昨日はK君が星になって百日目。
この頃には季節も変わって悲しみから立ち直る時…とあるけれど、そんな風にはならなくてまだずっとK君のことばかり考えています。
この「悲しみの秘義」は、友人からのクリスマスプレゼントで、さっそく読みました。
昨日、スタバで読んでいたのだけど、読んでいたら涙が出て来てしまって慌てて帰りました(>_<)
悲しいとか、淋しいとか、そういうのを乗り越えなくていいよね。
まわりの人は、わたしを励まそうと、元気づけようと、今までのことを忘れて第二の人生楽しまなきゃ!とか、今まで頑張った分幸せになって欲しい!とか言ってくれるけど
そんな風にはあまり考えられなくて
今までのK君との生活があるから今のわたしがあるわけだから
やっぱりK君と出会って結婚して一緒に闘病して喜んだり悲しんだりして、そういう数年間があってよかった
だからK君は過去のひとになんて絶対にならないし
毎日思い出してK君を近くに感じたりしている
ただ会話したり触ったりできないだけで
K君がいなくなってからいろんなことを考えたり、いろんな言葉や詩に共感することが前より増えた気がする
冲方丁さんの小説
清少納言が定子の栄華とその後の一族の没落を回顧する「はなとゆめ」では、花は枯れてしまうから咲き誇った姿など知らない方がよかった、と比喩表現ででてくるけど
わたしもやっぱりどんなに淋しくて思い出すのが悲しくても、K君との楽しい思い出や結婚生活は経験しないほうがよかった、とは思えないから。
言葉って、文字ってすごいな、と今さらまた気づかされた。
心に寄り添ってくれる。
「悲しみの秘義」を読んでわたしの中でまた世界がすこし変わった。
K君は、一緒にいるときも、そしていまも私に絶えず新しい何かを与え続けてくれている。
ありがとう。