かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

スマホで人は馬鹿になる?

2019-06-25 10:43:18 | ブログ記事

う~ん、そうも言えるかもしれないけれど、そうでないとも言える。

パソコンを含めて、こういう電子機器によって、

私達聴覚障碍者は大きな恩恵を被っている。

もし、パソコンが、スマホがなければ、

私達の情報障害は今も解決していない。

いくら聴覚障碍者のために手話があると言われても、

私などのように、ふつうの教育機関で育って、周囲に聴覚障碍者がいない人間は

手話を覚えたところで世界が広がるわけではない。

それよりパソコンを含めたスマホなどで交流できるネット社会のほうの恩恵が大きい。

パソコンを始めるまでの私の世界は本であった。

が、本は一方通行である。

パソコンを覚えてからは自分から発信できるという歓びが増えた。

人と対等に付き合えるという立場を確保することができた。

で、偉い学者たちが、

その私達には福音であったネット社会が人の頭を悪くすると言っても、

じゃ、私達のケースはどうなる?とお聞きしたい。

私は、こうした機器に繋がれるようになって頭がよくなったと思っている。

こうして世界が広がることが、頭を悪くするはずがないと思う。

SNSに繋がるから頭が悪くなると言われても、

私達にはSNSに繋がることの恩恵は計り知れない。

私はゲームはしないが、

ゲームをすると頭が悪くなるという言い分も素直には宜えない。

むしろゲームをして頭がよくなることもあるのではと推察する。

少なくとも瞬発力、危機に対する対応力は磨かれるだろう。

ただ

ゲームをはじめ、こういう機器に時間をとられて勉強する時間が減って成績が下がることはあると思う。

が、それは頭が悪くなるのとは別物だ。

と、もう一つ言えば、学校の勉強ができて、それがどうした。

学校秀才は、単に記憶力がいいだけであったりするではないか。

その証拠に最難関の大学を出ても、社会に出て役立たずはごまんといる。

かつてテレビが出始めたころ、テレビを長時間視聴すると頭が悪くなると言われた。

が、そんなことはなかったはずだ。

もし頭が悪くなるのであれば、それはもともとその人の地頭が悪かったのであって、

テレビの視聴によって頭が悪くなったのではなかろう。

私は今でも、テレビの番組からは、ずいぶん勉強させていただく。

いま一番のお気に入りはブラタモリだが、

あの番組では地理、地学が楽しく学べる。

学べることが面白くてたまらない。

それから料理番組もよく見る。

料理番組では料理の仕方を学ぶだけではなく、

最近の食材も知ることができる。

こういうことを教えてくれるテレビの視聴が頭を悪くするのであったら、

いったい何が人の頭をよくするというのだ。

語弊を恐れずに言えば、

こういう馬鹿な論を繰り広げる学者先生こそ頭が悪い。


レジ袋の削減よりも

2019-06-25 04:45:34 | ブログ記事

もっと先にやらなければならないのは、

果物や野菜をプラスティックトレーに入れて売る方式ではないだろうか。

現在もスーパーでは当たり前にそういう売り方をしている。

スーパーの販売方式から、そういう形になるのは理解できないこともないが、

消費者からすれば、明らかに無駄である。

トマトなどもそうされている場合が多いが、

買ってきて出せば、たちまちゴミである。

それと比べれば、

レジ袋はまだゴミ袋に再利用するなどの利用価値がある。

それに全く無くしてしまわれたら、

お出かけした帰途、買い物をしたときなどに困る。

確かに今までは、もらいすぎるレジ袋が無駄になっていた。

溜まるから定期的に捨てなければならなかった。

が、買い物袋持参が推奨されるようになってからはそういうことはなくなった。

少なくとも、私はなくなっていた。

たまにもらうレジ袋はゴミ袋として消費できていたし、

使用後も綺麗なレジ袋はハンドバッグにしのばせておいて、

お出かけ時の少量の買い物の買い物袋に再利用することもあった。

図書館に行くときも、最初から大きな袋を持参するのではなく、

普通のカバンに綺麗なレジ袋を入れていけば、

