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うさぎとかえるの里

鳥獣戯画をこよなく愛する自分の日本文化や日常に関する想いをつづります。

歴史街道。

2012-09-27 22:10:35 | 読書


先週買った雑誌を今頃ようやく半分くらい読めました(^^;)

なぜ今頃「楠木正成」なのかよくわかりませんが、この方も私にとって「カッコイイ」人なので
買ってしまいました

自分の信念を曲げず、言うことはしっかり言って、でも忠義を守って後醍醐天皇の為に命を懸けたなんて
本当にすごいです。
なんか、たぶん足利尊氏と敵ながらお互いを認め合っていただけに、もし二人が協力関係にあったら…
なんて考えてしまいます。

吉野の如意輪寺の、正成の息子正行が残した辞世の句も以前見に行きましたが…
(太平記好きにとって、やっぱり吉野は思い入れが深い地です…)
カッコイイ&なんだかもの悲しい気持ちになります。

ある意味、楠木正成が忠臣で、足利尊氏が逆賊だから…太平記の世界では。
だからやっぱり正成はかっこいいのです。

今回の「歴史街道」は、間もなくリニューアルオープンする東京駅の特集もあったりで、
かなり内容濃くて、私は大満足なのです

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2 コメント

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何度もゴメン (お松)
2012-09-28 20:27:50
なんだか俺ばかりコメントしてごめん。
「過ぎるはなんでもいけない・・」とは思ってるんだけど、先日「景教」の話題が出たので追記させてもらいたいのです。

カオリさんの「聖徳太子=イエス」の視点に伴う「景教の日本伝播」に関しましては、実はあくまで「状況証拠として」ではありますが実証されている、と言えるのです。
しかし、間違ってはいけないのは「お友達」がおっしゃるように日本の歴史学界の公式見解としては「証拠はない」ということで、それも正解なんですよ。
だから教科書にはまず載らない話です。
かといって、カオリさんもお気づきの通り、「厩の王子」というのは作り話としては「出来過ぎ」ですよね?

さて、以下に書く話はあくまでも「ひとつの見解」として、けっこう公に流布している説です。
また、俺もいま本を傍らにしてコメント書いているわけではないので、ざっくりとした事しか書けません。あしからず。
実は現在残っている仏教の流派の中には、かなり景教の教えによる影響が認められる「状況証拠」がかなりあるのです。

まず親鸞の浄土真宗。
ひとたびキリスト教を学べば多くの人が気づくのですが、浄土真宗とキリスト教には類似点がたっくさんあるのです。
これは、浄土真宗のお偉いさんの中でも肯定派と否定派が別れるくらいのデリケートな話なのであまり世間一般には出てこない話ですが、たしかです。
そして「資料としての証拠」は無いけれど、「実は修行時代に親鸞は景教に触れたことがあるのでは」という仮説を呼ぶことになります。
ここで詳しく書くと膨大になって終わりませんので本を2冊紹介したいのですが、1冊は題名を忘れてしまったので1冊だけ紹介すると、浄土真宗の幹部でもある大御所作家の五木寛之さんが、カトリックの司祭でらっしゃる森神父と対談した「神の発見」という本があります。
この本は景教について対談した本ではありません。
ですが、対談の中でも何回も触れられてるのですが、浄土真宗とキリスト教が似ている・・という話がいくつも出てくるので参考にはなると思うのです。

次に空海の真言宗。
真言宗は護摩焚きなど仏教の中でも独特な様式をもった流派ですが、そういった煩雑な様式の中に、まるでカトリックの信者が胸で十字を切るような動作があるそうなのです。
これは真言宗を実際に取材した方の書いた本に載っていたのですが(俺が書名を忘れた本です)、著者がその動作について修行僧に「似てますね」と問うたところ、その僧ははっきりと、こだわりなく、「はい。うちの少々流派にはキリストさんが入ってますので・・」と断言されたそうです。

だから、こういった「状況証拠」によれば、景教は確かに日本に入っているようだ、といえますし、
その時期についても「相当に古い時期に・・」ということも可能な訳です。
しかし!
注意するべきは「お友達」のおっしゃる通りなのです。
確固たる1級史料が無い。
それに、こっちも重要なのですが、これは信仰に関わることなので、日常生活において不用意にしゃべるべき問題ではない・・ということです。
先にあげた2流派の、その中でも意見が別れる重大な問題ですので、「おたくには景教が入ってる・・」と言っただけで、中には激怒する僧もいるはずです。

そして最後に聖徳太子。
聖徳太子単体で見ても、一時「実は実在しなかったんじゃないか?」という話が出たくらい史料が少ない人なので、その上に「景教と係わりがあった」という事を実証するのはほぼ不可能といえるでしょう。
しかし俺は、個人的な希望・願望も含めて、「景教の影響を受けている」と思いたい!
だから「うまやどの王子なのだ」と。
それは中世日本においては太子は社会的弱者の信仰対象だったという事実があるからです。
この点、とてもイエスの「人柄」をしのばせる良いエピソードだと思うから。
僕はイエスが大好きなので(笑)。

あと、蛇足ですが、えーーと、有名な国宝の弥勒菩薩が思案しているような格好の像がありますでしょう?
あれが、実は「イエス・キリスト像」の仏教的解釈なのでは?という説もあるのです。
根拠として、あの弥勒の右手の指の形。
指が三本立ってますよね?
実はあれは現代の景教でも信仰の証しとしてする動作、三本の指を立てるその形に酷似しているのです。
これは景教の信者さんなんかは割りと知っている説だそうです。

以上、はなはだ雑に、しかもまた長く書き連ねました、ごめんね。
少しでも参考になればと思って。
今後は少し遠慮するようにします!
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感謝です。 (カオリ)
2012-09-28 20:48:20
遠慮なんてとんでもないです!!
こんなにたくさん、いろいろなことを教えてくださってありがとうございます。
なんか私に教えて下さるために、こんなにたくさん書いてくださって…不勉強すぎて申し訳ありません!お恥ずかしい…。いつも言いたい放題いうばっかりで~~(^^:)

なるほど、と思うばかりで…。

そうですね、宗教に関しては、日本の仏教ではおおらかですけど、世界ではそれで戦争が起きてしまうほどデリケートな問題ですよね…。
なんで日本人はこれほど宗教に関しておおらかなのか…そこもちょっと日本文化を考えるうえで面白いところだと思います。
八百万の神、なんでも受け入れる日本人!…で解決してしまうのかもしれませんが…。
その柔軟性が日本人のいいところですかね…。

こちら、あまり誰も遊びに来てくれない孤独ブログですので、お松さんのコメント、いつも本当にうれしく、同好の志(?)として、(勝手にスミマセン)、いつでも遊びに来て会話してくださいね(^^)

こんなトコでも、お松さんの気晴らしになればいいのですが!
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