
月2回刊『ヤングコミック』(少年画報社)掲載 1997年作品 6~8ページを12回
ワシには中一のとき(ワシは小学生)からの競馬好きである兄がいた。72年に馬のインフルエンザで関東の中央競馬が2ヶ月も中止になっていたときにはふたりそろって高まる“馬熱”をおさえられず、紙の馬をつかって“兄弟ケイバ”をしていたほどである。その後、テンポイントの悲劇あたりからワシは競馬を離れるが、兄は寺山修司のエッセイの影響もあって競馬ファンであり続け、特に吉永正人騎手や三冠馬ミスターシービーの大ファンであった。
兄はいわゆる“ひとくち馬主”もしており、何頭目かで念願のシービー産駒をもつことになる。
が、兄はそのデビューを待たずに病でこの世を去った。
“持ち馬”はワシが受け継ぐことになり、これを(ほぼ)ドキュメント漫画にすることになるが、担当の女性編集者神山さんの「マルポさんも別のクラブ会員になって“兄弟ケイバ”を再開させましょう」という意見で余計な予算を投入しなければならないことになり、現実と同時進行の競馬漫画が開始されたのである!
さっそくワシは北海道の牧場で坂路を駆け上がるシービー産駒(後にマイネルサイクロンと名付けられる)を現地で見守り、ツーショット撮影。競馬界の大物Oさんとも記念撮影だ。数ヶ月後には札幌でのデビュー戦をこれまた現地観戦という力の入れよう。
が、競馬を知っている人ならお分かりかとおもうが、現実は甘くない。ダービー…、いやGIでの“兄弟対決”なんてのは夢のまた夢である。サイクロンはデビュー戦で惨敗、しかも走る馬に特有の病といわれる屈腱炎を発症してしまう。
一方、“ひとくち馬主”だけでは話が保たないので、北海道・旭川でのばんえい競馬の回や、97年日本ダービー馬券勝負、そして現在9回分ぐらい“行方不明”なのではっきりしないが、乗馬や馬の“お祭り”の回もなどもあったような気がするのだが、もともとエロ系漫画誌でこんなのやっても人気は上がらず、12回であえなく打ち切りということになる。やはりヤングコミックで連載していた、競馬作品で有名な作家Y先生にはコラム内でほめてもらったのだが…。
『プロレス絵ンマ帳』に勝るとも劣らない予算(すべて自腹)を懸けた大作であるため、この打ち切りにワシの衝撃はあまりにも大きかった。よって最終回には“未完”という文字が書かれてあるのであった…。
なおマイネルサイクロンは1年後に復帰して見事に勝ち上がって能力を見せるも、そのあと激走して粉砕骨折、安楽死の悲劇となった。
また、ワシの500分の1持ち馬であったシルクプリマドンナがオークスGIを制覇するのはさらにその2年ほど後のことである…(『風流温泉ひとり旅』に出てきます。ダービー馬メリーナイスに乗ったことも)
なお文中にもあるとおり現在、半分以上が“行方不明”のため、この文章はあとで変更の可能性があります。(2012年5月18日の投稿)