たくさん本を借りてもレジ袋に入れて帰ることができた。

今までは多すぎたからいらないと思っていたが、

これが全くなくなると困る場面も多くなる。

現在レジ袋が悪の権化のように言われるのは、

聞くところによると、捨てるときのマナーの悪さから来ているという。

すなわち、

コンビニなどで食べ物を買って食べた後、

それをどこにでも捨てるから、そのゴミを入れたレジ袋が海洋汚染の原因になったりしていると。

人々がそれを止めてきちんとゴミ箱に入れて回収してもらうようにすれば、

そういう問題は激減するらしい。

そんなことを聞くと、

レジ袋に対する過剰な対応は濡れ衣のような気もしてくる。

最近の芸能人の不倫などに対する過剰な報道と同じで、

集団ヒステリーのような印象も受ける。

もちろん現在のように使いすぎるのはよくないが、

しかし、全くなくしてしまうのには、私はもろ手を挙げて賛成することはできない。

 


短歌を商業ベースに乗せることの功罪

2019-06-24 21:36:26 | ブログ記事
昨日広報堂という会社から
私の短歌を新聞の広告に出さないかと電話があった。

電話は夫が受けて断ってくれたが、以前も同じような電話があった。

24万円だせば、自作短歌を新聞に載せてくれるという案内だった。

誰がそんな大金まで出して新聞に載せてもらいたい?

ところが、世の中にはお金持ちも多いらしくて、
その誘いに乗って、短歌を出してもらう人たちもいるらしい。

私は、もちろん、お金がいただける短歌など作れない。

が、かといって、自作短歌を載せてもらうのに、そんな大金は支払いたくない。

お金を使って売名行為をして、どうするというのだ。

これとは別に、
短歌には短歌専門の商業誌というのが存在する。

知り合いの歌人は、ときどきこの商業誌に歌を載せてもらっているが、
そのたびに、その商業誌の当該号を10冊ほど購入すると聞いた。

購入して親戚、知人に配るのだそう。

私には、これも驚きだった。

そんなお金を払ってまでして雑誌に載せてもらいたい人がいるなんてと。

もちろん、純粋に頼まれて掲載してもらう人が大半だとは思うが、
中には、こういう人もいるということだ。

それにしても、歌を作るのって、趣味ではないの?

楽しむためにやっているのではないの?

しかし、楽しみで始めても、結社に所属するとランク付けされ、
変な競争をさせられる。

それが正当な競争であればまだしも、わけのわからないランク付けもある。

また、プロと言われるような歌人の歌を商業誌で見たとき、
どうしてこんな歌が巻頭を飾っているの?と不思議に思う作品も多い。

主に若い人たちの作品だ。

短歌界が若い人を欲しがるのは分かる。

が、甘やかすのはどうだろう?

その反動として、実力があっても無名のままでいる人は無数にいる。

私は、短歌を商業ベースに乗せるから、こういう問題が起こると思っている。

短歌なんて、そこまでして売り出す類のものではないと思う。

本来、短歌は人に見せる目的より、
詠うことで詠う人の心が癒されれば、それで十分な文芸だと思う。

死にたいというのは決して弱さじゃない

2019-06-24 08:07:07 | ブログ記事

奥田英朗さんという方の言葉だそうです。

今朝、コメント欄で教えていただきました。

私もそう思います。

ふだんは日常に取り紛れて忘れていますが、

人は根本的に死にたいと思いながら生きているかもしれません。

それを防ぐために結婚があり、子育てがあり、宗教があるのかもしれません。

親が生きている間は親を悲しませたくないという気持ちも強いです。

実際、親は子に先立たれるとひどく悲しみます。

私も、自分はいつ死んでもいいと思っていますが、

子供に先立たれるのは絶対いやです。

夫に先立たれるのも、昨日書いた通り、受け入れることができません。

そうならないためにも、早く亡くなりたいのです。

昨年までは母が生きていましたから、生きている必然がありましたが、

今は、私が死んでも、それほど悲しむ人はいないと思います。

子供たちもそれぞれ家庭を持って、子供を育てていますから、

親の私がいなくなっても困ることもないと思います。

夫は、私がいなくなれば、せいせいする?(笑)

