斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

カネディアン宿営地3

2023年11月03日 | 自己満

400年以上昔に日本に来た蒙古族の足跡を推測している。

カナダホト🎪とは、その蒙古族らが集合的に宿営していた金田地区という集落に、その蒙古族らが定住されられ、そのまま今に至っているのではないか?と思われる

ホトというのはモンゴル語である。宿営地が集中化する所というニュアンスの意味である。

「ホト」という単語がモンゴル語なので、カネダという名前もそれに合わせるべく、モンゴル語化。発音の法則により「カネダ」から「カナダ」になってしまった💧申し訳ございませんでした。

カネディアンとは、カネダ地区に定住させられているのでそれからとり、カネディアンとする。チバリアンというネーミング法則と同じである。

カネディアンというのは和製英語のようなものなのでわざわざカナディアンにする必要がないためカネディアンのまま。

 

カナダホト🎪の場所が夏営地だとして、冬営地の候補がカナダホト🎪から20km-30kmの愛川町の山あい、山中の南斜面。10km-20kmの厚木市上荻野の山あい及びその周辺、山中の南斜面。5km-10kmの厚木市飯山の山あい及びその周辺、山中の南斜面。

 

その他にも冬営地の候補になり得る所が沢山あるのである。

 

伊勢原市や秦野市にもそういった、山脈の南麓の、冬の北西から吹く寒波を避けられる山あいが多数存在する。

 

以前の記事

「カネディアン宿営地1

カネディアンの宿営地について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

で書いたように、夏季は集合し春・秋・冬は分散するのであれば、彼らは夏以外の季節、これら丹沢山塊や近接する小山塊の山中や南麓で各々過ごし、夏季にはカナダホト🎪に集合し、秋にはまた冬営地へ向かって分散するのであろう。

 

厚木市の形は、水菜の葉の左半分のような特殊な形をしている。

 

水菜の葉を想像して頂くと、葉の右端が、大きな川に近い草地。葉の中央部が平原、葉の先の方が山あい。

 

左半分の形というのが重要な鍵で、北を上にしたとき、北西に山塊があるという事が遊牧にとってとても都合が良いのではないかと思える。

 

日本では「西高東低」の気圧配置を冬型と言われるが、これは遠く離れたモンゴルでも同じなのではないかと思う。北西から強く寒い風が吹く。

 

しかし実際には、夏営地というのはカナダホト🎪に限らず他にも夏営地があると考えられる。夏だからとカナダホト🎪に全員集合しなければならないという事はない。カナダホト🎪は集合化しやすい営地だったという事は考えられる。

 

しかし、あくまでカナダホト🎪は夏営地のひとつにすぎない。

 

「夏営地の必要条件も草と水であるが、家畜囲いは重要ではない。夏の草原は泉や融雪のような水源の近くに位置している。一般的に夏の放牧に冬営地を使用するのは好まれず、ほとんどの家族はこれを行わない。」

 

「牧民の話によると営地の場所は、水の状態によって変化し、昨年の場所が、今年は「水が悪い」つまり水の確保が難しいのだという。またここで言う水とは、主に家畜用の水である。

牧民は、雨が多ければ草生が良く、家畜に飲ませる水源と湖が増えるため、旱魃の夏よりも「良い夏」である、という認識を持っていた。」

 

「昨年の訪問箇所と数100メートルしか離れていない。地名は勿論ドゥルブンホダグ前年と全く同じ場所には設営しないものだ。とツェベグは述べていた。」

 

「アサルマーは隣県のノルドゴビ県の出身である。また、アサルマーは、夏営地の場所というのは大体決まっており、慣れた場所からあまり遠くへ出かけないものだ、と語った。」

《参照: モンゴル遊牧民の移動ルート選定の安定性-モンゴル国スフバートル県の事例- 尾崎孝宏》

 

 

スフバートル県オンゴン郡の牧民のホト構成員は家族世帯のゲルと、友人の家族世帯のゲルなど、近しい間柄である事が多いようである。

 

カネディアン牧民も多分、これと同じような感じで、現代よりもより氏族性が強かったのではないか?

 

しかし実際に自分は400年前のカネディアン牧民世帯から直接聞き取り調査をしたわけではないので、何も言えることはないが、歩きまわりながら妄想するのは面白い。

 

カナダホト🎪は親族、友人に限らず、色々な世帯が集合してしまって、近隣協働体:一時的な村落共同体のようになる傾向があったのか?

可なり大きい石堆型オボーが出来ていた事からそれが伺い知れる。カナダホト🎪のゲル数は可変であったと思われる。

 

カナダホト🎪に宿営しないカネディアンもいるというなんともややこしい。

 

カネ🌹ディアン🌹とは、チベット仏教とテングリ信仰を併せ持つ蒙古系遊牧民をさす。

 

このカテゴリーの人達はどこで動き回っていてもカネ🌹ディアン🌹という。

 

カネディアンとは、蒙古系遊牧民の後裔が定住させられている金田地区の名称から取った。いわば金田という名称のひとり歩きである。

 

 

「冬営地の最低必要条件は、高い山の南麓と川沿いの低地の近辺が最も満たしていたようである。(中略)ホトアイルは普通、そのような冬営地を幾つか持っており、それぞれに石囲いと糞の堆積がある。例えば、インフォーマント(情報提供者)の家族は寺の周り、1/23マイルの距離に45箇所の冬営地を持っていた。同じ年に全ての営地が使用されるわけではないが、適当そうなものを選んで二つ使うことはしばしばある。」

