鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

野鳥撮影三昧

2016年12月31日 00時00分01秒 | 紹介

 平成二十八年は今日で終わりとなる。大晦日、今年も家族一同、大過なく過ごせたことは大変喜ばしく思うが、女房の母親が九十九歳の寿命を全うし、帰らぬ人となったのは何とも寂しい限りである。8月の末であったが、四十九日の法要が終わるまで、大分と川崎を行ったり来たりの日々が続いた。天候が悪かったせいもあり、裏山の墓地に埋葬できなかったのは仕方ないにしても、初盆と一周忌を兼ねて行う法要の日まで、お骨は地元の寺に預かってもらうことにしている。

 

 今年は3月にO社製のカメラから、N社製に切り替えたこともあり、多摩川での野鳥撮影に専念した。地元のカメラマンとも懇意にしていただき、多くの野鳥に出会うことができた。住居のすぐ近くに野鳥の撮影場所があることを改めて幸運に思っている次第である。ちょっと足を延ばせば、生田緑地、東高根森林公園、神代植物公園、薬師池等が撮影場所になることもある。これらの公園は野鳥撮影ばかりではなく、四季折々の草花も撮影対象となる。

 

 特に重要なのは、多摩川に撮影に来るカメラマン仲間からの情報で、どのような野鳥が出たとか、珍しい野鳥の情報である。それと大切にしているのは毎日更新されるブログの野鳥情報である。この情報は、日々の変化が面白いし、ブログを見ることによって、おおよその撮影場所を知ることができるからである。年間に100種類以上の野鳥が飛来する。中には留鳥も相当種類いるが、旅の途中でたまたま寄ったという野鳥も多い。今年は多雨であったせいか、水量が多く、度重なる洪水に見舞われ、コアジサシの営巣地は壊滅的な打撃があり、子育てができなかった。

 

 現在は冬鳥、特に、カモ類が順調で、個体数も多く、ほとんどの種類が飛来してきている。カイツブリも葦原で子育てを終えたし、オオバンやカンムリカイツブリもいる。中でもカワウとコサギは個体数が増えていて、餌となる小魚が多いためであろう。猛禽類の飛来も多く、小鳥を襲うようである。オオタカ、ハヤブサ、チョウゲンボウ、ノスリ、ミサゴ等である。

 

 年末に自分の不注意から机の上に置いたカメラを落下させ、修理不能となり、仕方なく新たなカメラとレンズをそろえた。今後操作に習熟して鮮明な画像を目指し、シャッターチャンスを逃さないようにしたいと思っている。


D7200の購入

2016年12月30日 00時00分01秒 | 紹介

 12月28日に注文したデジタル一眼レフカメラは29日の午後には自宅に届いた。年末の宅急便利用が多いなかであったが、送料は無料で、特別な急送である。数日前には宅急便業者のS社の配達員が、不在を理由に荷物や台車を投げつける等の配達員にはあるまじき行為が、報道された。確かに同じ宛先に何度も配達することは精神的に良いわけではない。

 

通常不在の場合には不在通知がポストに入れられるが、欧米では2回目以降の配達には料金が発生すると聞いている。我が国では宅急便会社の乱立まではないにしても、従来から、料金の発生は考えられてはいない。コンビニなどに一時保管するなどの便宜も工夫されている。配達員においては荷受人の行動まで知ることはできないため、不在配達が常に起こり得る。荷受人の方もパソコン等で事前の連絡が入ることもあり、時間帯で不在となれば、その旨を連絡できることも可能である。双方の工夫によって、ミスマッチの回数を減らすことができるよう努力すべきであろう。

 

さて、カメラは保証書、取り扱いマニュアル、ストラップ、充電器、バッテリ等の付属品とともに梱包されてくる。既に故障した同様の機種であるので設定は難なくできる。メーカーのホームページからパソコンに画像を取り込むソフトや加工するアプリなどはすでに行っているので、使えるようにするには特に問題はなかった。ドットサイトを取り付け、先日購入した80~400mmのレンズをつけてみた。それなりの重みがあるが、手持ちでの撮影には以前の望遠レンズより500gも軽いので、快適に使えることと思う。

 

