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ほとんどの日本人が知らない『天皇』の正体
土岐総一郎の偏見聞録〜オトナの裏教養〜
興味ある話題を有難うございます(#^.^#)
多くの皆さんは記紀神話が江戸時代にできたと聞いて驚くと思いますが、本当です。それまでの日本神話は、720年に完成した日本書紀で創作されたものが、神仏習合や修験道などの影響を受けたナーガ(龍蛇神)信仰の中世日本紀と呼ばれるものになっていたのです(斎藤英喜「読み替えられた日本神話」講談社現代新書 参照)。
皆さんは現存する最古の正史日本書紀が、天武天皇の命令で編纂されたので天皇の歴史書だと教わっていますが、完成したのは崩御の34年後なのです。時の権力者は藤原不比等でした。3世紀までの日本建国の史実が不比等にとって都合が悪いので、神話を創って誤魔化し、人代もかなり歴史が改ざんされていることが、事実、つまり考古学や民俗学などの成果から分かっています。でも、天皇の歴史書だと洗脳されているので、古代史の謎はロマンと思っている方がほとんどです。
普通ならば、事実に基づいて文献批判を行うべきなのですが、津田左右吉からほとんど進んでいません。事実と異なるのが分かれば編纂者の意図が推理できますので、何を隠したのかをさらに事実で検証していけば古代史の真相が見えてきます(詳細は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」参照)。
古事記は712年に完成された最古の歴史書だと言われていますが、9世紀の学者多人長(おおのひとなが)が突然表に出してきたものなのです。正史に古事記の記録がありませんし、日本書紀が参照した痕跡もないのです。日本書紀が隠した史実をそれとなく暴露する暗号書だったことが、事実から分かり、更に暗号を解くと古代史の真相が見えてきました。ほとんどの古史古伝も、古事記と同じ理由で、荒唐無稽な内容の中に史実をほのめかした内容になっているのです。
古事記は神道祭祀の氏族が細々と伝えてきたのですが、江戸時代になって国学者の本居宣長が発掘して絶賛しました。神道家の平田篤胤がその影響を受けて記紀神話に基づく復古神道を提唱したのです。これが幕末の勤王の志士らに人気になり、明治新政府が神仏分離令を発すると全国的に廃仏毀釈運動が起こりました。ほとんどの仏教寺院で神様を祀っていたので打ちこわしに遭い、僧侶も無理やり還俗させられました。あまり酷いので政府は後で寺院を復活させたのです。そして記紀神話に基づく国家神道を創設して、学校で国史を教えたので、戦後の日本人も記紀神話が日本の太古からの伝承だと洗脳されているのです。
これに気付くと、古代史の謎は芋づる式に解けてきました。詳しくは「刮目天の古代史」をご参照下さい。
![]() 『國文学名家肖像集』所収の宣長像
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平田 篤胤 | |
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![]() 『國文学名家肖像集』の平田篤胤
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天皇の称号のルーツは中国神話の三皇の筆頭天皇伏羲に由来します。中国は正しくは「なかつくに」つまり「ナーガ(龍蛇神)の国」です。紀元前3500年頃の長江下流域の良渚遺跡が紀元前2500年頃に洪水で突然消滅し、生き残った伏羲と女媧(人皇)の夫婦が人類の始祖神という神話が伝えられています(詳細は「中国神話は日本人の神話だった?」参照)。そして天皇陛下が天皇伏羲の末裔であることの証拠を倉敷市楯築王墓で発見しました。詳細は「【大発見!】天皇家のルーツの証拠!」をご参照ください。どうもお邪魔しました(;^ω^)
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