以前の記事「中央アジア北部の風を感じるもの」と、「中央アジア北部の写真を見て、日本的に思えるところ」の2つがあるが、これはそれ系の続き。
↓この中で遊牧生活や遊牧国家に関わりそうなものはありますか?
相模川中腹の内陸(両岸の穀倉地帯、相模野台地、厚木)辺りをよく散歩する。
→相模原市(田名 田名塩田 上溝 当麻 下溝 麻溝台 北里 双葉 美園 新磯野 磯部 新戸)
→座間市(新田宿 座間 座間入谷 四ツ谷)
→海老名市(上今泉 下今泉 泉)
→厚木市(上依知 猿ヶ島 山際 関口 中依知 下依知 妻田 金田)
とその周辺。
私てきにはヨツヤ(四ツ谷)とキンデン(金田)が関わりがありそうな気がしますね。タナエンデン(田名塩田)のエンデン(塩田)やタイマ(当麻)も関わりがある気がします。
なんにもない所をただただ散歩するのが大好きなのである。自分ではなぜだかよく解っている。ただ快感を覚えるのと、その続きに内陸アジアが存在していると思っている。
なんにもない田舎は日本全国どこでも同じかといえば、そのような事はない。むしろこの辺りの地域は、日本の他の地域のどこにも似ていない特殊な雰囲気がある。内陸アジアに迷い込んだ錯覚をするほど、特殊な空間利用の仕方をしている様にも思える。
「中央アジア北部の写真を見て、日本的に思えるところ」という記事の一番最後に書いたこの部分
↓
これは都市伝説と同じで、確証が充分ではない単なる私の憶測なので鵜呑みにしないで下さい。
単なるロマンです。
相模川は江戸時代に「馬入川(ばにゅうかわ)」と呼ばれていた。
↓
馬入川は、相模川の河口の呼び名
名前の由来は源頼朝の乗る馬が突然暴れ出し、川に入り込んだことからこの呼び名がついたという伝説と、頼朝が川で落馬した、などの伝説もあります。
ジョチ・ウルスの滅亡は1502年か1783年と言われている。
その頃に起きた混乱か、気候変動による家畜の餌不足などで遊牧騎馬民族は、馬や家畜を大きな船に乗せ日本に流れて来た可能性が考えられる。
相模川の河口からその船が大量に入り、相模川中腹の平原に降り立ったという。それで馬入川。勝手な妄想です。
相模台地や厚木は、かつて良馬の産地だった。
相模原市麻溝台などには乗馬クラブなどがあり、相模台地にはそのような施設が沢山ある。その名残りかと思われる。
現在のあの辺り一帯の風景の誕生は、騎馬民族が紆余曲折を経て次第に定住した跡だった。
ここが大陸と地続きだと錯覚させられる。
教科書に載る、日本の大きな歴史にはそのような事は書いてない。
私はここら辺出身ではないので、ここの伝承などは知らない。が、伝承はあるのかも知れない。
ローカルな伝承ぐらいでは歴史にならない。
騎馬民族の数もどれ程いたのか解らない。当時は入国管理など全くしていなかった。
これがもし、何百とか何千とかではなく、何十万とかいれば歴史に残っていたのかも知れない。
それでも口頭伝承では歴史にはならない。
当時の自治体の役所関係にあった人が、毛筆で移民事例などを編纂していれば、ローカルな歴史としては成り立っていたのかも知れない。
でも日本の大きな歴史には組み込まれない。
大きな歴史に組み込むか組み込まないかは、国次第。
それにしてもあの人達は何処へ行ってしまったのだろう?
相模川両岸の何処かの一画が、元騎馬民族の居留地として今も残っている事も考えられる。
彼らの先祖は元々騎馬民族だったのである….
みたいな展開にはなっていないのであろうか?
そういう人達は自分のルーツを明確に知っているのだろうか?騎馬民族の部族名まで解っているのだろうか?