まあ元気な人ですから、困ることはないでしょう。

吉田兼好は

「人は四十路には死なむ」と言いました。

昔の四十歳ですから、現在なら60歳くらいでしょうか。

そのくらいに死ねたら女性もまだ色香が残っていて惜しまれると思います。

男性もまだまだ仕事盛りだから惜しまれるでしょう。

だから本人のためには、そのくらいで死んだほうが幸せということになるのかもしれません。

私は今年71歳になりましたから、少し生き過ぎたと思っています。

ですから、お迎えがくれば、速やかにこの命をお返ししたいと思います。

そう望んでいれば、神様もそうしてくれるかもしれませんね。

ただ一つ、曲がりなりにも歌を作っていますから、

後世に残る歌の一つでも詠ってから死にたいと思うのですが、

これは執着になるでしょうか?

*

★死ぬまでにまともな歌のひとつでも詠ひて死なむ歌詠みわれは

★欲出せばろくなことにはならぬとぞ思(も)ひつつ思ふ歌詠むわれは


『ゴリラの森、言葉の海』

2019-06-23 18:50:23 | ブログ記事
読書しています。

タイトルにした『ゴリラの森、言葉の海』
京都大学総長、山極寿一氏と作家の小川洋子さんの対談集です。


私は15年ほど前に東京の上野動物園でゴリラを見てからゴリラの虜になりました。

上野動物園のゴリラのおっさんが頭陀袋を頭に載せて座っている様子に魅せられてしまったのです。

まるで人間のおっさんでした。

それからテレビでもゴリラの番組をやっていたら見るようになりました。

そうすると、日本には山極寿一氏というゴリラの専門の教授がいることを知りました。

その山極氏を知ってから、山極氏のファンにもなりました。

だって、すごくかっこいいんですもの。

今回、この本は夫が図書館で借りてきてくれました。

私がゴリラのファンだということを知っている夫が偶然見つけてくれた本です。

ほかにも読まないといけない本があるのですが、
読みだすと面白くて夢中になってしまいます。

山極さんのお話も面白いのですが、対談相手の小川さんの質問の仕方もよくて、
現在はblog書くより夢中になっています。

ふだんは私が借りてきた本を夫が読むことが多いのですが、
今回は珍しく夫がよい本を見つけてくれました。

ゴリラのことを聞いていると、
思わずわれわれ人間のことも考えてしまうというような内容の本です。

皆様も図書館などで借りて、ぜひお読みください。

ゴリラのファンにもなりますが、
山極総長、小川洋子さんのファンにもなること請け合いです。

いつ死んでもいいし、早く死にたい

2019-06-23 03:03:46 | ブログ記事

と難聴者の私は思っている。

むしろ一人残されると困るから、さっさと死にたい。

平均寿命から勘案すれば、

4歳年上の夫のほうが10年くらい早く亡くなる計算になるが、

夫は心身ともに健康だから、

事故にでも遭わない限り、私より長生きするだろう。

いな、してくれないと私が困る。

夫はいつも言っている。

「僕は独り暮らしになっても全然困らない」と。

が、本当にそうなってみないと、それはわからない。

なにしろ、現在も仕事はよくするけれど、家事は私に任せきりだから。

夫は家事なんか、その気になれば明日からでもできると思っているようだが、

家事もそんな簡単なものではない。

三度の食事作りだけでもずいぶん知力、体力、時間を使う。

安くておいしいものを作るのにはそれなりの年期が必要だから。

とは言っても、私は事務的なことに弱い。

銀行に勤めていたころは、それなりにしていたが、

