、いないとどうでもよくなりますね。

夫はどうだったでしょう。

夫が帰宅したのには理由があって、
明日、次男のところのお節句のお祝いに行くことになっているからです。

そのため風邪は治しておかないといけないので、いま卵酒を作って飲んでいます。

引き始めの風邪だったら、これで治ると思います。

*

・突然に一人になりし寂しさか寒気おぼえて卵酒のむ

・むかしより病ひは気からと言はれをり気から病みにし過去も数回

・失業をして東京ゆ帰宅せし夫を迎へ弁膜症に

・メーリングリストでわれは虐められわれは大腸癌になりたり

・衝撃を受ければすぐに病むわれの身体はあるひは正直なのか

・今回も何か病ひになるかもと思ふ夫の家出のあとに

・霊感のありし母の子なりしかば人より病ひ感受しやすし

真面目なコメントはリアルな会話より意義がある、と思う

2018-05-04 10:52:12 | ブログ記事
私は、聴覚に障害があるという自身の個人的な事情で、
普通の人なら身近な人とか友人との会話で済ませることも、
ブログに書いていることが多い。

そういうとき、実際の会話以上に有意義に思えるのが、いただく真面目なコメントである。

コメントは、顔が見えないことから、しばしば無責任なことが書かれたりしがちであるが、

しかし、

こちらが真面目に書いていれば、それに応じたコメントもいただけるということを
体験的に知った。

この真面目なコメントというのは、実際の会話以上に意義のあることが多い。

というのが、実際の会話では、ある程度のスピードが要求されるが、
こうしたコメントでは、会話並みのスピードでのコメントもできるが、
じっくり考えてのコメントもできる。

だから、リアルな会話より、実りのあるコメントがいただけることが多いと私は感じている。

もちろん中には、意地悪なコメントや、無責任なコメントもあるが、
それは受けるこちらが取捨選択すればいいのだ。

玉石混交のコメントの中から、自分に必要なコメントを選択すればいいのだ。

私の場合は、ありがたいことに、必要なコメントのケースが多い。

聴覚に障害のある私には、これらコメントは、普通の人たち以上に有益なものだ。

私自身、人様のブログにコメントさせていただくときは、
その人に有意義になるコメントを心がけなければならないと思う。

なかなか難しいが・・・。

*

・聞こえないわれは希望す解決の糸口になる貴重なコメント

・声なしに心ゆ心に届くのがブログ記事へのコメントである

しかし何故急に?

