目がよいのでしょう。高い空から餌を探します。
鍵は生活の場でも多くの事象を表現する場合に用いられている。問題を解く糸口としては、難解な問題を解く鍵、事件の真相解明の鍵となる報告書、航空機事故発生の鍵となるフライトレコーダー、経済成長発展の鍵、物事の正否、発展の意味では投手力や、打撃力が必要な鍵となる。選挙などでも浮動票動向が勝敗の鍵となる。等の用語使用例がある。
鍵管理社会は、鍵を開閉できることが、役目となり、管理者と称される独特の権限を与え得る。つまり、鍵によって開閉の権限は、倉庫や金庫、家屋等を使え、内容物そのものの取り扱いまで権限が及ぶからである。その意味では鍵の紛失や、鍵の複製は犯罪発生に繋がりやすく、その取り扱いは慎重を期すことになる。
現職の時に学籍簿は永久保存として、耐火金庫を設置し、厳重な管理が行われていた。学歴詐称が発覚して、海外からの問い合わせがあった。幸い事件には結びつかなかったが、この事件は、海外で英文の学籍簿を自作した卒業生が、海外での資格を得るために考えた偽造証書が発端であった。それまでは職員室の観音開きのロッカーに収納していたが、卒業証明や、在籍証明の請求が卒業生から良くあったため、厳重な施錠はしていなかった。上層部から指示を受けて、以後、学籍簿の管理の徹底を行った次第である。
鍵は万能ではなく、施錠することによる事故は、夏場の乗用車内に放置された幼児やペットが、車内の高温で出られなくなり、死亡した事件、夜間外出を禁止していた老人ホームが焼失した事件があったが、管理人が不在で、出火当時外側から鍵がかかっていて、内部に閉じこめられて施設利用者が火災によって全員死亡したことがあった。管理不行き届きがもたらした悲劇と言うだけでは済まされない、身につまされる事件であった。
上述の事件まで行かなくても、鍵にまつわることは総じて人間の知恵比べのような所があり、安心感が得られる反面、悲惨な事故を引き起こす原因にもなり得る。生活面での極端な鍵社会は人に対する不信感を増長しやすく、鍵社会を歓迎はしないまでも、犯罪に巻き込まれない自衛策は必要である。反面、鍵による不信感が蔓延する社会はかえって住みにくい。
参考:錠前は「錠(じょう)」の意の口語的な表現で、扉・戸などに取り付けて、他人に開けられないようにするための金具で、鍵を掛けて錠が開かないようにする。鍵は錠の穴に差し込んで、開けるための道具をいう。鍵は誤って錠のことにも使っている。「鉤」と同じ意味である。かぎ裂きなどではこの漢字を使っている。
(このシリーズ最終回です)
鍵管理社会となっている我が国においても、裏には日本人の生活習慣があり、基本的には信頼関係がそこに存在する。鍵と社会は、暗黙裡に鍵をかける必要性、鍵がかかっている状況、鍵を開閉する者との関係が存在する。鍵を掛けるということは、境を作ること、境界を造ることであるが、遮断すると言うことにも繋がっている。ある目的を持って所有することから、倉や金庫に大切な物を入れ、鍵を掛けることにより、鍵によって開閉する。
同じ鍵がない場合にはどうするか、現在では合い鍵を作ればよいが、合い鍵では不可能な鍵もある。電子ロックや、顔認証、指紋認証等個人を特定できる様々な方法が取られている場合もある。合い鍵を作る場合にもその目的が明示しなければ、簡単にコピーが作れるが、鍵屋においては、さほど理由に拘ることもなく、希望者があれば商売として数分の内に、容易に作成される。原理は、セットしたマスターとなる鍵を合い鍵複製機という小型の精密旋盤で鍵の形状に沿って、研削するだけでである。推測の域を出ないが、そこには「悪用しないで欲しい」、「鍵の依頼者はあなたであるから犯罪が起きても当方は全く関与しない」と言う暗黙の約束事があるようだ。
鍵は良く推理小説や、ドラマ、映画等の場面でよく使われる。鍵を開けるための工夫がスリルを生む。鍵の専門家によれば、開けられない鍵はないというが、オートロックがかかった乗用車であっても、JAFに依頼すると数分の内に解除してくれるそうである。オートロックは電波を使っていて、周波数等の特別な機能があるから解除できるのであろう。こうなるとその機能を知れば、ロックをしていても容易に解除され、犯罪は起きてしまう。