《参照: モンゴル遊牧民の移動ルート選定の安定性-モンゴル国スフバートル県の事例- 尾崎孝宏》

 

 

カネディアンたちの冬営地の候補が、冒頭の丹沢の山中や、愛川町や厚木市上荻野、厚木市飯山、伊勢原市、秦野市などの丹沢の南麓の山あいの川沿いの低地などが適しているのではないかと考えられる。

冒頭の水菜の葉の先の方に当たる。

 

 

ここにもみじクッキー🍁があります。先日KALDIで大量にあったから買った。めちゃめちゃ美味しかった😋から食べ終わったらまた買おう。

 

これを見て思った。冬営地&平原&夏営地の可視化のようだ。

 

葉の先が高い山の南麓の山あい。クッキーの葉脈に当たるものが、川。どまんなかの縦断する葉脈が相模川。CANADAの文字の左半分のANの下部と葉脈の間の三角地帯がカナダホト🎪

(左半分というのが鍵。右半分の草地を隈なく探したが遊牧遺構は今のところ見つかってない。)

 

正確にはこのクッキーのように線対称にはなっていないが、丹沢山塊の山あいには必ず川がある。このクッキーは丹沢界隈の牧地の可視化のように見えた。

 

これらの山あいは冬営地に非常に適しているという事を意味している。

このクッキーの地形は高低差が激しいわけではなく、平原である。このクッキーはカネディアンの為に作られたわけではないが、説明するに丁度良かった。

 

冬営地の可能性の高いこれらの地域で見つけたい遊牧遺構石囲い

家畜を囲うために使ったであろうと思われる。

 

遊牧民宿営地探しをするに当たって、考慮に入れなければならないのが、水の問題。水の確保や水害の問題。

 

参考にするのは

 

・アキドチャンネル

 

アキドチャンネルは灌漑用水や上水道、水道管や逆サイフォンなどの遺構や水源をひたすら調べて実踏して解説するYouTube 動画。

 

このチャンネルとの出会いは上郷水管橋について調べた事がきっかけ。アキド氏は色んな所を歩き回って撮影してるので、視聴しながらこちらも遊牧民の生活の手掛かりを探している。水についてとても勉強になる。

2度目、3度目を見る時は遊牧目線で見るようにしている。

アキド氏が作った動画をカルガリーは遊牧目線で視聴する。

 

遊牧生活も、結局は水か!と気付かされた。

 

この動画は中の人の顔や声などは一切出て来ないが、動画中に現れるテロップの文体や影や使用する音楽など、アキド氏の人となりが分かりそうな気がするし、アキド氏の水そのものや、現存する土木建造物、土木遺構や田畑、かつての人の生活、ネコなどへの愛がアツい、なかなか刺さる動画である。

 

 

アキド氏は地蔵や祠や道祖神などがあれば気に留める。そういうものに敬意を持っている人なんだなとか思いながら、こちらもテングリ祭祀跡がないか探している。

 

自身もアキド氏に影響を受けているところもある。妄想が止まらないとか、解る。

調べて実踏していると、自分の妄想でも、そうにしか思えない。見えないという現象は解る。

アキド氏は念入りに調べてから歩くので歴史を考慮しながらの旅は色々見えて来るという事を言っており、感慨深い。

 

動画のオープニング曲が哀愁漂う。灌漑用水編の動画のオープニングは欧州の農民のダンスのような曲で、農民の生活の中での憂いや喜びが伝わってくるようだ。この選曲もアキド氏の意図が入っていると思う。

 

横須賀水道道5日目

 

 

この回ではカナダホト地区を通る。

自分のトラス橋についての過去記事で上郷水管橋について書いた。この動画の一文をそのまま使用させて頂きました。

 

動画を撮影した時のカナダホト地区の河原の散乱ゴミは綺麗に片付いていた。

 

カナダホト地区には、トラス橋の遺構がある。

 

ここがいわゆる蒙古系ディアスポラ集落だったと踏んでいる。

 

この集落にはテングリを祀るオボーの痕跡と、金田神社の中世に行われた祭祀に、ナーダムのような長距離競馬神事があった。

これはおそらく、オボー祭りの一部ではないかと踏んでいる。

金田という名称は、カネダと読もうがカナダと読もうが、中世以降の産鉄名称である。以前「産鉄と遊牧」という記事を書いた。

遊牧と産鉄は深い関わりがあるという事がよく解った。

オボー、ナーダム、産鉄地名。この3つを考慮するとどうしても蒙古系ディアスポラ集落だったと思わざるを得ない。

 

過去に自分は金田を「アルタンなんとか」というものだと確信していたが、どうやら「アルタンなんとか」は大清帝国(中国・清時代)以降に蒙古人の人名や地名に増えたと言われているらしい。

カネディアンが倭国に移り住んだのは400年以上前なので、まだ大清帝国支配以前である。

 

次は冬営地。なかなか実踏する機会が無くて。冬営地の可能性のある場所は遠い。

400年前のカネディアン牧民はどれぐらいの範囲で動いていたのだろう?