結婚後、家の経済は夫が取り仕切るから、いつのまにやら疎くなってしまった。

だから一人残されると困るのだ。

日常的にも、難聴で電話はできないし、近所づきあいも満足にできない。

夫が全部やってくれているから、余計できなくなったような気もするが、

とにかく今は何もできない箱入り奥さんになってしまった。

「箱入り」といっても大事にされているという意味ではなく、

世間的に疎いという意味で言っている。

こんな事情であるから、とにかく私は夫より先に死にたい。

*

★未亡人だけはなりたくなけれどもならねばならぬ日もくるらむか

★早く死ぬことを望めば断らむ延命治療といふ医療措置

★健康なわが夫(つま)豪語してをりぬ鰥夫(やもめ)になりてもつゆ困らぬと


今日は夏至、亡き母の誕生日でもあった

2019-06-22 22:04:23 | ブログ記事

母が亡くなって一年半になる。

亡くなった直後よりよく思い出す。

亡くなった直後は、

まだいなくなったという実感が乏しかったから、思い出すというような感じではなかった。

が、さすがに一年半も経つと、亡くなったことを実感せざるを得ない。

母が生きているころは母の誕生日を意識することもなかったが、

亡くなってから、「ああ、今日は夏至、母の誕生日だ」と思う。

私は第一子の長女を46年前の7月9日に生んだが、

46年前の今頃は出産間際の大きなお腹を抱えて母の実家にいた。

というのが、

仕事をもっていた母は家にいないことが多かったから、

もし母の留守の時に産気づいたらということで、

母の実家に預けられていたのだ。

幸い早く産気づくこともなく、

長女は予定日を1日過ぎて生まれた。

母の誕生日のことを書くのに、

どうしてこんなことを書くかというと、

46年前の夏至の今日、

預けられていた産婦の私に祖母が

しみじみと「今日はお母ちゃんの誕生日」と言ったからだった。

祖母は自分の娘のことを孫の私に「おかあちゃん」と言っていた。

私達が母のことを「おかあちゃん」と呼んでいたからだ。

私の母は祖母の第一子であった。

祖母は私の母を二十歳で生んだ。

母が未熟児で生まれたことは、そのとき初めて聞いた。

あんなに元気な母が未熟児だったなんてと驚いたことを覚えている。

ふだんは祖母も自分の娘である母のことを話すこともないのに、

そのときは孫の私の妊婦姿を見て、

やはり初めて生んだことを思い出したのだったろうか。

母は祖母の自慢の娘であったと思うが、

祖母が母を自慢するのを聞いたことはない。

しかし、大事な娘であったことは、

母の嫁入りのときに持たせた着物は近隣でも評判になるほどの枚数であったことでもわかる。

終戦間際の結婚だったため、

祖母が準備していた花嫁衣裳を着ずに結婚したことを祖母は死ぬまで悔やんでいた。

生糸工場を営んでいた母の実家は戦時中でも絹糸が手に入ったから、

終戦ちかくの時期であったにも関わらず豪華な花嫁衣裳を整えることができた。

昭和19年に19歳で嫁いだ母は翌20年9月に20歳で私の兄を生んだ。

祖母も、やはり19歳で嫁いで20歳で私の母を生んだ。

だから祖母は40歳で初孫を抱いた。

今思い出せば若い祖母だった。

夏至の今日は母を思い出して、その母である祖母を思い出して、

さらに出産間近だった25歳の自分を思い出した。

祖母も母も亡くなったが、

女系として、私と娘が此の世に残っている。

*

★夏至の日に二十歳の祖母はわが母を初産で生み母親となる

★わが母が八月(やつき)子なりしこと語る祖母の優しき口を忘れず

★未熟児で生まれし母の享年は九十二歳の長命なりき

 


