朝夕ひっきりなしに柿の実に群がる野鳥、主たる捕食鳥は悪名高きムクドリの集団である。その数20羽もいる。あちこちの柿のみを捕食しているのであろうか。丸々と太っている。鳴き声は下手な歌手以下で、甲高い鳴き声と、争いの時に鳴く脅しのような声で、決して良い声とは言えない。それに合わせてヒヨドリのけたたましい鳴き声である。
早朝からの喧騒はゆっくりと寝ていられない。意を決し、良く熟した柿の実の収穫を行うことにした。女房の便によれば、高いところの柿の木は滑りやすく枝が折れやすいといい、あまり乗り気ではなかったのであるが、駐車場に面しているため、車に落ちてへこみを作ることを気にしていた。しかし、道路から見上げると、この朝夕の寒さで、柿も色を良くし、食べごろだとわかる。
曇天の中であったが、脚立はしごで自宅の駐車場の屋根に上がり、高枝鋏を使っての収穫作業を行った。スーパーで使うカゴにして2杯分はあったが、どれもよく熟していて、1週間前に収穫した時に比べ、一回り大きくなっていた。女房はさっそく友人等へ配送作業を行っている。前回は収穫時期が早かったためか、粒も揃わず、熟成の程度もまちまちであったので、再度送ることになったらしい。
柿の実はビタミンCが豊富で、二日酔いにはよい特効薬になる。薬と思って食べるわけではないが、体を冷やす効果があるようで、体調もよくなるようである。渋みがあるので、ジャムには向かないといわれていたが、実際に熟しすぎた柿をジャムにすると、なかなかの美味で、翼に詰めることによって、保存も可能で、冬場、リンゴぐらいしかジャムは買わないため、我が家では重宝している。
今回、庭木のイチジクが今年最後の収穫で十数個採れたため、柿と合わせてみたが、これも上出来であった。柿だけだと癖が若干あるので、シナモンの香料を入れることにした。口に入れた瞬間には味覚はシナモンの香りがするため、材料が柿であると見破るのは難しいが、口当たりがよいのは、孫が遊びに来て、このジャムを賞味してもらったところ、初めての味ということで、好評であった。
熟していない柿は、調理用のポリエチレン“ジップロック”に入れて冷蔵すると適度に熟すとのことで、今回実験中である。柿の保存はできないと思っていたが、それも可能のようで、余り既成概念にとらわれずに何でもやってみることが大切のように思うようになった。このあたりの挑戦は、主婦の経験が役に立つようである。
ジョウビタキは冬鳥で、生息環境は市街地から低山の花壇や植栽地の多い公園、農耕地、河原、草地、疎林などである。雄雌とも1羽で縄張りを持ち、主に昆虫類やクモ類を採食し、様々な草木の実も食べる。オスとメスの違いははっきりしていて、オスは頭頂から後ろ頸までが灰白色で、顔から喉にかけては黒色、胸から尾まではだいだい色をしていて、風切り羽は白色である。メスはオスと異なり、全体が灰褐色をしていて地味な色であり、風切り羽の付け根は白色で、紋を付けたようである。紋付鳥などと呼ばれることもある。
スズメ目ツグミ科で、体長は14㎝ぐらいである。今頃時期に中国本土から飛来し、春先までわが国で過ごす。この野鳥を見かけると、そろそろ冬の準備に取り掛かるが、昨日我が家の庭にもメスが飛来したのを目撃した。ヒタキと呼ばれる野鳥はどれもかわいらしい。目がぱっちりしていて顔立ちが良い。自分は、この野鳥が好きで、多摩川にもよく撮影にでかける。縄張りが決まるまではオス、メス同時に見ることができるが、縄張りが決まると、定位置にいるため、撮影しやすい。鳴き声を発することがあるが声が小さいため、あまりよくわからない。動かないわけではなく、居場所を変えるため、ある程度広範囲を探す必要がある。