 

400年前の日本(倭国)は現在では考えられない程、広かったのだろう。

 

長文のご精読ありがとうございます。

 

前の記事

カネディアンの宿営地について2 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

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カネディアンの宿営地について2

2023年10月19日 | 自己満

先日投稿した記事で貼り付けた「図3 遊牧民の1年間のライフサイクル」の画像の文字が小さくてボヤけて見え辛かった事に対してお詫び致します。

字が見えづらく💧読みづらくてさぞかし気持ち悪かっただろうと思います。

 

この図をいくら拡大しようとも、あれが限界でした😵

 

先日の記事の

夏営地☀️(ゾォスラン)

秋営地🍂(ナマルジャ)

冬営地☃️(ウールジョ)

春営地🌷(ハウルジャ)

の下にそれぞれ書かれている内容が、「図3 遊牧民の1年間のライフサイクル」と全く同じ内容です。

 

安心して下さい。書いてます🩲

 

先日の記事

カネディアンの宿営地について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

カナダホト🎪の場所の地図で終わっていたと思いますが、カナダホト🎪はホト・アイルと言われる一時的な村落共同体だったと思われる。

 

記事によく出てくる「ホト・アイル」という言葉について。

ホト・アイルにピタリと来る日本語はありません。

 

ホト・アイルはモンゴル語である。

 

ホトとは宿営地集団。牧民のゲルテントと家畜が群がる場所。

アイルとは、世帯と定義される事が多い。

 

ホト+アイルで近隣協働体と定義づけている書物もある。

 

先日の文献は近隣協働体と定義づけているが、これは一時的なホト(宿営地群)で親族以外の他人と近隣になった場合、濃厚な近所付き合いをし、祭祀の準備や家畜の世話、子供の面倒、ゲルを作る、解体する、井戸を掘るなどの様々な仕事を協力して行うような、一時的な集落と定義づけている。

これはウランバートル近郊の事例であり、ゴビなどではまた違うホトの在り方がある。

(ウランバートルから50km-80km)

 

Tuv aimak () Zuunmod sum()

 

Tuv aimak Bayanchandamani sum

 

ウランバートルの場所

 

ゴビ地方は砂漠地帯で植生が乏しい為、牧民は緑草原よりも分散して生活している。

ゴビ: モンゴル語で砂漠

 

ホト構成員も、核家族のゲルが2つなど、これはホトと言えるのか?というような数であることが多いらしい。

ホトの規模は宿営地の植生に左右される。

植生が豊かだとホトの規模は大きくなり、乏しければ、小さくなる。

ゴビのケースでは、ウランバートル近郊のように夏営地では集合する傾向、それ以外の季節では分散する傾向というパターンはあまり当てはまらないらしい。

ゴビ地方の牧民は世帯毎に飼育している家畜が違い、家畜によって宿営する場所が違う為に、春夏秋冬の営地は世帯毎に違う。

 

(南ゴビ県(ウムヌゴビ県)ゴルバンサイハン地域 ホンゴルオボーとノヤンの2)

 

ではカナダホト🎪はどうか?

 

カナダホト🎪をゴビやウランバートル近郊などと同じ土俵で扱うと自分でも倭国での話をしているのか蒙古国での話をしているのかよく分からなくなる。

カナダホト🎪はゴビ地方のように砂漠地帯でもなければ、高低差の激しい山岳地帯でもない。カナダホト🎪周辺の環境になんとなく似ている記述が文献の中にあった。

 

ハルハ族居住地域の中央部に位置する南ハンガイ県での現地調査に基づいて言及する(中略)彼は「数名の年寄りたちの回想をもとにして、できるだけ個別的なものは避け、共通する属性に留意して、一般的な概念に抽象するように心がけたつもりである」(小貫1985:47)と断った上で、次のようなモデルを提示している。

森林におおわれた山岳地帯(ハンガイ)があって、その南麓からは広々とした半砂漠性の草原が広がっていて、その10キロ〜20キロのところには川が流れているといった地形を想定していただきたい。

このような地形は、遊牧が行われる土地としては、モンゴルでは典型的なものとみてよいだろう。(中略)

山中の南斜面に冬営地が選定される。(中略)

ここを起点に、半砂漠性草原を南に向かって移動しながら、10キロ〜20キロのところにある川筋の草地に、夏営地をおくのが普通である。この冬営地と夏営地の途中の南麓に春営地を選び、夏営地から再び冬営地にもどる途中に、秋営地を選ぶことになる。

天候の一大異変がない限り、このような冬営地-春営地-夏営地-秋営地の遊牧循環を毎年繰り返すことになる。(小貫:48-49)

《参照: モンゴル牧民の移動ルート選定の安定性-モンゴル国スフバートル県の事例- 尾崎孝宏》

 

ハンガイ山脈

 

 

ハンガイ山脈のような森林に覆われた山岳地帯に該当するものは、この地図上では丹沢山塊。それに近接する小山塊。山脈と川の関係は南北ではなく、北西に丹沢山塊、東に相模川。

半砂漠草原に該当する平原は、国道129、圏央道、国道412、県道60が走る、相模川、中津川、小鮎川、荻野川の流域に広がる平原。

愛川町の丹沢山塊麓からカナダホト🎪までが約20km30km

厚木市上荻野、まつかげ台、みはる野などの山麓からカナダホト🎪までが約10km20km

厚木市飯山、宮の里などの山麓からカナダホト🎪まで約5km10km

小鮎川、荻野川は馬で越えるのは簡単そうに見える。中津川は少し難易度が上がるが、場所によっては馬で越えるのは可能であるが、相模川を馬で越えることは容易ではない。

 

川筋の草地はたくさんあるのに何故、カナダホト🎪この場所を夏営地(ゾォスラン)に決定したのか?