人は自分が自分の理解者になってやれば十分だと思う

2019-06-22 03:43:39 | ブログ記事

人は人のことを誤解もするし、誤解もされる。

誤解されたら、その誤解を解こうとするが、うまくいかなくて余計深みにはまるときもある。

そんなときは下手に理解してもらおうと頑張るより、

誤解はそのままにしておいて、

自分が自分を理解してやれば、それで十分だと思う。

自分で自分を理解してやって安らかな気持ちを失わなければ、

誤解もいつか氷解すると思う。

無理して誤解を解こうとするとこじれるが、

自分が自分を理解して平穏な気持ちでいれば、

それは相手にも伝わると思う。

どうして今こんなことを書いているかというと、

最近も、とある人に誤解されたからである。

以前鬱病になったのも、人に誤解されたことが発端であった。

さるメーリングリストで、とある人に口汚くののしられた。

私は、自分ではそんな人間ではないと思っているので、

誤解を解こうとした。

が、それが裏目に出て余計誤解される結果になった。

ああいうときは、下手に釈明するより、黙っているほうがいいかもしれない。

神様は見てくださっている。

神様というと反発を持たれる人がいるかもしれないが、

自分という神様が見ているのである。

人は他人は欺けても自分を欺くことはできない。

自分で、自分は間違っていないと思えば、それで十分である。

自分が自分を理解してやれば、それで十分なのである。

人にどう見えようと、事実は事実であるから。

*

★人間は誤解をするを得意とし誤解されたりしたりもすなり

★誤解され苦しむことは無用にて誤解は誤解無言で耐える

★空海も何度も死ぬこと考へて思ひとどまり生き続けたり

★生と死は表裏一体死ぬことを孕みて生きる人と思へば

★死ぬことは生きることでもありければ死ぬを恐れず生きむと思ふ

★死ぬことが怖くなければ生きること怖くなくなり此の世に生きる

★誤解されながら生きるもよろしけれ理解さるればなほよろしけれ


こんな赤い花が!・・・精神薬の恐ろしさ

2019-06-21 14:06:44 | ブログ記事
さっき食堂の前においてあるプランターを見ると、
こんな赤い花が咲いていました。
百合の仲間なのでしょうね。
植えた記憶がないのですが、
数年前、うつ病になる前に植えた球根かもしれません。
鬱病になる前はプランターをいくつも並べて花を育てていました。
が、うつ病になって、かかった精神科医の処方した精神薬で鬱病以上のひどい目に遭いました。
最初は精神薬の副作用で糖尿病になりかけて、
医師がその薬を急に断薬して別の薬に変えたことから、
薬物中毒の禁断症状に似た離脱症状が出たのです。
すごく怖い思いをしました。
その後、精神薬は完全にやめて元の健康を取り戻したのですが、
一時は心身ともに危なくなっていました。
とてもお花の世話などできない状態になっていましたから、
夫にプランターごと能勢町の土地にもっていってもらいました。
現在あるのは、そのときに残したプランターだけです。
今日赤い花を咲かせたのは、そのときに残したプランターに植えられていたものです。
あの精神薬の副作用、離脱症状で苦しんでいたころのことを思い出すと、今は天国です。
昨日きた友人の息子さんは内科医師になっていますが、
この精神薬の恐ろしさを話しても、
多少は知っていたみたいでしたが、
ここまでの怖さは知らないようでした。
私は、不幸にも、こんな目に遭いましたが、
体験した者の務めとして、
今後は、事あるごとに人に伝えていきたいと思っています。
このblogでも、すでに何回か書きましたが、
初めて読まれる方もいらっしゃると思うから、
繰り返し書いていこうと思います。
*
★平静でいられる幸を噛みしめる過去に悲しき体験すれば
★地獄みて後に地上に咲く花を見れば此の世は花盛りなり
★医師ですら知らぬ精神薬のこと伝へてゆかむその怖さなど
★鬱病の苦しみよりも苦しみし過去の薬の離脱症状
★精神科医師の知らぬも罪なれど知りて処方をせる罪重し
★医師よりも罪の重きは作り売る製薬会社の儲け主義なり
★儲けても地獄に堕ちる定めなり製薬会社と精神科医は
かこさんの「精神医療の真実」↓

動かしたのは口だけだったけど疲れました

2019-06-20 21:03:11 | ブログ記事
友人二人はお昼前に来てくれました。

私はお掃除をざっとしただけで、待っていました。

友人の一人は昼食用のカツサンドを、もう一人の友人はおやつに桜餅とわらび餅をもってきてくれました。

四人分持ってきてくれたから、夫の夕食も作らなくて済みました。

下の写真は夫の夕食用です。

まあ久しぶりだから積もる話があり、いくら喋っても話は尽きません。

まだまだ話の途中だったけれども、友人達も主婦なので、午後4時に帰りました。

私は、友人達が帰ったあと、返却期限の来ていた本を返しに図書館に行き、その後、買い物をしてきました。

たったそれだけのことで疲れ果てています。

この疲れは何だろう?

