居住地を管轄する住民サービスの一環として、毎年実施されている成人病検診がきっかけで、検査結果によっては、さらなる精密検査が必要と判断された場合には、充実した検査設備や、専門の医師が常駐する病院への受診を紹介され、紹介状による病院間のやり取りによって、適切な処置が行われ、この制度によって、多くの救われた命や、早期のがんの発見等に結びついている。
一方で、住民とハブとなる広域病院や、救急病院等との情報交換の場は思っていたほど多くはない。もちろん、どのような地域の病院であれ、ホームページを備え、多くの手段で、広報活動が行われていても、常に隔靴掻痒の感はぬぐえない。というのも、風評というのか、聞き及んだ噂は、容易には訂正が聞かず、なかなか正しい情報には入れ替わらない。そのような不安は、地域のいわゆる町医者の紹介や推薦段階から信頼関係が醸成できていない場合が多いように思える。
風評は、どちらかといえば、マイナスイメージが強調されやすく、例えば、救急病院に指定されていた場合でも、地域住民は救急救命の実態すらわからず、夜間の騒音と結びつけ、安心ではなく、不安を持つようで、暇な病院であり、評判が悪いなどと実態とは相当かけ離れた判断を持つにいたる。これは異常事態としてセンセーショナルに番組を組む一部のマスコミの影響もある。また、ドキュメンタリーばかりではなく、脚色した医療現場のドラマ化の影響も大いにある。
病院の経営については、最新機器導入により、機器の減価償却や、効率的な経営を表に出し、検査機器を多用した過剰診療なども批判の対象となっているし、系列の医科大学においては医師免許取得率・国家試験合格率など、間接的な情報による偏見も影響している。
我が国が、高度の医療技術や、医療・保険制度を持っているおかげで、平均寿命も長く、乳幼児死亡率等も、最も低い国となっている。それと相反する上述のような風評や、信頼関係の欠如等はどのように考えればよいのか判断に迷う。
本来、病院は、受診に、トリアージ(triage)的な判断がなされ、重篤な患者の受診優先がなされるべきで、サロン化した、高齢者集団の憩いの場となっている場面に遭遇すると、緊張感がなくなってしまった医療現場の見直しは、再考されなければならないと思える。しかしながら、異なる視点から考察すべき問題点もあるようで、医師会や、医療行政、薬価、現代医学と情報共有、医師の質的、量的、技術的、問題等、病院システムを構築する要素等時代に合わなくなってきた分野も多い。
突如、小池都知事の口から発声のあったアウフヘーベン、知る人ぞ知る言葉である。自分は久しぶりに聞いて、学生時代を思い起こした。あまり得意の分野ではなかった哲学の授業である。哲学は一般教養の授業で、確か、ドイツ語を教えていた教授が掛け持ちで行っていたと記憶しているが、アウフヘーベンなる語句もドイツ語の単語である。英語やアラビア語を得意としている都知事の口から発せられたドイツ語には、それなりの意味があったのであろう。この語の理解は、一般的な単語とは異なり、深淵で、哲学を知らないと理解することは難しい。
日本語では止揚や揚棄と書かれているが、この言葉すら一般的ではない。止揚の意味は、二つの矛盾した概念を一層高い段階で調和・統一するとのことと国語辞典には書かれてある。揚棄も同様であるので省略するが、哲学では、物の対立や矛盾を克服し、統一することによって、より高次の結論に達する発展的な考え方や、思考方法を弁証法といっている。
弁証法には、物質的な考え方(唯物論)と精神的な考え方(唯心論)に二分されるが、発生した時代や国によって、突出した多くの哲学者がいて、アウフヘーベンの用語はドイツの唯心論哲学者ヘーゲルによって弁証法的観点からもたらされたものである。
言語であるアウフヘーベンのアウフとは上げる、高めるの意で、ヘーベンは否定するという意と止める、保存するという両義がある。であるから合成語のアウフヘーベンは、「否定する」、「高める」、「保存する」の三つの意味を含めていて、ヘーゲルの弁証法基本概念といえる。相反する概念を一つの合成語でよく言い表しているといえるが、世の中の現象や事象の中には、同様な推移を現わす言葉もあり、出藍の誉れや、芸事や武術など、学んだ流派の奥義を獲得することで、さらに高揚するため、それらを捨ててさらに新たな境地を得るなどと考え方はよく似ている。
今回の小池都知事が、意図したアウフヘーベンなる言葉の使い方が、ヘーゲルが考えた概念と同じかどうかは推察の域を出ないが、都議選を目前にし、市場としての安全性が専門家から担保されても、安心論議で頓挫した市場移転等の在り方は、苦し紛れに出た言葉とすれば、どちらの市場をもいいとこ取りをして、煙に巻く戦術かもしれないし、昼食に焼きそばとパン食のどちらが良いのかと問われ、どちらも好きで、焼きそばパンにしようと単なる合成することに似ているようで、本来の意味のアウフヘーベンなのかははなはだ疑わしい。近日中には、何らかの方向性が出され、人によって異なる安心の定義が明示されるかもしれない。