古くは箱根細工でカラクリの小箱があった。隠されたカラクリがあり、一箇所を開くと次々に操作をしないと蓋が開かない仕掛けがしてある。これも一種の鍵と言えそうであるが、開け方を知らないで、苦労している様子が何とも滑稽に映るから、遊びとしてはおもしろく、長く続けられているのであろう。キュウビックという色違いの立方体が組み合わされていて、同色に整列させるなどパズルや知恵の輪なども遊びとしては楽しめる。(次回へ続きます)
平成26年11月27日
北部市場見学
晴天に恵まれた一日であった。今日はフィールドワークで川崎市北部一帯の生鮮食料品流通を一手に担う北部市場の見学会であった。午前9時半現地集合で、自宅から近いこともあり、また、最寄りのバス停はないので、自家用車で行った。15分ぐらいで到着した。川崎には川崎駅近くの南部市場との2か所がある。70名近くの参加者なので、A・B二班に分かれての行動で、最初に渉外を担当する職員から簡単な市場についての話があったが、参考になる話はほとんどなく、約一時間の見学先々で質問を受けることになった。
講堂と称されるホールには机もイスもなく、予定されていたスライド上映は行われなかった。週末からイベントがあり、その準備で撤去され、何もない部屋であった。渡されたパンフレットに説明したいことは書かれているとのことで、対応の悪さが目立つ見学会であった。
若者の魚料理離れで、取扱数量も減ってきているようである。入札についてもセリで処理される件数が徐々に減ってきており、セリに変わって、個別での取引に変わってきていている。将来はセリが消滅するとの見通しが語られた。その理由として、生きたまま売る鮮魚は別として、冷蔵冷凍生鮮食料品が高度化した冷凍技術によって、従来と様変わりしてきている。鮮度を保つための技術によって、値段の変動が少ない相場が生まれ、価格の変動を好まない大手顧客にとっては好都合となっている。
大手スーパーなどでも大きな冷蔵庫を持っているし、価格が安い時期に大量に仕入れるため、毎日のセリが必要なくなってきているのは当然といえる。更に、塩干品についても殆どが冷蔵であるため、価格の変動が少ない。それで思い出したが、以前も紹介した地元の寿司屋が、正月に市場が休んでいるときにも開店できているのは、寿司ネタの殆どが冷凍・冷蔵食品であるからである。冷凍はマイナス50度の冷凍庫を使っていて、やはりエビなどは半年も経過すると味は変わらないが見た目が悪くなるそうである。
見学先である水産棟、関連商品売り場棟、第1冷蔵庫、製氷棟を見るだけとなった。事前に生ゴミ対策や発泡スチロールの処分等エコ対策の現状を期待していたが、期待はずれであった。市民サービスと謳いながら、買い物客の呼び込みには力を入れても、役所が咬むとどうしても外来者や見学者をなおざりになりがちで、事の重要性を認識できない対応にはいささか失望した見学会であった。
実家の納屋が、台風の影響で、徐々に崩れる部分が増えて、東側に面した部分の壁の滑落だけではなく、竹を藁縄で編んだ「こまい」の部分まで崩落し始めた。近所の方が知らせてくれたが、年末にかけて解体業者も直ぐには見つからず、手を尽くしたが、最終的には知人を頼ることにした。現場の状況は、帰省した折りに崩壊の予兆に気づいていたが、電話で知らせてくれた近所の方の話だけでは全体の様子が分からない。本来は自分の目で確かめる必要はあったが、遠方故に、知人に全面的に頼ることにしたため、まず現地まで行って、写真を撮って送って貰うことにした。
数日後に現場の状況を克明に写した写真が届いた。帰省時に比べて相当崩れていて、一部の壁は母屋との間を塞ぐように崩落していた。おそらく長年の歪みが柱を動かすまでに変形し、屋根を支える柱が根本から倒れていた。東面の支柱数本だけなので、屋根が崩れるまでには至っていないが、このまま放置するわけにはいかず、女房と相談した結果は解体止む無し、との結論となった。