難を言えば、カメラ本体にストラップをつけると、マウント部分にレンズの重さがもろにかかるため、レンズの台座に吊り下げる冶具をつけることを考えたい。今後、ファインダーの視度調整が必要で、メガネをかけて使うかそれとも視度にあったファインダーに変えるかどうか迷っている。ドットサイトの調整も必要となろう。

 

試し撮りは後日にするつもりである。レンズの保護用にレンズコートなるカバーが売られている。値段は張るが準備したほうが良いようである。防湿効果があるし、屋外での撮影であるので、レンズや本体に傷をつけやすいため、その保護にも利用できる。

 


カメラ修理の結果

2016年12月29日 00時00分01秒 | 紹介

 昨日の午後に宅急便業者に依頼し、故障したカメラは、修理センターへ本日到着し、さっそく専門家の現状確認をしてもらったところ、フレーム部分にひびが入っていて、本体ダイキャスト破損との診断が下された。故障であったミラー部のバヨネットマウント及び前ボディ関連部の故障は、修理しても、機能及び精度の保証ができないとのことで修理不能とされた。修理を依頼したカメラは正月明けに自宅へ返送されることとなった。これについては承諾せざるを得ない最悪の結果となってしまった。

 

 修理費用については、修理不能とのことで、代金は計上されず、併せて、宅急便の費用についても修理センター持ちとして処理され、無料であった。年末の多忙な時期にはっきりした回答をファックスでいただいた。年末の休暇前に手掛けていただいたことに関し、大変感謝している思いである。返品が完了した段階でお礼状を送るつもりでいる。

 

 さて、写真撮影の方は、以前使っていたO社のカメラを使うことにしていたが、それも数日であり、それなりに撮影をしてきた。飛びものの追跡がいまいち悪く、これもなれと思って我慢するつもりでいた。しかしながら、修理センターへ出した機種の返事待ちでいたのであるが、思っていたより早く結論が出てしまった。そうなると新たにN社のカメラを購入することに選択肢は狭まるが、今まで使っていた機種も捨てがたく、値段も手ごろなため、いろいろ考えた末、同じ機種とすることにした。

 

 確かに、上位機種は連写の枚数など少しずつではあるが改良している。しかし値段の開きほど機能の充実は比例しているわけではなく、手にとって見ないと分からない点はネグッて、無難な現在の機種に落ち着いた。明日、自宅に届くネット通販を利用し、購入することとした。

 

 このような物事の展開は、何処かに、といっても頭の隅にあったのであるが、決してそのように願ったのではなく、9か月であったが、修理に出した機種については、愛着を持っていたし、できれば長く使っていこうと思っていた。むしろ、修理センターで出された判断を疑ってみるほどであった。落下の時に当たりどころが悪かったのか、あきらめざるを得なかった。このような形で公にすることは躊躇したが、同様なことが起こることをお伝えいたしたく、恥を忍んで投稿した次第である。


修理カメラの引き取り

2016年12月28日 00時00分01秒 | 紹介

 自宅に居ながらにして宅急便の利用で故障したカメラ等を引き取ってくれるサービスがある。もちろん電話でも可能であるが、自分は、インターネットから修理を申し込んだ。1日置いて、N社の修理センターから引き取る案内のメールが見積もりとともに発信され、日付や時間の意向が取り入れられた。自分は購入時の保証書を探し出し、バッテリーやメモリカードなどを取り除き簡単な緩衝材で発送準備を整えた。

 

 本日の正午に近所の宅急便業者から緩衝材を入れた段ボール箱が届いた。早速開封し、取り扱いの詳細を書いた指示書にしたがって、カメラが固定されるように緩衝材を入れなおし、保証書と依頼書を同封した。送り状は着払いであるため、梱包した段ボールを宅急便業者が取りに来てくれ、手渡した。これで修理品が業者の手に渡りあとは修理センターからの修理状況を聞くだけである。修理を依頼したため、自分が修理箇所を特定したが、検査過程でミラー機能だけではなくほかの部位や電子部品等が故障していればどうするかの問い合わせが来ると思う。

 

 修理箇所が多くあり、手間賃がかさむことになれば、新品購入費との比較となるが、その時点にならないとはっきりしない。たぶん見積もりより大幅な加算金額となればのことである。今日は12月27日で、修理センターも年末年始休暇に入るため、修理センターからの返事は年が明けて早くても、4日以降となってしまう。

