「源氏物語とその作者たち」
西村亨さんの本は、昔「知られざる源氏物語」を読んで衝撃を受けて以来。
それから、源氏物語研究本を読むようになったきっかけの先生です。
単なる物語として読んでも素晴らしいけど、書かれた背景が知りたくなってしまうのも
古典と歴史好きならではなのか…あれだけのものがあの時代にどうして書かれ、
今日まで好まれ、伝わっているのか、興味は尽きぬものです。
そしてその「伝えていく」っていうところがポイントのようです。
平安の時代ですから、伝えるにはひたすら手で書き写して写本を作るしかない…
その書き写す過程で、書き手が勝手にエピソードを追加していったのが、
今の恐るべき長さの源氏物語らしいです。
今までの「源氏物語多作者論」をより具体的にしてくれたのが、今回の本でした。
いろいろ納得しました(^^)
いろんな人の手が入るから、つじつまが合わなかったり、
読んでいてなんか違和感を感じたり、だから源氏物語が「難解」と言われるんだなぁ…。
確かにバランスも悪い。
やけに長い巻があったり。
ひとつの巻の中でふたつのエピソードが語られていたり。
たとえば、「帚木」の巻。
有名な「雨夜の品定め」があるところですが、そこが頭でっかちに長い。
学生時代から帚木にぶつかるたびに、「ああ~長い」とか憂鬱になった気がします。
内容的には面白いんだけど、この「雨夜の品定め」部分が終わったと思ったら出てくる
空蝉のエピソードがね…(^^;)
「雨夜…」、後からいろいろな具体例が、どんどん追加されていった結果、あんな量に
なったそうです!
なるほどね~。
主題を為す巻(紫上系)は紫式部が書き、玉鬘系の巻は別の作者が書き…
(さらにそれらに誰かが加筆したりして…)
今のように体裁が整えられたのは、一体いつで誰なんだろう(^^;)
冒頭の「桐壷」でさえ、後付けもしくは紫式部以外の作者?とも言われているくらい。
さらに、光源氏と藤壺の最初の逢瀬の巻が実はあって、消失した…とも言われていますよね。
これは、瀬戸内寂聴さんが、オリジナルでこの巻を書かれましたが…。
そうすると、本当は五十四帖ではなくなるよね~。
こういう本って本当に読んでいてわくわくします(*^_^*)
西村亨さんの本は、昔「知られざる源氏物語」を読んで衝撃を受けて以来。
それから、源氏物語研究本を読むようになったきっかけの先生です。
単なる物語として読んでも素晴らしいけど、書かれた背景が知りたくなってしまうのも
古典と歴史好きならではなのか…あれだけのものがあの時代にどうして書かれ、
今日まで好まれ、伝わっているのか、興味は尽きぬものです。
そしてその「伝えていく」っていうところがポイントのようです。
平安の時代ですから、伝えるにはひたすら手で書き写して写本を作るしかない…
その書き写す過程で、書き手が勝手にエピソードを追加していったのが、
今の恐るべき長さの源氏物語らしいです。
今までの「源氏物語多作者論」をより具体的にしてくれたのが、今回の本でした。
いろいろ納得しました(^^)
いろんな人の手が入るから、つじつまが合わなかったり、
読んでいてなんか違和感を感じたり、だから源氏物語が「難解」と言われるんだなぁ…。
確かにバランスも悪い。
やけに長い巻があったり。
ひとつの巻の中でふたつのエピソードが語られていたり。
たとえば、「帚木」の巻。
有名な「雨夜の品定め」があるところですが、そこが頭でっかちに長い。
学生時代から帚木にぶつかるたびに、「ああ~長い」とか憂鬱になった気がします。
内容的には面白いんだけど、この「雨夜の品定め」部分が終わったと思ったら出てくる
空蝉のエピソードがね…(^^;)
「雨夜…」、後からいろいろな具体例が、どんどん追加されていった結果、あんな量に
なったそうです!
なるほどね~。
主題を為す巻(紫上系)は紫式部が書き、玉鬘系の巻は別の作者が書き…
(さらにそれらに誰かが加筆したりして…)
今のように体裁が整えられたのは、一体いつで誰なんだろう(^^;)
冒頭の「桐壷」でさえ、後付けもしくは紫式部以外の作者?とも言われているくらい。
さらに、光源氏と藤壺の最初の逢瀬の巻が実はあって、消失した…とも言われていますよね。
これは、瀬戸内寂聴さんが、オリジナルでこの巻を書かれましたが…。
そうすると、本当は五十四帖ではなくなるよね~。
こういう本って本当に読んでいてわくわくします(*^_^*)