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#いつも興味深い磐座の写真を投稿していただいているsazanamijiro様のブログに、コメントしました。拙ブログで紹介させていただくので非公開コメントにさせていただきました。よろしければお付き合いください(#^.^#)
神社数ランキングベスト5は? そして磐座信仰との関係は?
2024/11/02 06:00
数年前なのですが、東洋経済オンラインに
日本に多い神社仏閣名トップ50
という記事がありました。ベスト5は次の通り。
1位 八幡神社 4809
2位 稲荷神社 2652
3位 熊野神社 2132
4位 神明社 1931
5位 諏訪神社 1890
ただしこれは、法人登記されている神社数です。例えば別の神社の境内社や、全国津々浦々にある小さな祠にも「八幡さん」は多数見かけます。あるいは信仰内容は同じでも、「八幡宮」や「八幡社」は名目上別社扱いされて数には入っていません。
稲荷神社も同様で、実数ははるかに多いと言えますが、それでも現代日本の神社信仰を考えるうえで重要な統計であることは間違いありません。
いつも、いい話題を有難うございます。とてもきれいな写真ですね(;^ω^)
この人気の神社の御祭神は全て実在人物ですよ( ^)o(^ )
八幡大神が応神天皇となるのは8世紀半ばからで、その前は、応神天皇の本当の父の大国主高野御子ですから。神宮寺が弥勒寺ですので本地仏が弥勒菩薩です。朝廷が国譲りさせたので、大国主の祟りが一番恐ろしいのです。ほとんど知られていませんが、空海も高野山で大国主の鎮魂のために真言密教の修行場にしたのですから(;^ω^)
2番目が稲荷神社ですが、ウカノミタマがダキニテンです。その正体は伊勢神宮の豊受大神で大国主の妃の女王台与でした、これも伊都国で討ったので祟りにおびえていますので、修験道で菊理姫とか白山比売として祀っていますから(詳細は「悲劇の女王台与のはなし(その1)(その2)(その3)(その4)」参照)。
3番目の熊野神社ですが、スサノヲです。両親も祀っているのはスサノヲの祟りを抑えてもらうためです。八百万の神によって高天原を追放された乱暴者の神ですが、この史実は107年に後漢に朝貢した倭国王帥升(本当は奴国宮廷楽師の師升らが第十八代奴国王スサノヲを捕らえて拷問して殺したのです。金印の在りかを聞き出すために髪の毛をむしられ、手足の爪を剥がされて、贖罪で全財産を没収したと古事記にありますので、史実を暴露したのです。金印は部下のアズミ族がいち早く持ち出し、志賀島に埋めて隠したのが江戸時代に百姓に掘りだされたので、間違いなく本物ですよ。純度が95%だということは20世紀になって分かったのですから間違いないです(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?」参照)。
スサノヲは部下の縄文海人ムナカタ族と一緒に丹後半島や朝鮮半島に出かけることが多く、縄文式の見る銅鐸祭祀を奴国の伝統的な宮廷祭祀に持ち込むよう命じたために師升らに憎まれて殺されたと推理しています。ですからスサノヲは疫病神の元締めなのです。追儺という鬼払いの行事はスサノヲの史実に因むものだと考えています(詳細は「熊野信仰の秘密?【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その24)」参照)。
4番目の神明社は女神アマテラスを祀っていますから、明治時代からでしょう。伊勢神宮内宮の祭神天照皇太神は昔から男神という説があります。つまり三輪山の大物主大神(大国主)です。謡曲「三輪」に「今さら何をいわくらや」とあります(;^ω^)記紀神話は江戸時代に本居宣長や平田篤胤が創ったものなのです。幕末の勤王の志士に人気になったので明治新政府は国家神道を創設して、学校で国史を教えたので戦後の日本人にも定着しています。でも、江戸時代まで、8世紀に藤原不比等が不都合な史実を隠すために神話を創ったのですが、神仏習合や修験道などの影響で龍蛇神(ナーガ)信仰の中世日本紀に読み替えられていたのです(斎藤英喜「読み替えられた日本神話」講談社現代新書 参照)。
5番目の諏訪神社も大国主の子タケミナカタが祭神ですが、史実を隠すために国譲り神話にして上社で大国主を、下社で台与を祀っているのですよ(詳細は「あの諏訪大社の神様も?」参照)。
白髭神社の祭神猿田彦も大国主の分身でした(詳細は「「神」はサルタヒコを示す暗号文字だった?!」参照)。
卑弥呼は八幡比売神として八幡神社で祀られていますが、宗像大社や厳島神社や神仏習合して弁財天として祀られていますよ。八幡大神と八幡比売神は奈良時代に朝廷から特別な神階である品位が贈られています(詳細は「日本人の神様って?」参照)。
あとは淡路国伊弉諾神社と備中国吉備津神社の吉備都彦に贈られていますが、吉備津彦は奴国を脱出して吉備でヤマト王権の基礎を造ったニギハヤヒ大王天照大神尊なのです。この二柱が本当の皇祖神で今上陛下はその末裔と推理しています。平安時代の貞観の前あたりから地震や津波が頻発し、富士山や阿蘇山も爆発して治安も悪くなったので皇祖神の加護を祈ったようですよ。藤原氏のウソがバレてしまいましたね(詳細は「古代史の盲点はここだ」参照)。
長々とお邪魔して申し訳ありませんでした(;^ω^)
早速ブログのネタにさせていただきます。どうも有難うございました(#^.^#)
【関連記事】
大国主は神仏習合して弥勒菩薩とされていますので(注)、七福神の六柱の男神は全て大国主なのです。
そして紅一点の弁財天は宗像女神市杵島姫命卑弥呼だったのです。
これが七福神の正体です。
所によっては吉祥天を入れて八福神のところもありますが、これが台与です。
(注)宇佐神宮の神宮寺の弥勒禅院を開基したのは、国東半島の六郷満山を開基した法蓮上人です。六郷満山の寺院で旧正月に行われる火祭りの修正鬼会に登場するやさしげな男女の鈴鬼は大国主と台与の夫妻だと考えています。二人の鎮魂のための行事だと推理しています。詳細は「白川琢磨『「鬼」と伝統文化』七隈の杜 第11号/2015年 pp.18-28」をご参照ください(;^ω^)
室町時代にまとめられた「佐陀大社縁起」によると佐陀大社で神在祭が行われていたとあります。そして異国から来た二匹の龍の夫婦を祀っていたとありました。すでに、「大国主はトビヘビだった(^◇^)」で述べたとおり、出雲における龍蛇信仰の起源のような場所なのです(注1)。二匹の龍の夫婦は大国主高野御子(狗古智卑狗)と女王台与であり、「なぜ、ヤマトの大王を天皇としたのか?( ^)o(^ )」で紹介した中国(なかつくに)神話の人面蛇体の伏羲・女媧と一致します。伏羲は三皇の最初に出てくる天皇です。天照大神尊ニギハヤヒも大国主もどちらも天皇伏羲の末裔の奴(ナーガ)国王ということでした。このことを隠すために藤原不比等が日本神話を創作しましたが、10世紀の東大寺の僧が暴露したのです(「王年代紀は記紀神話を正した!」参照)。
中国神話は日本人の神話だった?
【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その19)
中国は「中つ国」、つまり龍蛇神(ナーガ)の国なのですよ( ^)o(^ )
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方と科学的な解明手法を説明していますので、是非ご参照ください!
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