斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

遊牧民と産鉄について

2023年09月06日 | 遊牧アディクト

タタラ製鉄について、とても不思議に思うことがある。タタラ製鉄のタタラの語源とは何だろう?

 

タタラ製鉄について

タタラ製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法。炉に空気を送りこむのに使われる鞴(フイゴ)が「タタラ」と呼ばれていたために付けられた名称である。

 

タタラという呼称そのものの語源については不明であり、確実なことはわかっていない。

 

一説によれば、サンスクリット語で熱を意味する「タータラ」に由来すると言い、他にもタタール族を介して日本にもたらされたためとする説がある。

 

他にも大和言葉に語源を求める説もあり「叩き有り」からの訛化、簡略化であり「踏み轟かす」の意、とする文献が存在する。

《参照: Wikipedia

 

自分的には最後の大和言葉説が最も有力だと思うが、浪漫を追うなら「タタール族」説を推したいと思っている。

 

騎馬遊牧民には製鉄技術を持つ民族がいる。

NHKオンデマンドで過去のNHKスペシャル「アイアンロード〜知られざる古代文明の道」を見た。

 

ユーラシア大陸には東西を結ぶ道がある。ひとつは「シルクロード〜絹の道」と言われるローマから日本列島に至る道である。

 

シルクロードは紀元前2世紀から15世紀半ばまで活躍したユーラシア大陸の交易路網。ひたすら砂漠地帯を通る道である。オアシスロードとも言われる。

 

 

もう一つは「アイアンロード〜鉄の道」と言われるトルコ🇹🇷アナトリアから日本列島に至る道である。ここは草原地帯を通るため、ステップロード、草原の道と呼ばれている。シルクロードよりも古く紀元前24世紀頃から始まり、紀元2-3世紀に鉄の製造技術が日本に到達した。製鉄技術が通った道である。

 

シルクロードは文化の通り道に対し、アイアンロードは鉄器、つまり武器。

国家間の争い、国の興亡に直結する。

 

トルコ🇹🇷アナトリア地方カマン・カレホユック遺跡で紀元前24-23世紀、人類初の鉄の製造が始まり、ヒッタイトスキタイ匈奴(キョウド・フンヌ)と製鉄技術が伝播して行った。

 

万里の長城を挟んで

スキタイ朝鮮日本

 

と日本に伝わってきた。日本はまだまだその頃弥生時代。

 

紀元前17世紀にアナトリアの荒野にヒッタイト人が建国し、鉄を量産する。この荒野がかえって鉄を作るのに適した気候条件であった。絶えず強風が吹き、炉の高温を保つのに都合が良かった。

 

*人類初で製鉄を行ったのはヒッタイト人ではないとする説もある。

 

当時、鉄は青銅製の武器よりも硬く青銅を簡単に折り砕く最強の武器だった。

鉄は戦略兵器と言っても過言ではなかった。

ヒッタイト人は当時最強の大国エジプトと核外交のような外交戦略で鉄を利用し、平和条約を結んでいる。

 

紀元前12世紀、鉄の量産はスキタイ人へと移る。スキタイはアルタイ地域という、現在のロシア🇷🇺カザフスタン🇰🇿中国🇨🇳モンゴル🇲🇳4つの国が交わる地域にある。

 

スキタイの人々は金工を得意とし、金工装飾馬具や金工装身具などの芸術を残している。

鉄も熟知し、鉄の薄い刃、槍なども鉄器化していた。

 

そして最も優れた発明は、戦いの機動力を上げ移動革命を起こした馬具の銜(ハミ)

馬の口に装着し、馬をコントロールし、長距離の移動を可能とし、戦闘を有利にさせた。

これを利用した騎馬スキタイ軍は当時の歩兵強大国ギリシャ帝国を撃退した。

 

紀元前3世紀、産鉄技術は万里の長城を挟んで匈奴と漢に分かれる。

匈奴は冒頓単于(ボクトツゼンウ)の時代に12基の製鉄炉を持ち、漢を圧倒し前漢の初代皇帝劉邦を苦しめた。弓矢🏹の鏃(ヤジリ)に強靭な鉄を用いていた。

鏃は製鉄炉にて量産していた。鏃は甲冑を貫き、一度刺さると抜けにくい形をしている。

 

その後漢は、前漢全盛時代の武帝の時に高炉、そして強靭な鉄を生む炒鋼炉を作り出した。そして対匈奴戦争を開始し、匈奴に勝つ。

 

日本では朝鮮半島から稲作が伝わり、鉄器が入って来て農具や武器になった。その頃日本に伝わった製鉄技法が「タタラ製鉄」と呼ばれる。じきに村同士の戦争が起こるようになり、国が出来ていった。

《参照: クマケア治療院日記》

 

騎馬民族は製鉄と切っても切り離せないという事が解る。

 

鉄を制するものは世界を制する。

 

中央アジアのウズベキスタン🇺🇿やカザフスタン🇰🇿などでは、金工アクセサリーや銀工アクセサリーの制作が現在でも盛んだ。

モンゴルにおいても、女性が金属で飾り立てている。遊牧民と金属の関係の深さが窺える一端である。

 

それらは装飾馬具文化と元が同じだということも想起出来る。

 

 

 

話は始めに戻って、タタラ製鉄の語源の話。

 

前前回のブログに、テムジン(チンギスハーン👑の本名)という名前は「産鉄」を意味する。と書いた。

 

テムジンはテムルチ、すなわちモンゴル語で「鉄を作る人」「鍛治職人」の省略形になる。

《参照: AI技術でウマ娘と化したオゴイ》

 

