昨日の診断結果では内視鏡による検査の受診を早急に勧められたところであるが、個人病院から居住地区を管轄する総合病院へは、本人の希望があるにはあるが、県境をまたぐ場所の総合病院や大学病院へは制度上難しいようであった。総合病院へは自転車で5分足らずでいけるし、未だかかったことはなく、今までの情報は、診療科によっても異なることも考えられる。悪評の入手は、福祉車両による制度利用者の移送ボランティアで知ったことの域を出ていなかったため、自らが病院内で把握したものではなかった。
予約客が優先であっても、成人病検診の結果で紹介された精密検査受診者は、比較的少ないとの判断もあり、午前8時30分に開始されるため、その時刻前には大方の問診票等の書き込みを終えて、順番待ちとなった。受付で番号を呼ばれるのは4番目であった。しばらく時間を要したが、初めての受診であり、診察カードの作成を行っていたようであった。
比較的テキパキと受付を行っているようで、悪い雰囲気ではなかった。高齢者も多く、ほとんどは再診客であった。提出した、紹介状、健康保険者証、薬手帳等に基づき、カルテが完成したようで、総合内科へ案内された。そこでは待合い場所におかれている無人の血圧測定を行うことになった。結果はすぐに印字されるが、普段計測している数値より高めに表示されていた。上が163で下は90とのことで、その旨受付に話したところ、再度計測するよう指示されたが、ほとんど変わりはなかった。カルテには普段の測定数値も書き込まれたようであった。
しばらくしてから、今後の全般的な日程調整を行い、体調を聴かれた。そこでは4月13日に検査日が決まり、組織分析を経て検査結果は4月26日と決まった。本日は感染症の有無を調べるための採血を行い、処方された検査日前の自宅での食事制限や、腸内の残留物を極力減らすための指示があった。
内視鏡検査は、以前数日間の入院があったことを記憶しているし、3日前ぐらいから検査用の食事に切り替わったと思われる。今回は少し進化したのか、自宅でこれらの準備ができるので、そのような処置が一般的となったのであろう。ただし、自宅で作る飲料水は2lとのことで、トイレへ行く回数もカウントするようである。検査結果でガンの状態が確認されると、別の手術となり、その場合には入院を余儀なくされるであろう。そうはなりたくないものである。
3月末で無料の成人病検診を受診した。70歳以上は一般検診のほか、肺、胃、大腸がん検診も同時に受診できる。結果が早めに出た、一般血液検診、肺、胃部検診は異常なかったが、大腸(検便)のほうが二度目の採便も陽性との結果であった。下ネタの話で申し訳ないが、大腸は、採便の検査で、血液の混入により判断される。当然ないに越したことはないが、痔を患っていなければ、大腸からの出血が考えられ、まずポリープか大腸がんを疑われるのであろう。
30年ぐらい前に箱館での定期検診のことが甦ってきた。この時も、採便の結果は陽性で、義兄の同級生が専門医(すでに他界している)であったため、大分でポリープの除去を行っている。以後、医師から毎年検診を受ける必要性を言われたとかすかに覚えているが、特に体調管理をしていたわけではなく、症状が出なかったし、痛みを覚えることもなかったため、成人病検診すら受けていなかった。今回は70歳で無料という川崎市の診療基準に適合し、医師から勧められたことによっている。
今日は第二回目の採便結果を聞くことになり、神妙にしていたが、どうもよい結果が出るとは思わなかった。数日前より、寝覚めが悪く、腸内の洗浄をする夢を見続けていた。亜麻仁油の入ったペットボトルを入院中何度となく飲まされ、つらい思いをした内容である。案の定、担当している院長は、顔色を変えることなく、結果が陽性であり、4回の採便がすべて陽性であることで、早急に内視鏡による検査を告げられた。
市内の病院名を挙げられたが、希望した大学病院は都内であったため、院長にお任せすることとし、最終的には近所の総合病院へ紹介状を書いてもらうことになった。あまり行きたくないが、システム上仕方ないと思い観念している。地元ではあまり評判は良いとは言えず、医師集団は特に良い話を聞かない。とはいっても、地域の総合病院である以上、仕方がない面はある。
帰宅後、検査結果を女房に告げ、直ぐに検査予約の電話を入れることとした。横柄な対応に腹が立ったが、直接紹介状を持って行っても受診は可能であるが、予約が優先といわれ、予約を取るには、検診した医師同士の直接話し合いが必要とのことであった。紹介状までもらっているのにと思いながら、対応の不適正を感じながら、さもありなんと納得である。担当してくれた医師に迷惑をかけるわけにはいかず、予約の後でもよいと考え、直接出向くことにした。
