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【驚き!】徐福が日本史を変えた!(@_@)

2024-07-24 16:15:10 | 古代史
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徐福伝説について分かり易くご紹介していただき、有難うございます。
徐福が来日したのは紀元前219年のことで史実と考えています。
司馬遷「淮南衡山列伝」『史記』 巻百十八で海神の要請で「遣振男女三千人、資之五穀種種百工而行。徐福得平原廣澤、止王不來」とあります。海神は当時の倭国(北部九州)を支配していた奴国王(ナーガ=龍蛇神国王)のことです(^_-)-☆。
青銅器の冶金技術者を須玖岡本遺跡の横の須玖タカウタ遺跡に住まわせて最初の官営工場が造られ、武器型青銅祭器を列島内の縄文海人ムナカタ族の首長らに与えて、当時の列島最大の交易センター比恵・那珂遺跡群に出入りさせて取引税を徴収したのです。徐福は、奴国隆盛に大きな役割を果たしたと考えています。
鉄の冶金技術者も日本独自のものがあると言われていますので、徐福の青銅器技術者の子孫が後に半島の技術者から見よう見まねで習得したものでしょう。

奴国王は、王族を伊都国に配置し、対外交易によって後漢光武帝から金印を賜うまでになります。倭国はシルクロードの東端と位置付けられて、倭国の珍しい品々を求めてやって来る楽浪郡などの華僑を三雲遺跡番上地区に住わさせて盛んに交易しています。

奴国の宮廷祭祀は、徐福が連れて来た楽師が担当したと推理しています。倭国大乱は帥升(正しくは楽師師升)が奴国王スサノヲを殺して倭国を奪ったことが本当の原因です。師升の孫の難升米と旧奴国(狗奴国)との戦争です。纏向遺跡を王都とした狗奴国王(スサノヲの弟ニギハヤヒの子孫、記紀の崇神天皇)が倭国を討ち、日本を統一して建国します。古墳時代をもたらした遠因は徐福来日だと思います(注1)。

徐福は奴国王から、伝承地の佐賀平野を支配地として与えられたと推理しています。吉野ケ里遺跡の北内郭は古代シナの城郭の影響を受けていると言われますので、徐福が連れて来た土木技術者の子孫がかかわったと推理できます。機織り技術も徐福所縁の子孫が持ってきたようです。亀山勝氏は著書「安曇族と徐福」の中で、徐福が弥生の産業革命を興したとされています。とても参考になりました。

新撰姓氏録に徐福の子孫が現れないのは藤原氏にとって建国の史実を隠す目的だからだと考えられます。代わりに諸技術を百済王の子孫の渡来人秦氏がもたらしたものとしていますが、これは日本書紀のデマです。秦氏は武内宿禰(つまりスサノヲの子孫出雲・丹波王)の子孫波多氏のことだと突き止めています。古事記を作った多氏とも関係があり、隠された史実を暴露したい大国主所縁の人々と推理しています(詳細は「秦氏と古事記の関係?」参照)。
このように徐福をキーワードにすると日本の古代が解けてきますね。どうもお邪魔しました(;^ω^)


【関連記事】
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)


倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)
徐福が楽師を連れてこないで、最初から倭人と縄文人の祭祀が融合していたならば、倭国大乱もなく、その後の悲劇も起こっていないと思います。




(注1)
徐福が連れて来た楽師の子孫の宮廷祭祀を担当する司祭帥升(正しくは師升)が2世紀初頭に反乱を起こし、最後の奴国王スサノヲを殺して倭国を支配します。奴国を逃れて吉備を抑えたスサノヲの弟ニギハヤヒ奴国を再興し、ヤマト王権の基礎を築きます。スサノヲゆかりの地(辰韓、対馬、隠岐、北陸など)を支配したのが出雲・丹後王国を築いた王子イタケルの子孫三代の王です。倭国大乱で師升の子孫の伊都国男王難升米を苦しめます。

ニギハヤヒが第19代王天照大神尊とされ、縦築王墓に葬られます。スサノヲの王子イタケルらも脱出し、出雲で暮らしますが、その子八束水臣津野命がスサノヲゆかりの辰韓や弁韓から鉄素材を供給させ、対馬、隠岐、珠洲などのムナカタ族鉄のネットワークを作り、隆盛にします。大型四隅突出型墳丘墓の西谷三号墳はイタケルを葬って八束命が出雲王となる儀礼を行ったと推理しています。墳頂で行われるその儀礼が古墳時代に引き継がれていきます(詳細は「国引き神話は史実だった?(その1)から(その5)西谷墳墓群の被葬者は?」参照)。

鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有
2世紀末の倭国大乱と3世紀後半の建国の戦いの模様を推理できます(^_-)-☆


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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