2018-05-03 21:23:08 | ブログ記事
夫は出て行った」の記事を書いてから、急に眠くなって、今まで眠っていた。

今日は、朝からレースのカーテンを洗ったり、冬物の始末をしたりして、よく働いた。

それで疲れていたのだろう。

夫も、朝から次男のところにもって行ってやるものの整理とかしていた。

西北さんへのコメント返しにも書いたが、
 
朝は日本人とユダヤ人の話題で盛り上がって、仲良く朝食を摂った。

夫は、私が買いだめしていた日本人とユダヤ人系統の本を読んで、
それをもとにシニアカレッジで歴史クラブなど作った話を私にしていた。

昨年の春のことだ。

それから発展して、日本の歴史についても私の買ってあった本で学んで、
シニアカレッジの人に感心されたりしたと言っていた。

が、問題が起こったのは、そんなクラブを作って、校外学習を始めてからだった。

数人で出かけることもあったが、特定の人と出かけることもあったりして、
それを私が問題にした。

いや、それだけならいいが、

これも何度も書いているが、

私に嘘をついたのがよくなかったのだ。

歴史の勉強に特定の人と行くのならまだいいが、
昨年の4月に特定の人とジャズ喫茶に行ったことがわかってから、私が怒った。

しかも、そのときに、私が疑念を抱いて追いかけたのに対して、

「今日は一人になりたいから放っておいてくれ」

などと返信してきたのだった。

それが嘘だったことが後でわかって、大騒ぎになった。

それだけじゃなく、秋には私が昼食の支度を整えたあとに急に出かけて、
夜遅くまで帰ってこなかったことがあった。

あとで聞くと、歴史の勉強に行ったが、ほかの人たちが来なかったから、
そのジャズ喫茶に行った未亡人と二人で映画を見て、焼肉を食べて帰ったと。

私は、夕食も作って待っていた。

だから、怒り心頭に発して、
玄関の鍵をかけただけでなく、チェーンもかけて家に入れなかった。

窓という窓はシャッターを下ろして、私は家の中で泣いた。

こんな裏切りをされたのは、結婚以来初めてだったから。

あのときの私の対応が悪かったというのだろうか。

こういうふうに裏切られても、
妻たるもの、にこにこしていなければならないというのか。

わたしはできない。

今年一月に母を亡くして、私は鬱気味になった。

今までは、母が支えだったところがあった。

母を亡くして、夫との関係もぎくしゃくしてきたから、私は精神的に不安定になっていた。

が、最近、関係修復してきたと思った矢先の夫の家出である。

なにがなんだかわからない。

なにもこんなに急に出て行かなくてもと思ったが、出て行きたければ仕方ない。

夫は家にあった、余分の炊飯器や湯沸かし器も車に積んで出て行った。

長期戦の構えのようだ。

長期戦じゃなく、このままずっとになるかもしれない。

それは私も覚悟しないといけないのだろう。

しかし、けさはあんなに仲良く話をしたというのに、なぜ急に?

夫は出て行った

2018-05-03 14:01:21 | ブログ記事
ブログを作り替えてから、夫とブログのことで喧嘩することはなくなっていた。

だけでなく、
大阪のマンションに一緒に片付けに行ったりして、元の状態に戻ったと思っていた。


ところが、今日、昼食の最中に夫は、
「今日の午後から大阪のマンションに行って、しばらく一人で暮らす」と言う。

「え、それは私が考えていたことなのに」

と内心思ったが、黙っていた。

夫は、私がブログで「一緒にいるとストレスになる」と書いたことを根に持っていて、
「そんなに嫌われているのなら、一人で暮らす」と。

それで、今月から生活費も半分しか渡さないと。

たしかに、私は夫がいるとストレスになると書いた。

が、それは、仕事が忙しいときなどに私に怒鳴るからで、
それを止めてくれたら、別にストレスになることはない。

が、夫に言わせれば、怒鳴るのは私のほうだと?

私は怒鳴ったつもりはないけれど、
夫がシニアカレッジで知り合った人とデートしたときなどは家に入れなかったりしました。

デートそのものは別にかまわないけれども、嘘をつかれたことに憤ったのです。

それ以来、夫は、出かけるときに行先を言わなくなりました。

言うと、私にブログに書かれるからと。

最初の間違いが、私がブログのことを家族に教えたことでした。

その次の間違いは、夫が、親戚、友人に私のブログのことを吹聴したことでした。

それで、そのシニアカレッジの人にも、夫のガールフレンドの人達にも
私の作り替える前のブログを読まれていたのです。

私は正直に書いていたから、気の咎めることはなかったのでしたが、
夫はいたたまれなかったでしょうね。

それはわかります。

が、私の、夫に裏切られた悲しさは、夫はわかってないでしょうね。

夫は何も疚しいことはしていないと言うのですが、
しかし、奥さんに嘘を言ってデートするのは反則だと思うのです。

ここらあたりが噛み合わなくて、お互いに自分の気持ちを言うと喧嘩になるので、
もう黙っているしかないです。

まあ出て行ったと言っても生活の基盤はここにありますから、
今後は行ったり来たりになるんでしょうね。

悲しくないと言えばウソになりますが、悲しんでも仕方ないから悲しまないようにします。

それより、自分のしたいことをします。

今年は止めておこうと思っていた、短歌評論賞の応募も、
ダメ元で、またしてみようとも思うし・・・。

*

・わたくしを虐めてをりし義母義妹いなくなりても敵は多かり

・ハンサムでもてる男を夫にし今まで安泰だつたが奇跡?