SUMMER LOVER

さすが夏営地

長文のご精読ありがとうございました。

つづく

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カネディアンの宿営地について

2023年10月15日 | 自己満

カネディアンの宿営地について

 

再びカネ🌹ディアン🌹という人たちのネタになります。金田地区はかつて*ホトだった。以上。

 

それで終わり🔚にしたかった。

 

ホト: 宿営地集団。遊牧民の移動可能なテントや家畜が群がる所。

 

カネディアンを最初から説明すると無茶苦茶長くなるけど、端的に言うとカネディアンとはチベット仏教とテングリ信仰(天神信仰)を併せもった蒙古族。当時は北元、明からは北虜と言われていた。

 

金鎧人とカネ=ディアンについて - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

それらの一部が約400年前に倭国へ渡ってきた。

カネディアンはチバリアンと同じネーミング法則で名づけました。

 

金田地区に宿営していたから、カネディアン。

 

カネディアンの末裔は未だにこの地区に定住していると昔の記事に書いた。

 

この地区にはオボーがあった。現在は天神祠という石祠が2つあり、一つはテングリ。もうひとつは菅原道真。これらを「相殿にしている」天晒しの一角である。かつては石堆であった痕跡がある。

 

ここはオボーだったのでは?

 

で前の記事は終わっている。

 

祠といえば大体、建物付き、屋根付きが多い。祠を検索しても小さい建物がヒットする事が多い。しかしここは祠とはいえ、天晒しである。

テングリ信仰らしく、空から見える作りになっているのである。ここのホト住民が敢えて天晒しにしたとも考えられる。

 

オボー(天神祠)の説明書きをかいた人は○○市教育委員会などでは決してなく、金田地区の村人である。テングリ信仰の口承を聞いた事のある者。

 

ということは彼はカネディアン(蒙古族)の末裔で、金田地区にはカネディアンの末裔がいまだに居住している。

 

さて本題。

 

カネディアン🇲🇳(蒙古族)について色々知りたい事が出て来た。

 

カネディアンの倭国🗾での生活。

 

⭐︎宿営地や放牧地について。

 

・カネダホト🎪は定住地だったのか?遊牧宿営地の一つだったのか?

 

・遊牧宿営地の一つであるなら春夏秋冬どの営地なのか?

 

・倭国🇯🇵には家畜が馬🐴と牛🐮と山羊🐐しかいなかったのか?

 

・北元(中国でいう明代🇨🇳)遊牧宿営地遠方移動のしきたり🐏🐐があったのか?倭国に於いても遠方移動をしていたのか?

 

・農民という定住民🏘️がいる場所で遊牧は可能なのか?

 

カネディアンは倭国にて遊牧をしていたと仮定したときの憶測💭

 

中世に行われていた、上依知から金田までの10km強の、金田神社⛩️の競馬神事🏇はカネディアンがどの季節に行う神事だったのか?

長距離競馬神事🏇はモンゴル国のナーダムという一大祭りに行われる競技のひとつである。

現在の国家ナーダムは711-13までの3日間に行われる🏇🏹🤼‍♂️

ナーダムの始まりは13世紀チンギス=ハン👑時代にまで遡る。当時はモンゴルの建国記念🇲🇳・遊牧民の越冬・家畜の出産、またモンゴル国民にとって一番良い季節である夏が来たことを祝ったことが起源と言われている。

《参照: TECRA株式会社》

 

という事は金田神社の長距離競馬神事はであった可能性が高い。カネダホト🎪は夏営地☀️であった可能性が高いということ。

 

梅雨と秋雨の間の雨が少ない時期に宿営したと見られる。昔は今のように線状降水帯が発生することは無かった。

この時期は水浸しになる事は少なかったようだ🏞️

 

但しカネダホト🎪が万が一洪水で水浸しであった場合には別の夏営地を探し、宿営していた可能性がある。

 

ある人の話によるとナーダムは匈奴(フンヌ)の時代からあったらしい。

 

*カナダホト🎪は夏営地(ゾォスラン)だったのか?

文献によると遊牧民にとって夏季は他の季節に比べ温暖な気候や様々な牧畜作業と収穫により、1年で最も快適な季節を過ごすことのできる時期であるとともに、他の季節に比べ宿営地に多くのゲルが集まり、世帯同士及びグループ(*ホト・アイル)同士が協力関係を持ち、共同作業や祝宴(祭りや儀礼)が最も盛んに行われる時期である。この宿営地はウランバートルから50km及び80km圏域に位置している。

 

ホト・アイル: 近隣協同体

 

夏営地においては家畜の飼養や搾乳、それに伴う乳製品づくりが活動の中心であり、川の近くや風通しの良い場所など、遊牧民及び家畜にとって1年で最も快適な季節を過ごすにふさわしい場所を宿営地としている。

 

夏営地☀️(ゾォスラン)