枝にとまると、尾羽を上下に動かすので他の野鳥との違いが分かる。決まった縄張りには木陰を作る大木があるようで、雨宿りのためかもしれない。大木の周りを飛び跳ねるので、しばらくジーとしているとこの野鳥を発見することができる。見つけられない場合には、しばらくたってから縄張りと思われる場所に再度来れば会えるので、諦めずに続けてみる。ジョウビタキも縄張りを数か所持つことも考えられる。その場所を巡回する名かもしれないが、オスとメスの縄張りは相遠くに離れていないように思う。
野鳥の多くは縄張りを持つ。代表格はモズで、縄張り宣言を樹木のてっぺんでしている光景にであう。高鳴きで、けたたましく何種類か鳴き分けている。他の野鳥も鳴いていることはわかっているのであろうが、猛禽に狙われやすいのではないかと思うが、そうでもなさそうである。元気な鳥は狙わないのかもしれない。どこかで弱肉強食のバトルが行われている。体力が劣っている場合や、病気の鳥は間引きされるのであろう。
今年もジョウビタキに合えると思うと気持ちが高まる。昨年と同じ場所に縄張りを作るのかそれも興味があるところである。
現職の時に利用していたスナックのママから突然の電話が入り、金沢在住の同僚が上京するとのこと、久しぶりにスナックを会場に懇親会を行うので出席しないかとの誘いがあった。石川のブリを持参し、それをつまみに飲む算段である。以前にもそのようなことがあり、大いに盛り上がった記憶がある。同僚とは数年前に芭蕉の足跡を訪ねる会で金沢に立ち寄り、旧交を温めたのであるが、それ以後会っていなかった。
在職時は車で通っていたため、さほど飲む機会はなかったが、それでも3日置きぐらいにはスナックを利用していた。呑むことが事前に分かれば、電車での通勤であったが、当日に来客等があれば、職場に車を置いて電車で帰宅し、翌日の帰りは車で戻るといった生活であった。同僚他職員との懇談会も多くあった。最近ではあまり行われなくなったようであるが、意思疎通を図る大切な場でもあった。
しばらくぶりに乗る電車は、夕方の時間帯はほとんど利用しなかったため、どうも勝手が違っていた。学生達の帰宅時間であったせいもある。どの学生もスマホにかじりついて、指先を左右、上下にせわしく動かしている。乗換駅では安全上の観点から、歩きながらのスマホをしないように呼び掛けていた。他の人との衝突によるトラブルやホームからの転落事故を受けてのことであろうが、それほど夢中になるアプリケーションがあるのかどうか知らないが、トラブルは避けたいものである。
スナックに着くなり、ブリの三枚おろしを依頼された。以前にも同じことがあったため、ママさんは覚えていたのであろう。店には出刃包丁や刺身包丁はない。文化包丁で下すのは至難の業である。それでもママさんが半分に切り分けていたので、皮をはぎ、半身を短冊に切り分けた。あとはお客が来れば切り分ければよい。同僚はアカイカも持参してきていた。これは自分が手伝う必要はなかった。
新鮮なブリとアカイカのつまみ、ブリ大根の煮つけは大変おいしかったし、大いに参加者の胃を満足させた。酔うに連れてカラオケが始まり、参加者の多くは日ごろ鍛えた声を披露し、和気あいあいの雰囲気で大いに盛り上がった。今回参集した人数は15名を下らない。その中で、以前、自分が手掛けたデーターベースの今の担当者にも会え、継続していることを聞いて大いに満足したものである。昔の仲間は今も仲間である。一度、築いた関係は時間の経過を忘れさせるものである。
今日は北東からの風が強かったが、まずまずの晴天に恵まれた。午前中は薮用があり11時には撮影準備をして多摩川へ出かけた。徒歩5分ぐらいで着くが、そこから宿河原堰までは5分ぐらいである。すでに何人かがカメラを構えていたが、お目当ては落ちアユを狙って飛来するミサゴであろう。さらに個体数を増しているのはコサギとカワウである。ユリカモメも飛来していた。
ダム上には冠カイツブリのほか、マガモ、コガモ、ヨシガモ、ヒドリガモ、ハシビロ、キンクロハジロ等が群れている。カメラマンの大野先生に出会い、立話しの中で、カモ類はほぼ出そろたようだとの話であった。これらの野鳥を狙って大型の猛禽類も見かけるようになった。ミサゴ、ハイタカ、チョウゲンボウ、ハヤブサ、ノスリ等が天空を舞う。