調査を依頼した方は、建築設計の経験を持っているため、知人の考えも聞いたが、同様な意見であったため、工事等解体に係わる一切をお願いすることにし、早速、解体業者の選定にはいることとなった。数日後に2業者からの解体作業の見積もりが提出された。若干の見積額の違いはあったが、知人との関係の深さもあるので、お任せすることにした。結果的には金額が安い方になったが、どちらの業者も信頼することが出来る業者であった。
数日前から工事が始まった。近隣のご挨拶から始まり、工事日程についての説明も行われた。解体時に飛散する埃等を最小にするために、作業は小雨の天候ということになった。
友人の克明なメールと貼付された写真を見ながらの記述となるが、母屋との間はシートで養生し、解体用の機械2台で進められた。小雨であっても放水によって粉塵の発生は極力抑えられた。納屋の解体は丸1日を要し、今後は整地に至るまで、廃材の区分を行って、区分毎の廃棄場所への搬送が行われる予定である。
遠隔地にいても作業の状況が克明に分かることが出来たのは、作業の合間に何度も進捗状況を知らせてくれたお陰である。現場監督をも兼任して頂き、高齢化し、頼ることが出来ない親戚には無理もいえないし、役に立たないことも多い中で、専門を生かしてくれた知人には何とお礼を申し上げるべきか、解体の終了まで事故の無いように祈るばかりである。
今回、2年間のブログに投稿したワードで作ったファイルを纏め、新たに分類をして365件あったものを10に区分し、それぞれのファイルに統合した。ワード内でどのような操作をしているのか分からないが、1件が30kb(キロバイト)だとすると10Mb(メガバイト)になるのだが、1.2Mbに圧縮されている。この大きさであれば、E-メールで十分送れる容量である。ただし、相手がE-メールのアドレスを持っていないと送れない。
E-メールのアドレスがない場合には、CD-Rにファイルを焼き付けてCDケースに入れて送るが、ケースが壊れないように、ポリエチレンのクッションが入った封筒が市販されているので、買い求めた。ご丁寧に、郵送先と依頼者の住所が書けるシートが入って居るではないか。郵便局から送る場合には、内容物が確認できるように切取線もある。今回は自宅の近くにある宅急便の支店から送ることにした。郵送料は郵便局より安く送れるとのことで、さほど急がない配送物であったので安い方に依頼した。手紙の切手代と変わらない。日数は2~3日後になるという。
郵便等物流に多くの参入企業があり、独自の配送料を決めている。古くから官営で行われていた業種であったが、民間企業の参入で、物流量が増え、各種のサービスを産み、もはや官営を凌ほどの成長を見せている。官営であった郵便行政は、民営化をせざるを得なくなり、既に分割されて民営化しているのはご承知の通りである。官営の持つ全国に貼られたネットワークが優位であった時代は終わり、サービスの質、利用料金、便利さ等は、もはや参入企業が凌駕しているともいえる。しかし、民間が僻地に対しての物流は依然弱い点も事実である。地域的な格差をどれだけ無くしていけるのかの問題も残っている。
歴史を見ても官営が民間企業の参入を促し、民間企業のフットワークが成功した例は多い。物流の根幹は情報管理で、時間との勝負でもある。ユーザーのニーズは、見える化で、それが行われていることで安心感が増す。海外旅行で良く耳にする、スーツケースが目的地の空港に届かないなどのトラブルが発生するが、これも物流のミスで、信頼関係を逸する原因にもなっている。基本的なチェックと見える化によって、拠点通過のトレースを確認し、トラブルを最小限にする努力は失ってはならないポイントである。
前回購入したプリンター複合機は平成22年8月29日であった。最近、印刷する度に廃インク吸収パッドの限界を表示するメッセージが出るようになった。自分では交換が出来ないようで、メーカーへ機器毎送付し、交換を依頼するとの内容も併せて表示され、費用は4000円とのことである。技術料や送料を含めると万を超える金額となり、思案に暮れた。今後年賀状の印刷を予定しており、際立った故障はほとんど無いが、昨年は何度か葉書を数枚であるが、失敗したことを思い出し、新品に変えることにした。
