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奴国は「なこく」と読めないって?( ^)o(^ )

2025-02-06 00:00:05 | 古代史

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 #下の@イヌノマキビさんへの当方のコメントが消えていますが、異論なのでお気に召さなかったようです。よろしければ、またお付き合いください(#^.^#)

いつもコメントありがとうございます。意見の相違はあるものの、参考にされていただく事柄もあります。奴が水の女神だったとか。今後共、よろしくお願いいたします。
 
@katumoku10

「奴」の発音はおっしゃるとおりなのですが、これは倭人の発音「nag(なーが)」に由来しているのです。「が」の音は小さいので「なー」「な」に聞こえるのです。

なぜそういうことが言えるかというと、倭人は江南出身の人々で、へび神(ナーガ)を信奉する人々なのです。

その証拠は、那珂、那賀、長柄、中山などなど日本列島に数多くある地名で、各地に那珂郡がありますが江南系の倭人(アズミ族)が開拓した土地なのです。福岡県の那珂川あたりが奴国の中心地で、比恵・那珂遺跡群に列島最大の交易センターを置いて人々が取引を行って奴国が繁栄したのです。奴国王の直接支配が及ぶ北部九州と半島南部(伽羅)が当時「倭」とよばれ、春日市須玖遺跡群に王宮や青銅器製造の官営工場を営んで、交易に来る縄文系倭人(ムナカタ族)の族長に青銅祭器を渡してシナと同様な冊封関係を作り、各地から品物を持ちこむ人々の中継地でそこの部族長に便宜を図らせ、交易を円滑に行う目的もあります。

そして対外的には伊都国にも王族を置いて、伊都国内の集落や、その前は壱岐市原の辻遺跡で楽浪郡などからの華僑や半島南部の倭人・韓人らの交易を管理していたと考えています。東洋史家の岡田英弘先生は、後漢の皇帝は総合商社の社長で、華僑の交易を円滑に行えるように奴国王に華僑の権益を保証させる領事の役割をさせたと「日本史の誕生」(弓立社)で説明されています。

ですから国宝金印は「漢の倭の奴(な)国王」と読むのが正解なのです。ちなみに金印では「倭」を「委」と書いてますが、他にもいくつか例が見られますので、当時の流行のようです。

そして重要なのは初代奴国王が記紀神話の高天原に最初に降り立った神として誤魔化した天御中主だったのです。新唐書・宋史 日本伝の王年代紀に奴国王が名前だけ記載されていますが、三代目までは福岡市西区の吉武高木遺跡に日本最初の王墓が発見されています。その中の二代目天村雲命の木棺から三種の神器が揃って出土しているのです。両書には「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」と記載されていますが、多くの方は記紀神話を信じているので、重要な事実に気づいていません。詳しくは「王年代紀は記紀神話を正した!」にありますので、ご参照ください。倭国大乱の原因から卑弥呼の登場、そして日本建国まで判明していますよ(;^ω^)

 
伝承では饒速日が大陸の大月氏より直方平野に船で訪れたとある。天神降臨、委倭国が成立 よろしければ…https://youtu.be/yldOrUMIkq0?si=v0F8i2GrKeeHjjCV
 
 
 
#重要なことを言い忘れました。
 
金印の紐(つまみ)ですが、漢帝国は周辺の異民族を冊封体制に組み込むために与えています。そのため鈕の形はそれぞれの民族のシンボルとなる動物(亀・羊・駱駝など)を象ったものにしています。倭の奴国(なこく)の場合、それがヘビ(nag)なのです。詳しくは福岡市博物館の金印のページにありますのでご参照ください( ^)o(^ )
もともと駱駝の鈕をヘビに変更したと見られています。

それから、発音についてもwiki「漢委奴国王印」に以下のとおりありました。

倭と奴の発音は、藤堂明保編『学研漢和大字典』(学習研究社)によると

とされる。

ただしこれは、現代の中国語方言と同様、中国の国土全体が古来単一音であったということを意味しない[23][24]ので、金印の印文の読音についても「漢語の方言論」の視点から再考すべきことが提唱されている。三宅の当時「ノ音はあってもド音はなかった」とする漢語単一論に対し、漢語方言論に基づく、地域を違えてのド音とノ音(ナ音)の同時並存説がある。久米雅雄は前漢の揚雄が著した『方言』や『漢書』西域伝に登場する「難兜国」へ頒給された印章「新難兜騎君」印に注目し、漢代には上古北方漢音系の「ど」と上古南方呉音系の「な」「の」が並存したとする説を提唱している[25][26][27]

[23]^ 王育徳「中国の方言」方言史『中国文化叢書1 言語』 大修館書店、1967年

[24]坂井健一『魏晋南北朝字音研究―経典釈文所引音義攷』 汲古書院、1975年

[25]久米雅雄『日本印章史の研究』 雄山閣、2004

[26]久米雅雄「国宝金印『漢委奴国王』の読み方と志賀島発見の謎」『立命館大学考古学論集 IV』 立命館大学、2005年、55-68

[27]久米雅雄「国宝金印の読み方」『月刊書道界』2009年8月号、藤樹社

【関係記事】

【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?

記紀神話は吉武高木遺跡に降り立った呉王族の史実を隠しました

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆

10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として倭国から日本国という国号に変わったことが正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)

 

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