・七十を越えれば未亡人多くなりて誘惑多し夫に

・めいつぱいお化粧をしてわが夫(つま)を誘ふ未亡人たちの蜜

・化粧せず甘き言葉もかけやらぬ古妻われより他所の人よし

・ほとぼりが冷めれば帰りくるらむか顔にこやかに擦り寄る人ゆ

Re: こんばんは★

2018-05-02 23:06:39 | ブログ記事

冬道麻子さんに写メール差し上げましたら、彼女のほうからも顔写真の写メールをいただくことができました。

それに対する私からの再返信も、ついでに記事にしておきます。

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麻子さま

写真は、適当なのがありましたら、また送らせていただくようにいたします。

麻子さんのお写真も、ありがとうございました。

実は、麻子さんは、私の中高校時代の親友によく似ていられ、親近感を覚えます。

この親友は、50歳を超えたころから、だんだん視力が衰えてきて、現在はほとんど見えない状態になっています。 麻子さん同様、顔も整っていますが、目も大きくて綺麗な目をしています。 とても見えない目には見えません。 が、会うたびに視力は衰えていて、最近では、やっと光を感じるくらいになっています。

眼と耳の違いはありましても、お互い障碍者として不遇な生活を送っておりますので、気が合います。 昔から親友であったのでございますが、最近、より絆が強くなったような気がしております。

これは、ひょっとすると、神様の采配かもしれないと思ったりもいたします。

身体に障害がありますことは、よく言われることでございますが、不自由ではございますが、決して不幸ではありません。

これは、神様からの試練なのであって、この試練で私達は磨かれるのでございましょう。 そういう意味では、こういうふうに、障害が与えられた者のほうが幸せなのかもと思うときもございます。

麻子さんは、身体の自由を奪われておられますが、これも、きっと神様からの賜物なのでございましょう。そんなことを思います。

長々と書いてしまいました。

またメールさせていただくようにいたします。

びこ拝

比較的最近の写真と昔の写真です

2018-05-02 18:57:59 | ブログ記事
(真ん中がわたくしでございます)

私は歌人の冬道麻子さんとメールのやり取りをさせていただいているのですが、
今日、彼女から、私の写真がほしいと所望がありましたので、
手近にありましたものを写メールしたついでに、ブログ記事にもしておこうと、
転記することにしました。

以下、メールの転記です。

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冬道さま

私の写真をということでございますが、最近は、私が写すことはございましても写していただくことはあまりありませんので、手近にありました比較的最近のものと大昔のものを写メールさせていただきますね。

一枚目は2007年に花山多佳子氏が茂吉文学賞を受賞されましたときに山形県上山市まで出向きました折りの写真でございます。多佳子氏とお嬢さんの周子さんと一緒に写っております。

もう一枚は若い頃の写真でございます。30歳頃のものと思います。一緒に写っておりますのは、若かりし頃の夫でございます。




光田氏のことは、また何か機会のありましたときに、それとなく聞いてみるようにいたしますね。

大汝と少彦名」のことにつきましても・・・。

ところで、

私は2003年に心臓弁膜症の手術を受けまして、現在、大動脈弁と僧帽弁は人工弁でございますが、そのわりにはどこでもよく参ります。先月の25日も弘前の桜を見たくなり、高速バスを乗り継いで行こうと新宿まで参りましたが、その先の新宿から弘前行きのバスがどれも満席で、止むなく大阪まで引き返さざるをえませんでした。

私は心臓の悪いことより不便に感じておりますことは、難聴のほうでございます。遠出しましたときに移動手段を確かめようとしましても、人との会話に困難がありますので途方に暮れてしまいます。

が、近年はケイタイの発達が画期的でございますので、ケイタイで検索しながら旅をするということをいたします。

と自分のことばかり書いてしまい、失礼いたしました。

私は人との会話に困難がありますので、その代わりにブログを綴るなどしております。

それでは、またメールさせていただきますね。

(^_^)/~