機種を選ぶには、メーカーの通販ページにアクセスして、絞り込んでいくが、日常、デジカメの写真データの印刷はA4版までしか印刷できなかったため、兼ねてより希望していたA3の印刷が可能で、インキは6色、スキャナー機能とコピー機能が備わっていることを選定基準にした。絞り込んだ結果はエプソンのEPシリーズである。エプソンが期間限定で、今まで使ってきたメーカーは問わずに、プリンターを無料で引き取り、会員価格や、ため込んでいたポイントを使えるなどの理由で購入することに決めた。
翌日には配送可能とのことで驚いたが、翌日は都合が悪かったため、3日後に配送日を決めた。今後の予定である年賀状印刷のためのインク、写真専用用紙等を併せて注文した。機器や消耗品を購入すると更にポイントが付き、定価から1割以上が割引になる。
インクジェット方式でのエプソンのプリンターは、ノズルにインクが固着することを防ぐために、ノズル洗浄を行っている。このときに排出されるインクが廃液として吸収パッドに吸い込む仕組みになっているのであろう。今まで使っていて始めて出たメッセージであったが、プリンターは精密機械であり、機能の割には価格が廉価である。むしろ、補充用インクの値段の方が割高な感じを持っている。
複合機の機能であるが、パソコンを使わずにメモリカードからの各種データを印刷できることや、無線LAN、スマートフォン・タブレットからの遠隔操作など新たな技術が使用可能で、有線LANでは考えられない機能が付加されていて、もはやインテリジェント端末にふさわしい機器となっている。どこまで使いこなせるか今後の課題である。
今回の買い換えで始めて知った廃インク吸収パッド交換のメッセージ、長年プリンターを使ってきたが、プリンターにも補充インクの他にメンテナンスを行う項目があり、勉強になった。
平成26年11月22日
年に数回開催される会合に出席してきた。参加者の殆どは高齢者に属し、自分は若い方であるが、開催の名目は、ある団体の理事長の退任と新たに就任された理事長を祝すことであったが、参加者の一人に中村屋の関係者が会場を設定したこともあり、長らく改装に月日を費やしたが、漸く先月の下旬に開店の運びとなり、そのお祝いを兼ねていた。新宿駅の東口にある中村屋は、地下2階上層8階のビルに改装されている。同ビルでは美術品を展示する中村屋サロンも開設している。
中村屋といえば、インドカレーが有名で、当日は土曜日でもあり、多くの来館者がいて、8階のレストラン(グランナ)は満席であった。従来は夜の会合が多かったが、参加者の年齢から昼食会に変わってきた。10名の参加者が集まり、盛大な会合であった。量は少なくなったが、ワインボトル2本を瞬く間に飲み終え、ランチメニューに舌鼓を打ち、当店独自の味が変わらないチキンカレーは伝統の味といっても良く、大変おいしく味わうことが出来た。
新宿に中村屋が誕生した折には、近隣の和菓子職人を募集し、商品開発を行ったそうで、月餅、水ようかん、中華饅頭は当初から現在に至るまで中村屋の主力商品として存続している。この商品開発に携わった方のご子息とご結婚され、我が家と親しくお付き合いしているご夫妻のご尊父だと最近知った。このご子息は高校の先輩であり、富士山の写真撮影では、現在も泊まり込みで撮影に出向かれているカメラマンである。縁とは異なもので、不思議な繋がりを感じている。
この会合の出席者は長年交際が続いている方々で、人材育成分野の専門家集団である。官民を問わず、人材育成、人事管理、職業訓練等、激動期の我が国を牽引してこられた方々で、長年従事された経験は、多方面で高く評価されている。現在も現職として活躍されていることを拝聴した。自らの生き方にも多大な影響を与えてくれた思人でもある。
中村屋の操業開始から現在に至った根底には、当店が歩んだ歴史の中に、創業者から続く、人材育成を大切に行ってきた土壌があり、新商品の開発と伝統の味を頑なに守り、逆説ではあるが、味の追求を常に怠らずに続けてきたことである。改装開店時には新たな商品として「新宿カリーあられ」が紹介された。試作販売から好評で、既に注文が生産に間に合わない状況が続いていると聞いた。今回の昼食会を通じて、企業存続の原点を見ることが出来た。