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【ゆっくり解説】記紀から抹消されている謎すぎる宇佐神宮と邪馬台国の関係
闇のミステリーハンター【ゆっくり解説】@YouTube
<「空白の世紀と倭の五王の謎(その1)・(その2)・(その3)」参照>
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宗像女神市杵島姫卑弥呼を宇佐市安心院町三女神社で奉斎するとの伝承のある福岡県三潴郡の豪族水沼君(みぬまのきみ)も卑弥呼と同じムナカタ族だと、その古墳の形状(円墳)から分かります。久留米市権現塚古墳の墳丘は径55メートルの2重の濠を巡らせた円墳で、外堤の直径は約150メートル。五世紀ごろ築造の御塚(おんつか)古墳は帆立貝式前方後円墳で全長125メートルの三重の周濠がめぐっていますが、帆立貝式はムナカタ族の大型円墳から派生したものです。四世紀の富雄丸山古墳も小さな造り出しのある円墳ですので卑弥呼が祖である和邇氏のものです(^_-)-☆
西日本有数の生産量を誇る ~安心院ぶどう~(宇佐市公式観光サイト)
魏志倭人伝に倭地温暖で冬でも生野菜を食べ、はだしで生活するとあります。卑弥呼の居た三柱山台地は温暖なでブドウ栽培に最適な気候のようです。卑弥呼は葡萄酒は呑んでませんが、濁り酒を楽しんでいたようです。泡をすくう土器が出土していますから。毎晩、河原の露天風呂に入って、ふろ上がりにすっぽん料理など山海の珍味を食べて贅沢で快適な生活を送っていたようです。北九州で皆既日食が起こらなければ歴史は違っていたかもしれませんね(^_-)-☆
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