6月になってから移動

・より多くの草を家畜に食べさせて肥育するのが目的

・風通しの良い丘陵の尾根部分や水の得やすい湖畔に営地をつくる

(やや集合する傾向がある)

 

5-8月搾乳期

馬乳をしぼる儀礼(しきたり) 7月上旬

オボー祭り 7月上旬-中旬(旧暦の58日もしくは13)

 

 

秋営地🍂(ナマルジャ)

8月下旬から移動

・家畜をさらに脂肪をつけさせて11月中旬からの屠殺に備える

・オトルが頻繁に行われる時期

・冬に備えて干し草、フェルト作成等の準備をする

秋営地においては厳しい越冬前に家畜を肥育させるためにオトルが多くなる傾向がある。

 

9-10月交尾期

11月中旬-12月中旬屠畜

11月終わり-12月始まり屠畜の儀礼(しきたり)

 

*オトルは社会主義時代に生活様式の定着化と生業方式の移動化を同時に果たす方法として積極的に推進された。

 

 

冬営地(ウールジョ)

12月上旬に移動

・厳しい冬越しのために家畜を畜舎に入れて管理し、水を確保する

・厳しい北西風を避けることのできる山かげに営地をつくる

(分散する傾向がある)

・専ら越冬に明け暮れる

 

 

春営地🌷(ハウルジャ)

春営地(ハウルジャ)と冬営地は(ウールジョ)は通常近接していることが多い。

2月下旬から3月下旬までに移動

・家畜の出産を無事に行うのが目的

 

2月中旬-4月上旬出産期

4月中旬-下旬去勢

耳印

剪毛

3月上旬-中旬春の祝福

3月中旬-下旬子畜をとらせる儀礼(しきたり)

4月中旬去勢の儀礼(しきたり)

5月初旬-中旬乳をそそぐ儀礼(しきたり)

 

 

《参照: モンゴル・ウランバートルに暮らす遊牧民の生活環境に関する研究

日大生産工()、モンゴル科学技術大学》

 

 

この文献によるとカナダホト🎪は夏営地(ゾォスラン)である可能性が非常に高い。

カナダホト🎪は川に近く、風通しがとても良く、湿地帯でもなかった。

ホト・アイルや家畜が多数寄り集まっても問題が起こらなさそうな広大な場所である。

カナダホト🎪は金田地区及び下依知地区をも含まれる。

 

・移動する際に行う土地(自然)に対する配慮

 

移動する際に行う土地(自然)に対して配慮している事項を自由意見より抽出すると

 

「ゴミの処理をした後、土地の神様に感謝し乳製品を供える(儀礼)

 

「また戻ってくるので土地を元に戻すように出来る限りきれいにする」

 

「人の手が加わって変えたもの全てを元に戻す」

 

「モンゴルの伝統的な習慣を守って土地を掃除し、掘った穴を埋める」

 

等が挙げられ、概ね全ての遊牧民世帯が儀礼・習慣・掃除への高い意識を有していると共に、保持していることが判明した。

《参照: モンゴル・ウランバートルに暮らす遊牧民の生活環境に関する研究

日大生産工()、モンゴル科学技術大学》

 

 

遊牧民は同じ宿営地に戻ってくる習慣がある。カナダオボーで、オボー祭りが行われていたという妄想は間違いではない。

 

カナダオボーに限らず、夏営地(ゾォスラン)の営地はオボーがよく設置されている場所と被っている。

 

カナダホト🎪のホト構成員は可変であったかもしれない。その時代の遊牧民は氏族単位で生活していたのか、そうでなかったのかはよく分からない。カネディアンは約400年前の遊牧民なので現在のモンゴル人と同じホト構成員ではない可能性もある。

 

これらの宿営地の情報は清帝国時代や社会主義時代を経て社会主義崩壊後の現代の情報なので、400年前のカナダホト🎪宿営人の慣習とは異なっていると思います。

 

 

宿営地に集まるゲルの数は自然環境や季節に応じて変わる。

概ね夏季は集合し、春・秋・冬季は分散する。

 

自然環境が厳しい時期(草が少ない時期、自然災害の発生時等には*オトルを行い、家畜の飼料を求めて移動する。

 

オトル: 季節的な宿営地の移動に加えて、更に別途移動する分派的な移動であり、一部の者が(大抵は男のみ)家畜の一部を連れて移動する。ゾド(雪害)やガン(旱魃)の時などは難を避けるためにオトルが多くなる。

 

カナダホト🎪: 元々はカネダホト🎪カネダオボー、カネ🌹ディアン🌹と表記していた。

 

しかしモンゴル化したいという事でカネダオボーとカネダホト🎪は完全にモンゴル読みにする事にした。

 

 

モンゴル語の母音の法則によればカネダ(Kaneda)という語は存在しない。

 

男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。

モンゴル人に「カネダ」と言わせても「カナダ」或いは「カノダ」と言ってしまう。いずれにせよカネダに違和感があると思う。

金田はカナダ🔱とも読めるので問題はない。

 

*金田で「カノダ」と読む場合があるかもしれない。でもこの場合「鹿乃田」などの転用になる事が多く、金田=カノダは稀

漢字表記重視。

 

カネダは倭、カナダは蒙古。

 

という事で金田の読みは蒙古読み優先で「カナダ」に変更する。

 

