刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

古代半島人の正体は?(#^.^#)

2024-11-13 18:51:08 | 古代史

いつも応援ありがとうございます。
よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ )

#土井ヶ浜弥生人のゲノム解析結果を東大理学部が発表していたことを下のYouTube動画で知り勉強させていただきました(プレスリリース英語の論文をダウンロードできます)。よろしければお付き合いください(#^.^#)

 
@hirouchida3068
コメントありがとうございます!三重構造モデルに違和感があった中で、支持しない論文が出てきたので今回動画にしました!

Y染色体だと縄文とO1bが優位という点がポイントですよね。いまのところ個人的には縄文人が半島に移動してそこで混血が起こったと考えています。松菊里と西北九州弥生人はつながっていたと感じますね。

斎藤さんの三段階渡来モデルも刮目天さんのブログも拝見させていただいておりました!とても参考になります!
私は第二段階が遠賀川式土器の勢力で土井ヶ浜弥生人はその子孫、第三段階を斎藤さんは古墳時代としていましたが弥生中期の早良、奴、平原が源流なのではと見ています。それとは別に古墳時代以降も帰化人が断続的に入ってきたために古墳人より現代人のゲノムがやや大陸よりになった気がしています。

​ @hirouchida3068  さん 早速いいお返事をありがとうございます。
第二段階の遠賀川の勢力ですが、現在は倭人と混血した縄文人かも知れないと考えて改訂しようと思っているところです。と言いますのも、純粋の江南系呉王族とその家臣の江南の倭人(アズミ族)が早良平野の吉武高木遺跡に入ってくるのは弥生中期初頭(紀元前4世紀初頭)と見ています。先住の有田遺跡などの住人が遠賀川土器の人々で、多分倭人と混血した縄文系の人々なので、呉王族と少し抗争があり吉武大石遺跡に初代奴国王天御中主の家臣の一部が戦死して埋葬され、すぐに平定されたと推理しています。

平原王墓は古墳時代初期(270年頃)に纏向遺跡の狗奴国王卑弥弓呼と同族の尾張王らによって討たれた女王台与だと推理しています(詳細は「【検証4】平原王墓の被葬者は誰だ?」参照)。台与は帯方郡などの華僑と辰砂の取引を伊都国に常駐して管理していたと推理しています。和歌山県の伊都郡に丹生都比売神社がありますが、台与が祀られていると見ています。ヤマト朝廷は、先に高良山で討ち取った大国主高野御子と妃の台与の祟りを最も畏れています。高野山縁起に登場する丹生都比売の御子を高野御子としていますが、これは誤魔化すためです(^_-)-☆

おっしゃるとおり白村江の敗戦後まで半島の倭人(縄文系も含む)が断続的に日本に帰化してきたと見ています。百済王族は天智天皇が本家で、分家に当たる呉王族だと推理しています(詳細は「天智天皇とは何者だ?( その4 )」参照)。
またいろいろと情報交換させてください。有難うございました(#^.^#)

 @katumoku10  遠賀川の勢力については弥生早期の愛知朝日遺跡の人骨もゲノム解析結果が出ているので興味深いです。 年代観の違いによって色々な角度で考えられるのが古代史の面白さですよね!ブログ改めて見させていただきます! これからもよろしくお願いします!
 

通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )