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【拡大解釈を楽しむ】古田武彦「幻の九州王朝」を地図でなぞる試み|天孫降臨編
地図をなぞって日本古代史を考える@YouTube
@katumoku10
とてもいい話題を有難うございます。
天孫降臨の場所の古田さんの解釈は、天孫降臨の史実に基づくものだと分かりました。
新唐書・宋史 日本伝に「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」とあるのは、ご存じのとおり、10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したからです。
初代王天御中主から23代までの奴国王が筑紫日向宮に居たのですが、最後の王の4男が大和橿原宮に都を遷したとあり、23代の王名が列記されています(新唐書の32代は誤記、宋史が正しい)。
日本最初の王墓が福岡市早良平野の吉武高木遺跡です。三代の王とそれぞれの妃や王族が墓域に葬られています。二代目が天村雲尊、三代目が天八重雲尊で、三種の神器が出土した木棺が二代目のものだと分かります。つまり、四代目の王天爾聞尊(あめのににぎのみこと)にレガリヤを授けて、周辺を平定させた史実の伝承から記紀神話の天孫降臨神話が不比等によって創作されたと分かりました。
天爾聞尊は福岡平野に進出し、その子孫の奴国王が比恵・那珂遺跡を交易センターとして整備し、奴国隆盛の礎を築いたのです。王宮を春日市須玖遺跡群に遷したと分かります。
このように記紀神話の高天原は奴国王が支配した北部九州の倭国のことだったと分かりました。
古田さんが提唱した九州王朝説は、史実が藤原不比等によって神話に書き換えられたために、空想に空想を重ねた結果なのですよ(#^.^#)。
考古学や民俗学などの成果からアブダクションという科学的な手法によって推理すると不比等に隠された古代史の真相が見えてきました。
王年代紀は日本の建国過程を解き明かすとても重要な史料でした。
詳しくは「王年代紀は記紀神話を正した!」「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」などをご参照ください。失礼しました(;^ω^)
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多くの日本国民はまんまと騙されましたが、藤原氏の栄華の基礎を築いた藤原不比等が権力を握るために何をしたのかを隠すための藤原氏の歴史書でした(^_-)-☆
【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?(;´Д`)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/54/4840d552fdc5cebc23517fb786772466.png)
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として倭国から日本に国号を変えたことが正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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