カネディアンについては、そのまま続行する。チバリアンと同じネーミング法則。これはモンゴル語ではなく和製英語のようなもの。

 

これから先は完全なる妄想が止まらない。

 

カネディアンは掠奪した馬🐎に乗り、掠奪した牛🐂や山羊🐐で遊牧していたと考えられる。

 

 

カネディアンは北部日本海側で遊牧はしていなかったと考えられる。北部日本海側は雪害が酷過ぎて遊牧に適さない。

 

日本海に辿り着いて酷いゾド(雪害)で一度家畜を失い、分水嶺を越えて太平洋側に出た後も農家などの家畜を掠奪し、遊牧をやり直した可能性がある。

 

群馬の平地は放牧に適しているように思えるが、冬営には不向きだった。

冬営の為に北西の風を阻む山麓にあっても、赤城山からの吹き下ろしのからっ風が厳し過ぎて家畜に良くない。

 

寒波により歩くのが困難になるほどの強風になり馬の走行に支障を来たし、馬の脚をダメにする。

 

群馬や埼玉の平地、現在では広大な田地になっている地域は湿地帯や沼地であった為、放牧には適さない。

 

ホト・アイルで倭国の地理情報を集めて、山地に沿って南下。辿り着いた先は相模国などの標高の高い広大な平原。

 

自然災害などの情報もホト・アイルで得ていた。

ピンが打っている辺りがカナダホト🎪

今日はここまで。長文をご精読ありがとうございます。

 

文献📖:モンゴル・ウランバートルに暮らす遊牧民の生活環境に関する研究

日大生産工()、モンゴル科学技術大学

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「被差別部落の人権侵害投稿が最多」だそうです。これ、自分も抵触しないか心配

2023年09月04日 | 自己満

「被差別部落の人権侵害投稿が最多」

という記事がYahoo!ニュースで上がりました。自分のブログ記事も抵触しているのかとても心配になりました。

 

自分としては「被差別部落」そのものをネタにするつもりで「部落」に触れたのではなく、江戸期の鎖国以前からある歴史的な異民族による移民集落について調べていたらそこが「被差別部落」でした。

 

別に「被差別部落」をわざわざ探していたわけではありません。

記事によると、

「ネット上で被差別地名や個人宅などをさらす投稿が後を絶たない........」

 

 

被差別部落の人権侵害 投稿が最多 - Yahoo!ニュース

 インターネット上で被差別部落の地名や個人宅などをさらす投稿が後を絶たない。法務省によると、ネット上で被差別部落などを示し、人権を侵害する事案は増え続けており、...

Yahoo!ニュース

 

カルガルちゃんねるとしては、被差別部落地名をふんだんに入れ過ぎていたという自覚があり、部落の場所を晒していたという自覚もあります。

 

このブログはまだ人権団体からの摘発を受けておらず運営からの警告もまだされていません。

 

この記事を受けて、その被差別部落のある都道府県と市町村などの自治体を削除しました。

 

この部落の地名は幸いそんなに珍しい地名ではないので、都道府県・市町村を晒さなければ非常に特定の難しいものとなります。

 

この集落は被差別部落であるような示唆を一部行っていたので、その内容の文章も削除しました。

 

何度も言うように、自分は「被差別部落」というネタで書いたものではありません。

 

歴史的異民族集落を実踏した結果、そこが被差別部落である事が判明しました。そういう場合には、被差別部落の人権問題に抵触するのでしょうか?そしてそこは「同和部落」ではありません。

 

この集落を実踏するまでは、ここが実際被差別部落である事が解りませんでした。

 

被差別部落というのは同和部落だけかと考えていましたが、それ以外にも様々な被差別部落の種類が存在するという事実も知る事が出来ました。

普通に生活していれば知ることが出来ない問題に気づく事が出来ました。

 

江戸期の鎖国以前から続く異民族の移民の集落という事で、それがどういう事か深く考えず、半ば興味本位で首を突っ込んでしまいました。

 

その様な民は幸せに、周囲の日本人と調和して暮らしているものと勝手に考えていました。

しかし実際に見てみると、現実はそうではない。

 

衝撃的な事実を突きつけられたというのが正直な感想。

 

集落の民が外側からは見えない制度に縛られる生活を余儀なくされているのかもしれない。

 

鎖国以降、この集落の民はどのような歴史的経緯を辿って、果てには被差別部落という形になってしまったのか、想像に難くはない。

 

この集落の話は東南アジアや中東などの話ではなく、日本でこういう事が起きているのかと非常に衝撃的だった。

 

この部落は解放されているのか、いまだに開放されていないのか、私などには判断がつかないが、

 

解放されたからと言ってすぐに変わるわけではないと感じた。正直な話、日本の深い深い闇が垣間見えた。

 

日本に人種差別はないと思っていた。日本の人種差別は関東大震災から始まったと思っていた。

 

「日本は単一民族の平和な国」という本当の意味が解った。

日本は単一民族だから平和なのである。正確にいえば日本は単一民族だという事になっているから平和なのである。

異民族に、倭人である事を強いたのである。というか倭人にしてしまった。

 

徳川時代が長く続いたのは、反骨分子と異分子をことごとく粛清したから。

徳川を頂点とする世を築く世では「神」を頂点とする異分子、キリシタンを大虐殺した。

これと同じように、倭国全土に住む異民族をことごとく浄化していた。という事実もある。

異民族は徳川にとってそれだけで反骨分子と見なされていた。

倭人の政権が気に食わない異民族に政権を取って変わられる事を徳川幕府は恐れていた。

 

倭人である徳川家が天下を取ったから、現在の倭人は主流民族として存在出来ている。それを忘れてはならない。

徳川家は当時なりの倭人の平和の為に尽力した。まさに平和の為の戦争。

私達は倭人として徳川家に感謝すべきか?