動かしたのは口だけだったのに?

口を動かすだけでも疲れる年齢になったのかしら?

        *

★四時間をしやべり続けて疲れたり七十超えた女われらは

★だんだんと疲れの出でし顔ならべ七十一の媼ら別る

★会えるうち会つておかうと言ふ友よわれらはそんな歳になりしか

★大阪の北から南から集ひ名残り惜しみて別れぬるかな

★次に会ふことを信じて別れしが次があるとはわからぬわれら

今日は高校時代の友人が二人きます

2019-06-20 11:25:09 | ブログ記事

1人は某宗教を信仰している友人ですが、

もう一人はそうではないので、気楽に会うことができます。

宗教がらみ、選挙がらみとは言え、

こういう機会でもないと、なかなか会うこともないから、

ある意味では「怪我の功名」と言えるかも?

1人の友人は音楽大を出て、ピアノの先生をしていました。

もう一人の友人は地元の国立大学を出て小学校の先生をしていました。

関西に在住しているクラスメイトは、

この2人にあと大阪府立高校の講師をしていた友人と私の4人だけです。

府立高校の先生をしていた友人は強いから?、

宗教がらみの選挙のお願いをしても聞かないと思う。

姫路にも一人いるけれど、こんな時に来てもらうのは少し遠い。

が、われわれの学年が同窓会の関西地区の当番年のときは、

この姫路の友人も参集してくれていました。

というわけで、今日は数年に一度のクラス会です。

お昼は、友人が何か持参しますと言ってきたから、私は待つだけです。

せめてお掃除を頑張らないといけないけれど、疲れるから、ありのままで。

もうそろそろ来るころだけど、来られるかな?

来方は昨日メールで丁寧に書いて送っておいたけれども・・・。

1人の阪急沿線に住んでいる友人は今まで2,3回来てくれているけれど、

川西能勢口駅は出口を間違うと全く違う場所に出るから、

以前、庭でとれたという野菜をもってきてくれたときは、

友人は西出口に出て、私は東出口で待っていたから、お互いに待ちぼうけでした。

JRの川西池田駅は阪急川西能勢口駅より遠いけれど、

駅が小さいから間違えないで来られます。

以前、読者のハイジさんも間違わずに一人で来てくれました。(笑)


私はLINEはしていないのに

2019-06-19 18:31:53 | ブログ記事

こういうメールが届きました。

詐欺メールだと思います。

こういう犯罪は何とかできないでしょうかね。

LINEをしている人だったらひっかってしまうかもしれません。

皆様も気を付けてください。

[LINE緊急問題]

お客様のLINEアカウントに異常ログインされたことがありました。お客様のアカウントの安全のために、ウェブページで検証してお願いします。

こちらのURLをクリックしてください。安全認証

https://www.line-tss.com/

 

この時、旧端末のLINEへ公式アカウント(LINE)から「他のスマートフォンであなたのアカウントが使用されようとしています」というメッセージが届きますが、もちろん自分で操作していることなので、そのまま手順を進めましょう。