彼岸が過ぎてしまったが、この時期年金暮らしでも多忙なときがあり、墓参りが今日になってしまった。両親が眠っている墓は、車で10分足らずの市営墓地にある。墓地はきれいに掃除がされ、花が手向けられていた。きっと、弟夫妻が墓参にきてくれたのかもしれない。桜が満開になるのはもうしばらく先であるが、1分咲きであった。すでに多くの墓には花が手向けられ、遠路参拝客が集まるなか、墓参へこられたことがわかる。最近では今まで山だったところが切り開けられて墓地に変わり、墓地全体が広くなっているようである。
どのようなシステムになっているのか不明であるが、無縁墓地となれば合同の墓地に埋葬され、新たに新規墓地として分譲されるのであろう。それでは間に合わないニーズに応えるための措置であることが推察される。しかし、敷地は無制限に広いわけではなく、いずれは満杯となり、分譲も限られると思われる。
古くは墓地の区画は大谷石が使われていたが、50年もたつと老朽化で崩れ始める。最近は奇抜な墓や御影石を墓全体に貼っている墓所が見られるようになった。我が家の墓地も手をかけなければならないであろう。今回は地面に蒔いた小石が散らばって禿げている場所が目立ってきたため、一回り大きい五色小石を購入し、4袋(10kg×4袋)を蒔いた。雑草の繁茂を防ぐため、食塩を蒔くとよいということでこれも蒔いてある。
カラスが多いのは仕方ないにしても、せっかく手向けた花束を、くちばしを使って引き抜くことをするようで、被害にあった墓も多い。いたずらをするカラスには困ったものである。中には故人が生前好んだと思われる和菓子類や果物を供える方もいるようで、カラスはそれを目当てにしているようである。多摩丘陵は宅地化が進んだとはいえ、未だ原野も多い。狸などの小動物やイタチやテンなどもいるようで、餌としているのかもしれない。
自然保護も大事であるが、供物など、先のことを考えればお供えしても、放置しないで持って変えるようにすべきだと思う。また、墓地への参道は墓参のための駐車場ではなく、駐車している車が多く、片側車線が使えない状態になっているのも困ったことである。これから桜の開花が進めばお花見客も多くなる。駐車違反の取り締まり強化は気が進まないが仕方ないのかもしれない。年間行事となっている墓参であるが、行く度に時の流れを知ることになる。高台の墓地へは高齢者の姿はまばらになっているようであった。
人生には節目がある。サラリーマンは通常、大学を卒業すると企業等へ正社員として就職する。退職に至るまでの期間は60歳定年で、38年間あるが、その後5年間は嘱託として継続雇用される場合が多い。もちろん、本人の希望であり、家族の介護や、居住環境、本人の病気等それぞれの事情によって異なる。入社時と退職時は代表的な節目といえる。
38年間という期間は、人生80年とすれば、成人後、約半分を奉職するのであり、一番活力がみなぎり、エネルギーを投入できる期間である。家庭を築き、仕事に打ち込み、人間関係を構築し、己の実力を発揮できる最も重要な時間であることも間違いない。特に、長年、同じ職場で生まれた人間関係は、単なる上司―部下の関係だけではなく、相互啓発が根底にあり、仕事を通じて考え方や人生観を共有することが可能である。
すでに数年前から退職時期を知り、日頃からおつきあいを続けてきた後輩が、今年度末に定年退職を迎える。退職後は地元に戻り、継続雇用され、嘱託として再出発するとのことであった。そうなると簡単には会うことができなくなる。先だって、二人だけで、退職祝いと送別会を兼ね、ささやかな宴会を立川で行った。その際に、記念品というか、プレゼントの品を聴いたところ、意外な答えが返ってきた。名前入りの万年筆がほしいということであった。
ボールペン全盛の時代になり、実用的にはボールペンも多くの種類はあるし、高級品もないわけではないが、万年筆とはと思ったが、本人の要望を受け、準備することにした。ネットで検索すると案の定、絞り込むのは大変な作業であった。国内製品はもとより、外国製品も多くある。長年自分が使ってみてよかったと思われるものを数点抽出し、最終的にはフランス製のウオーターマンに決めた。特徴は歴史があり、インキ漏れを押さえる毛細管現象を初めて取り入れ、ポツダム宣言署名にも利用されている。スマートなデザインを好む人が多い名品である。23金のプレート張り、エキスパートエッセンシャルという製品である。
名前を刻印するのに時間がかかったが、数日前に手元に送られてきた。名入れを確認し、準備が整った。きっと喜んでくれると思い、ご自宅への郵送をやめて、直接手渡しすることにし、昨日、引っ越し等で多忙な彼を呼び出し手渡したところである。