極論すれば、徳川家のやっていた事は現在の中共が新疆ウイグル自治区や内蒙古やチベットにやっているような弾圧と同じ事を

倭国内の異民族にやっていた。

 

日本の平和とはどこから来たのか?日本の平和は虚像なのか?

それらをよく考える機会が、この被差別部落との出会いによって与えられた。

 

戦国期以前の日本は、倭勢力だけではなく、様々な民族的勢力がそこらへんで抗争していた。

大名と言われる勢力は覇権主義の戦争をしていた。至る所で戦をしていた。

 

当然異民族集落というものはそこら辺に存在していて、未だにその残骸があっても不思議ではない。

学校教育では、日本人は縄文人と弥生人の交雑で、それ以降は混血のない単一民族のまま現在に至ると言っている。

最近の本では、日本人の遺伝子検査の結果、縄文時代から何も変わっていないという事を言っている。

 

私は、この手の気持ちの悪さをどうする事も出来ない。

 

被差別部落の中には、異民族部落もあって

徳川時代の途中から内蒙古などのように弾圧され、浄化され、倒幕後の新政府になれば「部落」として平民として扱われず

未だに当局から様々な制度で縛られ、行政からも不当な扱いを受けている所が多々ある。

 

だからそのような部落に対して「知らぬが仏」という問題ではなく、知るべきだと思う。だからと言ってむやみにそのような部落を晒して良いというものではない。

 

このブログにて、晒し過ぎた事を反省している。

 

これからも歴史的遊牧ホトを探していくつもりではあるが、あの部落同様、この問題とぶち当たる事は覚悟しなければならない。

これからも、場所の特定などが出来ないように気をつけて書きます。

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歴史的遊牧ディアスポラの、ホト跡🎪オボー跡探しの目安

2023年08月30日 | 自己満

ホト: 宿営地集団

宿営地とは遊牧民がゲルテントなどの移動可能住宅で居を構える場所。

ホトとはゲルテントが集まり複数の世帯が居を構えている場所。

ホトの構成員が不変の場合も可変の場合もあり、その在り方は千差万別で、ケースバイケースである。

 

オボー: 木または石で作られ、神や先祖を祀る場所である。また、道標や境界の目印としても使われる。

カネダホト🎪=*カネ🌹ディアン🌹の宿営地集団。

カネ🌹ディアン🌹: 仏教徒であり天神信仰もある蒙古系ディアスポラ。金田地区に定住している。

ネーミング法則はチバリアンと同じ。

 

カネダホト🎪は倭人によってホトが固定化されにされてしまったケースのようである。

 

 

カネダホト🎪以外にも倭国全土に歴史的遊牧ディアスポラの宿営地集団の跡やオボーの痕跡がある可能性がある。

 

ここで書く歴史的ディアスポラとは、江戸期の鎖国以前に倭国に移住してきたディアスポラを指す。

 

以下の諸条件は、歴史的遊牧ディアスポラを探すための目安となれば良いと思っている。

 

 

諸条件

 

1.地名

 

・地名の頭文字に黄金など。

地名の途中に

 

・地名の由来を調べてもよく分からない

 

・地名の由来が、移動する民によるものと書いてある

 

その他諸々。モンゴル語、テュルク語、満州語などの言葉が倭語化されている場合もある。見つけるのは相当難しいので、専門知識が必要。

 

)カネダホト🎪の場合

金田カネダと読むが、金田(カナダ)と読む場合

「産鉄」を意味する語になる。

 

金田とは「産鉄」の意味を別の漢字で現したものである

 

読みではなく漢字の意味重視

 

テムジン、テムルチはチンギス=ハーン👑の幼名で「産鉄」を意味する。

 

遊牧民がチンギスの幼名、テムジンなどの英雄の名前を通りの名や地名につけることは多い。

 

金田(カナダ)=産鉄=テムジン(チンギスハーン)

 

当時モンゴル語が解る倭人か日本語が解るモンゴル人がいたかもしれない。

 

カナダとカネダは同じ漢字を書く

 

カナとカネの意味の違いは明確に決まっていないそうです。

よってテムジン=金田(カネダ)の由来ではないか?との見方もある

 

金田の頭文字だから「アルタンなんとか」で、移動する遊牧ディアスポラの一氏族=*アルダン氏族が自分の氏族名をホトに名づけたのが由来だと考えていたが、テムジンが由来という見方もある。

 

地名由来は本当に分からない。

 

アルダン: =アルタン、モンゴル語で(キン)”の意味

 

 

紛らわしいケース

 

横浜市青葉区鉄町(クロガネチョウ)”

いかにも*テムル町のように見えるが、ここはとは全く関係ない。

 

テムル: モンゴル語での意味

 

それどころか、由来が「畔(アゼミチ)が曲がっている」というとこから「畔曲(クロガネ)」と名づけられ、更に「クロガネ」だったら鉄だろうと「鉄」という漢字が当てられた。