 

 しかし、便利な世の中になったと思っている。カメラメーカーが修理センターを持っていることも、見方によっては、精密機器であるとともに、日常の取り扱いの不注意による事故だけではなく、取り扱う環境条件の広さからすれば、修理の必要性が高いのかもしれない。実際のところ、取り扱い説明書にはいろいろ記載されているが、摺動部や、レンズの脱着によるごみやほこりを拾いこむこともある。

 

 冬場は特に気温の変化と湿度の変化が激しく、レンズのカビの発生を完全に克服できていない以上、機会が本来持っている機能以上に、使う側も十分理解して使いたいものである。今回の不注意は二度と起こさないように肝に銘じたところである。


歳末助け合い募金

2016年12月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 毎年の恒例であり、制度自体をとやかく言う必要はないが、安易になりすぎているきらいがある。非常にストレートな方便で、早い話が、無心である。何らかの事情で、社会福祉の支援に頼らざるを得ない人々がいるのは事実であり、義援金という形をとるのは、古くからあった。記憶に残っているのは、社会鍋(広場に三脚を立て、そこに大きな鍋をつるす。いうなれば賽銭箱である。)というキリスト教徒が作る慈善組織で、確か、救世軍といっていた。最近はほとんど見ることもないが、解散したのか、現在でも続けているのかは定かではない。

 

 欧米に比べて、一般人が自然災害を除き、義援金を出す習慣はないが、年末に限らず、町内会からのルートで、半ば強制的に、寄付金を集めている。赤十字社がその受け入れ窓口になっている。しかしながら、集まった金額の使途については、ほとんどが明確にされない使途であり、何処かで収支を公表されているのであろうが、関心がなければ、わからないし、あまり詮索もされていない。おおらかといえばそれまでであるが、自慢ではないが、ちゃんと集金できるシステムは確立している。

 

 そのバックグラウンドといえば、利益の一部を社会へ還元するといった思想が定着していないわが国だからかもしれない。欧米のキリスト教社会では、毎週の礼拝時には、必ず、教会への寄付が行われている。企業ばかりではなく、キリスト教徒全員が子供のころからしつけられる慈善という行為であるからだ。   

 

 では、イスラム教徒についてはどうであろうか。これはイスラム教徒も同じで、教徒が行う五行の一つにザカート、日本語にすれば喜捨である。貧しい人のために施しを行うことである。さらに、もっと貧しい人には貧しい人からの喜捨がある。宗教観なので何とも申し上げられないが、喜捨することが善行であるからで、これに異論を唱える人もいないようである。

 

 一方、仏教は、確かに喜捨という言葉が日本語にある以上、行われている。東南アジアの仏教徒では、修行僧や坊さんへは、托鉢時に、炊いたご飯や金銭、蓮の花などを手渡している。我が国では一部、永平寺などで修行僧が托鉢を行っていて、各家を回り、食材を集めることが行われているが、自分の住む地域では多くの寺社においては全くそのようなことは見られないし、行われていない。その意味では裕福であり、住職自らが托鉢に歩くことは皆無に近い。ともあれ、ボランティアも定着してきたが、金銭だけに頼らない善行について再度考えてみたい。


クリスマス商戦以前

2016年12月26日 00時00分01秒 | 提言

 キリスト教のキリスト生誕を祝うことの始まりは、前夜祭という儀式を仏教徒が多い我が国に定着し、プレゼント交換や、家屋のイルミメーション、商店街はクリスマスケーキの販売等教会とは別の方向で活性化している。どうも気になるのであるが、仏教や神道の儀式は、商戦が起こるほどの活況が見られないし、年々大衆の心から離れて行っているようである。

 

 仏式や神道での結婚式や葬儀はあるものの、この変化は著しい。昨今、仏式の葬儀といえば家族葬が浸透している。数は少ないものの、墓を持たない樹木葬や、海への散骨等形が変わってきている。神社ではあまり問題があるとは思えないが、廃寺や、檀家の縮小によって、経営が成り立たない寺が出てきている。古くからあるお彼岸やお盆は律儀に先祖や亡くなった親族の供養を行う家庭は多いものの、仏教の創始者である釈迦や神道の天照大御神はその生誕を祝うことはないし、クリスマスのような華やかさはない。