実際にチンギス=ハーン🐺🦌は鍛治職人だという🔥🗡️⚒️🔨🛠️🔥

 

チンギスハーンを表す言葉として「鉄の音」と称する書簡も存在している。

 

対外文書の中からモンゴル帝国の首都ハラホルム(カラコルム)を訪れた修道士ブルクが12547月に帰国する際、当時の大ハーンであったムンケ=ハーンからフランス王ルイ9世に宛てた服属呼びかけの文書の中にそれはあった。

 

「永遠なる神の命なり。天上には唯一の永遠なる神いまし、地上には唯一の君主チンギス=カン、神のみ子、テムジン=ツィンゲイすなわち「鉄の音」あり……

《参照: モンゴル帝国時代におけるハーンたちの世界観について ソーハン・ゲレルト》

 

これから見ても解るように、モンゴルの遊牧民の間でも産鉄が盛んであった。やはり鉄を制するものは世界を制する。

 

満蒙およびシベリアの鉄器文化も極めて古い。

製鉄技術の源流地とされる中央アジアで鍛鉄奴隷であったトルコ系民族の*突厥(トッケツ)、いわゆるダッタン人が、放浪のままに鉄冶を広めていったと言われている。このダッタンの語源であるタタールが転化して倭国の製鉄炉を「タタラ」と呼ぶようになったとも言われている。

《参照: 「たたら製鉄」と「鉄穴流し」による山地の荒廃と土砂災害 一般財団法人 砂防フロンティア整備推進機構 砂防フロンティア研究所長 森俊勇》

 

 

突厥: 6世紀頃に強大となったアルタイ山脈を本拠地とするトルコ系騎馬遊牧民の国家。

突厥ははじめ柔然に服属していたが、優れた製鉄技術(アルタイ山脈は鉄鉱の産地であった。)や「草原の道(アイアンロード)」の交易の利によって力を蓄え木汗可汗(ボクカンカガン)のとき柔然を滅ぼし(555)、ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼして(567)、モンゴル高原からカスピ海に至る大帝国を樹立した。

《参照: 世界の歴史まっぷ 内陸アジアの新動向》

 

ちなみにカザン・タタール人が話すタタール語というのもテュルク系言語だ。

テュルク語というのは突厥語を指す。カザン・タタール人は自称タタールの集団であると言われていて、本物のタタールは東タタール、つまり現在のモンゴル族を指す。

しかし、突厥はダッタン人=タタール人という事は、カザン・タタール人はまんざら自称タタールでもない。

 

西タタール(カザン・タタール)と東タタール(モンゴル族)との関係とは。

 

「タタラ製鉄」の語源はやはり「タタール製鉄!」

 

大和言葉によるものではなく、これであると信じていたい!

 

タタール人はやはり産鉄民族だったのか!

 

今までタタールとタタラ製鉄というのが、私の頭の中で繋がらなかったが、NHKや様々な人のブログや論文の助けもあって繋がることが出来た。

 

この複雑な内容を分かりやすく纏めるNHKの凄さ。

 

草原の道(ステップロード)がアイアンロード(鉄の道)とも言われている事も分かっていたが、その繋がりも良く解らなかった。

 

なるほど!そういう事なのか。

 

中央アジアに金工モノがやたら多い事や、タタラ製鉄という呼称、テムジン=産鉄、金田ホト(カネダ=カナダ)の宿営地集団、馬塚の埋葬品(金属性の装飾馬具)…..

 

これらの関係が全て関連していた。もしかしたらモンゴルの「アルタン」人名・地名の由来も遠くない理由かも知れない。

 

「草原の道」は奥が深い。

 

自分が遊牧ネタに足を染めた頃、「草原の道」を自分の守備範囲にしていた。

「カルガリー」という北緯50度前後にある経済特区とその周辺の大平原と美しい岩山のインスタ写真が全ての始まり。

 

私はそれを突厥の故地と呼び、理由もなく愛でていた。

 

しかし昨年の今頃、5人ぐらいから指摘を受け、「カルガリー」とその周辺、アルバータ草原及び岩山は「全て北米のもみじ国🍁」と言われ、自分の勘違いに気づき、それ以降「草原の道(ステップロード)」から遠ざかってしまいました。当時自分がステップロード(草原の道)だと思い込んでいた道は北米のもみじ国🍁の(Trans もみじ  Highway 1号線🍁)のアルバータ州からマニトバ州間(プレイリー(草原)3州という北米のもみじ国🍁内陸)でした。

 

北米大陸には産鉄の歴史はありません(現在はあるが、ここでいう産鉄の歴史とは、北米先住民の歴史を指す)

北米だけでなく中南米にも、先住民による産鉄の歴史は存在しない。

 

北米先住民にはアジア系の顔の部族もいる。先住民とユーラシア遊牧民、顔がよく似ていて、先住部族によってはシャーマンの姿など遊牧民に酷似している者もいる。

 

どこでファーストネーションズなどと遊牧民の区別をつければ良いのか?

それは、金工装飾の有無。ファーストネーションズ(北米先住民)の民族衣装には金工装飾が皆無である。

 

一旦草原の道から離れたが、紆余曲折を経て、色々な要因が重なり結局「草原の道(ステップロード、アイアンロード)」に帰って来ることが出来た。

 

やっぱ文献読み漁りは面白い。これからも文献をいっぱい読み漁りたい!

 

結局私の守備範囲はステップロード。

 

という事で長文のご精読ありがとうございました。


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