※URLの安全認証有効期限は毎日8時から20時までです。

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LINE
LINE Corporation

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モビリティカー=1人~2人用超小型自動車

2019-06-19 11:13:25 | ブログ記事

今日の産経新聞の記事でモビリティカーなるものを知った。

一人乗り、あるいは二人乗り用の超小型車だとのこと。

この車は小さいから事故を起こした時も衝撃が小さいらしい。

記事には、フランスでは運転免許返納者も乗れると書かれてあった。

我が家は夫が今年の誕生日で後期高齢者になるため、

最近の高齢者の事故は他人事ではない。

が、まだ現役で仕事をしている夫に車は必需品である。

最近は電車で行ける場所にはなるだけ電車で行っているけれども、

やはり車で行きたいところもある。

たとえば外食をするのでも、最近は郊外の大型レストランに行く。

そんなとき車がなければ行くことができない。

私はもともと運転免許を持っていないから、

現在も病院に行くのも郵便局に行くのも徒歩である。

自転車で行くときもあるが、自転車も怖いときがあるから歩くことが多い。

が、歩いていくのがしんどいときがあるのも事実だ。

そんなとき、運転免許の必要ない車があればと思う。

自転車替わりになるような車。

現在、脚の悪い人が乗っている車いす替わりの車より少しだけスピードの出る車。

そんな車があれば、私も乗りたい。

大きな公道を走るのは怖いから専用のレーンでもできれば言うことないけれども・・・。

これから高齢者の増える時代に先駆けて国土交通省は考えてくれませんか?


少子高齢化でも若い人のお荷物にならなければいい

2019-06-18 20:48:34 | ブログ記事

「少子高齢化」と叫ばれて、われわれ高齢者が生きているのは悪のような風潮だ。

が、せっかくいただいた命、自分で自分を殺すわけにはいかない。

自分を殺したくなるときもあるが、しかし、それはよくないことなのだろう。

なら、あまり「少子高齢化」と問題にしないでほしい。

要するに、大勢の年寄りが生きていれば、若い人に迷惑がかかるということなのだろうが、

高齢者が迷惑をかけなければいいのだ。

たとえば、老人介護も、

老化が進んだ高齢者の世話は、比較的若い高齢者がすればいいだけのことだ。

本当に世話が必要な老人は、もうそれほど長くは生きられない。

だから問題はない。

問題は、まだ元気があるのに遊んでいる高齢者だろう。

私も、その仲間かもしれない。

私達、前期高齢者は、これからは、自分のできる範囲で働けばいい。

「はたらく」とは「傍を楽にさせる」ことだから、

無報酬でも、できる範囲で働けばいい。

そうすれば、若い人にも感謝されるだろう。

「少子高齢化」から「高齢者が傍を楽にする化」にしたらいい。


親が立派すぎると子の負担になるけれども

2019-06-18 12:06:00 | ブログ記事

最近、立派な職業についている、または出世している親の子が犯罪を犯す事件が続いている。

ネットでは、

出世した親に対する劣等感から、そのような事件を起こしたりしたのではないかと

言われたりしているが、どうだろう。

私事で申し訳ないけれども、

私の父は昔の東京帝大まで卒業していたけれど、

世間的には、それほど出世しなかった。

父は終戦の前の年の12月に結婚したため、

結果的に沖縄に配属されることを免れた。

で、自分は死ななかったけれども、

沖縄に配属された戦友をたくさん亡くしたと聞いている。

そのため父は亡くなるまで戦友に申し訳ない気持ちを抱いていた。

出世しなかったのも心のどこかにその引け目があったからと私は理解していた。

が、兄は違う見方をしていた。

兄は慶応大学に進学した。

そこにはお金持ちの息子がいっぱい来ていた。

大学や下宿で、兄は惨めな思いもしたようだった。

それで大学の休暇で帰省したとき、父が出世しなかったことを詰ったことがあった。

父は成長した息子からそんなことを言われるなどとは思ってもいなかったようだった。

が、言われて何か思うところがあったのか、

晩年、若い人に「やはり出世はしておいたほうがいいかもしれない」と言っていた。

公務員だった父は身ぎれいに生きていれば十分という考えで生きていたが、

兄に責められて初めて

家族のためには申し訳ないことをしたと後悔したのかもしれない。

今回の大阪千里山の事件では、

出世した父親に対する反抗だったのではなどと取り沙汰されているが、

子は、親が出世しても反抗するし、しなくても文句を言う、

そんなものかもしれないとも思う。

兄も晩年は、その息子に責められたりすることもあったらしいから、

そのとき、自分が若いころ父を責めたことを多少は反省したのではないかと思うが、

どうだったろう。

息子は父親を乗り越えていこうとする存在だから、

よきにつけ、悪しきにつけ反抗するものかもしれない。

私には、娘のところにも次男のところにも男孫がいるが、

立派に育ってほしいと願う反面、

あまり無理して道を踏み誤らないようにということも同時に思う。