 

 今更どのように変えていくのか、名案があるわけではなく、今の流れを注視するだけであるが、関係者の大衆離れというか、ありがたさや尊さの心情に変化があり、身近に感じなくなってきたかもしれない。都会は特にその傾向が強い。人心から離れた宗教は単なる古い神社・仏閣など観光資源となっているし、心のよりどころではない存在と変わってきた。大衆が持つ交通安全、合格祈願、家内安全、商売繁盛等の願いは変わってきたわけではないし、新年を迎えるにあたっては、来る年が良い年となるよう願うのは至極当然なこととなっている。

 

 では、仏教や神道の教義といえば、どちらも大衆には分かりづらいし、現代風ではない。ことさら、哲学的な深さばかりが目につき、大衆受けできない高さまで上り詰めた感がある。必要なのは、基本的な行動であり、相手を思う気持ちであり、先祖を敬う等の心情でもある。一般大衆の生活から遊離することではなく、本音で当たらなければ、益々人心から離れてしまう。考えなければならないのは、見かけの儀式にこだわる宗教者の姿勢なのである。オープンな施設であることも大切なことであり、敷居が高ければ低くするほかはなく、率先して現在浮上している社会問題に対峙し、例えば、高齢者介護や、若い世代の育児等へ踏み込めるかが大切なポイントとなろう。

 

 関係者に対しては、何もしないで現在に至ったわけではないであろうが、大衆を巻き込む施策なり方策が見える形で取り組んでほしいと願っている。


ヒヨドリ酒場

2016年12月25日 00時00分01秒 | 日記

 動物が発酵食品を食することはよく知られている。とくに有名なのは、猿酒である。偶然であったかもしれないが、木の洞(うろ)に木の実や果実を入れて唾液が入った個所が醗酵し酒となった説や、果実そのものが地中や洞に付着した、発酵を促進するカビや細菌に触れて酒になったなど諸説あるが、納豆菌や麹菌はどこでもいるようである。古代人類はそれを見て食し、独自に酒を造ったのであろう。

 

 紀元前3000年前のエジプトのパピルスに記されている醸造技術はビールであることがわかっている。地中海文明でもアンホラという陶製容器にワインが入っていたようで、船で周辺国へ流通していたようである。したがってアルコール飲料は相当昔から現在に至るまで人類の発明品としては古い食品であった。

 

 カメラマンとの雑談の中で話が出たヒヨドリで思い出したのであるが、今年の2月に他界され、昵懇(じっこん)にしていただいた大分県出身の植物写真家であった埴沙萌(はにしゃぼう)先生が話してくれた話に、裏庭に来るヒヨドリのために、庭に面した窓に棚を作り、水とワインを入れた容器を準備して様子を見たところ、ヒヨドリが水は飲まずにワインに群がったそうである。それから定期的にワインを入れていた容器はいつ見ても空になっていた。その場所をいつしかヒヨドリ酒場と名付け、ヒヨドリをかわいがったそうである。野鳥もアルコールが好きであることが分かったと言っておられた。

 

 自宅に実る柿が熟したころにはヒヨドリが柿の実を突っついているのがよく見られる。柿の実も熟すと醗酵が進むのであろう。その状況ははっきりとはわからないが、醗酵が進んだ実を食べるとなると、アルコールを摂取することになる。さほどヒヨドリや他の野鳥は醗酵していることにこだわりがないのかもしれない。むしろアルコールは20歳になってからなどというのは人間社会が作ってきたルールであり、鳥の世界に及ぶわけでもない。酔っぱらった鳥がいるということが分かったが、それが人間の目で見てもわからないのであれば、取り締まるわけにはいかない。

 

ヒヨドリ酒場の繁栄を願う一人であるが、沙萌先生亡き後、ご家族がヒヨドリ酒場を続けられていることはないであろう。やはり、現実に目を移したほうがよさそうである。ともあれ、今日はキリストの誕生を祝うクリスマス、あの世とやらでヒヨドリと乾杯している先生の姿が見え隠れするサイレントナイトである。