騎馬民族の末裔に限らず、私はそういう日本人に今まで出会った事がない。
私は純血種日本人なので、自分のルーツは日本人以外に全く考えられない。
他人にはもちろん、相手が言って来ない限り「ご自身のルーツは解っていますか?」なんて事は聞けない。
誰からも、自分のルーツについて話をされた事はないし、そんな話題にもならない。
自分では解ってても、他人には絶対に喋らないっていう人は多分いる。
私はハーフの人と親しくなった事はないので、よく知らないが、ハーフへの虐めが酷いらしいという事が近年SNSで知るようになった。
私には混血などというものは遠い遠い世界の話でハーフや1/4など、そういう人には全く関心がなかった。
ハーフが虐めの被害の話を読んで思った事は
「日本社会では混血というものがあってはならない」
という風潮。
フィリピンやベトナムなどアジアのハーフは自分から言わなければ隠せるが、黒人や白人のハーフは隠せない。正直に言って可哀想。
日本では人と違う事は良しとしない傾向にあり、ハーフだと、人と同調する努力をしても形が違うから虐めの標的になりやすい。人種差別のようだが、根本的な原因が違う。形が違わないアジアのルーツでも、自分のルーツを隠している人は多いと思う。
日本は単一民族とされて来たし、孤立言語を話し、孤立文明である。外国人からよく「精神の孤児」と長年言われて来た。技術や政治や法律を学んでも、その精神は取り入れなかったという。
日本の歴史としては、まだ民族意識の確立してない縄文、弥生の昔に人が渡来して、一部地域に於いてのみ混血があった。そのうち、多分騎馬民族出身であろう天皇家が大和朝廷を建て、中央集権が進む。高句麗などからの渡来人が一部存在する。
その時点でもう単一民族ではないが、何故か日本は単一民族として括られている。
日本は、日本民族。それだけでアイディンティ的悩みは全くない。それはそれで良い事だと思う。
でも、世界中でこれだけ自己完結している国は日本しか存在しない。
コロナ禍前は外国やら世界にあまり関心が無かったが、コロナ禍以降、遊牧世界やアジアに覚醒して解った事だが、日本以外のヨソの国は他国と歴史的な深い繋がりがあり、同じ語族としての血縁関係がある。身内意識もある。
国境なんてものは、単なる国の境ではなく、軍事境界線、休戦ラインである事が殆どである。民族の境目ではなく国家当局の都合によるもの。だからディアスポラが世界中に存在している。
韓国人でさえ、自分達の祖先はツングース系遊牧民だという事を知っている。
日本人は、自分達の祖先は縄文人か弥生人か?そのどちらか。縄文人も弥生人も、何処から来たのかさっぱりわからない。天皇家さえも、自分らはルーツを知っているのだろうが、表向き外国から渡って来た事にはなっていない。高句麗などの半島からの渡来人については、殆どが他人事で埼玉県の高麗郡の人以外は、自分のルーツが半島に有るかも知れないと考えもしない。
日本人の大半は、現存する外国のどの民族とも実際に繋がりのない非常に独特な孤立人種なのである。
という事をわきまえて、私は日本民族。ただの日本人という事を誇りに思って生きて行きたい。
世界と繋がりのある他民族を羨ましいと思いながら、良い考えは真似をしようと思うが、気質や精神は外国人の真似は出来ない。
やはり私は外国人とは違う。全くをもって日本人の気質である。どう努力したところで気質や精神構造は外国人にはなれない。
遺伝子が精神構造などの内面にも影響しているという考えは持ってはいけない。思ってもいけない。
といつも自分に言い聞かせているが、うすうす遺伝子の影響もあるんじゃないかと思ってしまう。これは差別に繋がるから本当に良くないのだが、民族性は遺伝子で決まっているのではないか思える節もある。もちろん慣習や環境や歴史なんかもあるのだろうが、それらのものが遺伝子に刻み込まれていると、薄々思う。動物はそうなので、人間が例外という事ではないと思います。
人間は理性でそれを抑えたり出来るというだけの事。
などと、なんにもない所を考えに耽りながら歩く。
続く
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