数年前から癌を発症し、近隣の病院で施術をし、回復を待って、多摩川に写真を撮るまでになった同僚のカメラマンが、2月の上旬に他界した。昨年の12月には数回出会ったが、その時は、以前投与を受けていた癌の特効薬が効いてか、顔色も戻り、順調に回復しているように見えた。その折も、糖尿病のインスリン注射は続けているようであった。しかし、治験中の特効薬は、副作用を生じたため、以前の投薬に戻っているとのことであった。投薬処方については担当医師が判断することで、素人には口を出すことはできず、別のカメラマンから訃報を知ったわけである。おそらく、本人は、信頼できる医療関係者にセコンドオピニオンとして相談していたと考えられるが、結果として残念な幕締めとなってしまった。
同僚のカメラマンは本人のブログに投稿したご令嬢様の訃報の通知と生前のご尊父に対するご交誼及びご厚情に対するお礼文で知ったということであった。なんとも歯がゆい気分が続いている。生前の元気な折には、一緒にカメラを構え、野鳥を追いかけたことや、カメラで写した画像を比べあったりしたことなどを思い出す。しかし、今思えば、自分との関係は、ホームグラウンドでお会いし、挨拶をするぐらいで、多くのカメラマンと同様に、家族構成や、居住地、連絡先、その他本人の性格や趣味など、ほとんど知ることもなかった。どちらも遠の昔に仕事とは別れ、年金生活者であることぐらいが共通することで、ただ単に趣味を通じての知人であった。人の命も自分の命でさえ明日はしれぬことであるし、世の無常を感じている。お悔みを伝えるにしても、住居はほぼわかっているが、残されたご家族には、お会いしたことは一度もなく、ご冥福を祈るだけで、直接何らかの行動をとるまでには至っていない。
昨年の10月に実兄が急遽、病で他界した。兄弟でありながら、電話では何度か交流はあるものの、よほどのことがない限り、行き来はなかった。死者との関係は己の記憶中にしかなく、その意味では生きている方と同様であり、先の時間を共有することができないだけと思っている。
最近の弔う方法についても、選択肢が増えた。遺族の判断が重視されるので、ワンパターンではないが、親族、血族の在り方や、祭祀の方法等についても、従来通りとはいかなくなった。少子化の影響、菩提寺の管理能力、檀家の縮小、親戚縁者との付き合い方等についてもドラスチックな変化が訪れているようである。
今回は訃報を受けて感じた現在の心境についてご披露したが、結論を見出せぬままで考え方の整理とはならず、いずれ心境の変化等をお伝えできればと思っている。