 

やまとことば由来のダジャレ式当て漢字ではなく読みはどうでもよく、漢字の意味重視の地名があればマークしておいたら良い

 

日本語の曖昧さに翻弄されるわw

 

金をGoldという意味だけではなく、金を含む金属、鉄、Money、何でそれらを分けないのか不思議だ。普段から日本語喋ってて気がつかないが、よく考えたら、日本語って翻弄する言葉だ。

 

カネという言葉も「曲がる」という意味があったらしい。それは古語だからしょうがないが、

クロガネは「畔曲」のままでいいじゃないか。難読漢字でかっこいい。

 

そこに金だ鉄だという字を当てられると更にややこしくなる。日本語はダジャレ要素も多い。箭弓神社⛩️というのがあるが、あれは弓🏹の神社。しかし「ヤキュウ」という読みで勝手に野球にしている。それでいいのか?と思う。

 

 

 

“”“”黄金“”金剛石(ダイヤモンド💎)“などの鉱物の名前の人間はモンゴルに多い。王侯貴族などにも多く、地名にしている場合もある。

 

カラコルムなどの首都名なども倭国内の地名にして、それが倭人によって倭語化されている場合がある。

 

 

2.寺社仏閣

 

・遊牧民言語由来の地名を見つけたら、寺社仏閣を調べる。

 

祭神が分からない、祭神が集落民の先祖霊

などの場合遊牧ディアスポラホトだった可能性がある。

 

・祭祀なども調べる

祭祀が 長距離競馬神事、相撲神事、弓神事、騎射神事を現役でやっているか、過去の祭祀でそれらをやっていた場合、その可能性がある。

 

 

3.天神祠

 

・実踏する

集落内に天神杜“”天神祠などがある場合、その可能性がある

 

天神祠のある場所が平原や平原にある高い丘、あるいは山頂や峠のような高所か、川や湖などからさほど遠くない場所にある場合はその可能性がある

 

天神は*テングリ、テンゲルの可能性を考えておく

テングリ: =テンゲル。北方アジアの遊牧民族が信仰する天の神。

 

説明書きなどがある場合、写真撮っておく

 

文献でテングリ信仰について念入りに調べる

 

天神祠の説明書きと文献を照らし合わせる

 

倭人の天神の文献と天神祠の説明書きを照らし合わせる

 

倭人の信仰とは違い、テングリ信仰の方が近いようであればその可能性がある

 

・天神祠の場所に夏など草が生い茂っている時期に行く

 

天神祠の床部が円形に形どってあり円形の内側には草が茂っていなければ石堆オボーであった可能性がある

 

円の内側に松などの浅根性植物が植えられていれば地中に石堆が埋まっている可能性がある

 

円形の外側。円に沿って草が枯れていればその範囲が本当のオボーの大きさの可能性がある

 

場所によっては石堆があらわになっている所がある

 

・天神祠には石堆形ではないオボーもある

 

・説明書きがないケース

 

天神祠とだけある場合、それがテングリ信仰なのか判断材料が何もないが、諸条件と合わさっている場合はその可能性がある

 

・道標オボー

古墳で円墳と称されるものの中に、制作年代不明、埋蔵物不明のものがある。

その中で石堆形のものはその可能性がある

 

・境界オボー

古墳で円墳と称され、制作年代、埋蔵物不明の石堆形で村と村の境目などにあるもの

 

 

4.集落の様子

 

清掃工場が必要以上に建てられる

 

火葬場が建てられる

 

公立の精神病院が建てられる

 

鉄塔が必要以上に建てられる

 

不法投棄や散乱ゴミが多く見られる

 

公立の幼・小中・高などがその地区内に1つも建てられていない。但し学童館やチャイルド園は除く

 

大手企業の進出がその地区内に1つもない(ガソリンスタンド、スーパー、ドラッグストアチェーンなど)

但しフランチャイズのコンビニ加盟店は除く

 

集落住民の人心が荒い

 

インフラが整備されていない

 

河岸が汚い

 

地区内に無住職寺がある

 

住職が地域住民によって殺害されたなどの不穏な事実がある

 

集落の様子は全ての歴史的移民集落がこのような状況という意味でも、このような傾向にあるというものでもありません。

集落の様子は、その集落の辿ってきた歴史に深く関係のあるものなので、研究機関に話をする際、必要な事項だと思われます。

 

 

歴史的遊牧ディアスポラ・ホトの諸条件が全て整っている場所は滅多にないと思う。

ホト🎪(宿営地集団)によって千差万別なのでこの諸条件は一例に過ぎない。

 

ホトとオボーがセットになっている場所は大変珍しく貴重なものである。探せども、見つける事は困難を極める。

 

文献を読み漁りながら実踏を繰り返し地道に探していく他にない。

《インスタ参照: alexeyknphotos》

モンゴル🇲🇳ウランバートルのオボー

 

聞き取り調査だけはどうしても研究員に依頼しないと出来ない。

 

それにしてもVIVANT本当にありがとう🌹

 

《インスタ参照: trofimovphoto》

モンゴルの辺境に立つオボー

 

前の記事。カネ🌹ディアン🌹とは↓

 

金鎧人とカネ=ディアンについて - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

 

 

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