留鳥であるモズ、ヒヨドリ、コゲラ、シジュウカラ、メジロ、ハクセキレイ、キセキレイ、セグロセキレイ、イソシギ、オジロトウネン、コチドリ、イカルチドリにも会える。これから寒くなると冬鳥も多くみられるが、未だ飛来していないようだ。
こうしてみると多摩川は未だ野鳥の宝庫と思える。例年より水量が多いのは、なぜだかわからないが、上流での集中豪雨だけではないような気がする。取水が必要な畑や田んぼが少なくなってきたのかもしれない。そういえば、この地域は多摩川ナシや桃の産地であった。古くは、多摩川が氾濫することがあり、自宅の庭でも1Mも掘れば砂地で、2M掘れば砂利の層である。排水が良いのと地下水が豊富で、果樹栽培には適していたのであろう。
自宅の富有柿は幹回りが一抱えもあり、樹齢は70年を超している。未だこの時期には実をつけるが、今年は不作のようである。柿生という地名があり、善次丸(?)という小型のカキがどこの家にもあった記憶がある。高齢化が進み、果樹園は駐車場や、住宅に代わって、ほとんど面影はなくなった。
多摩川も清流が戻ったようで、何よりであるが、自然が残っているこの地域は、多摩丘陵に住む野鳥も水を飲みに飛来するようで、自然が壊されないような治水事業を進めてほしい。河川敷が公園や、グランドに変わることは仕方がないが、野鳥も共存できて住みやすい環境となる。野鳥保護地区となっていても、何ら対策が講じられていない。その方が野鳥にとっては良いのかもしれない。
平成28年10月26日
秋晴れに恵まれた一日であった。武蔵小杉の生涯学習プラザへ行って来た。今日の講義は地球物理学で、地球の誕生・月の生まれ方という内容であった。数十億年前の事柄を考える話で、身近な話題ではない。東京大学の地球惑星物理学講師 飯塚毅氏による講義であった。
地球が生まれた年代は44億年前、太陽系の誕生後のことで、太陽系の誕生は45.67億年前といわれていた。火山の噴火によって、または地殻プレートの隆起によって、地球を構成している地底の岩石が地上に噴き出たジルコンを年代測定するそうである。地球の誕生と同時期に月も誕生したようで、どのようにして生まれたかについては4つの仮説があり、その中で火星程度の巨大惑星と地球とが衝突してできたという説が有力のようである。
正面からの衝突ではなく、ちょっと当たったようでその際に完全に爆発することなく分離したそうで、アポロ月探索が成功した際に月から持って帰った岩石の成分を分析した結果、地球と同じ成分が含まれていたことで衝突説の仮説が引き出された。
さらに興味深い話題の提供があった。地球はほかの天体と異なりなぜ水があるのかということである。これも仮説が3つほどあり、水素がある環境でマグマが反応すると水が生まれるという説が有力とのことで、太陽と地球との距離が影響しているようである。つまり、寒すぎず、暑すぎずで、生物の誕生にも関係し、その原因は液体の水が物質を運搬するのに適しているからとのことであった。
レイトベアという考え方があり、地球が誕生した後に、生じたようで、遅れて誕生した物質の一つである。火星や金星の探査が行われているし、月の裏側がよくわからないため、そこに地震計を設置しようとする試みがあるそうで、世界的な広がりでの研究活動が盛んになったようである。
総じて、雲をつかむような話であったが、人類誕生のなぞに迫る研究の一つで、頭の整理がつかず、今後、時間をかけて考えてみる価値があると思われる世界であった。
都内港区にあった長年住み続けたマンションを引き払い、今月青梅市の方に転居が済んだ旨の通知をもらった。夫婦だけの生活で、仕事の方も整理をして、第二の人生を始めた様子である。ランディングは、サラリーマンとは違い、企業の経営者であったため、定年退職への踏切りは自らの判断による。組織に所属していれば、規定等で、定年は入社時から決まっているため、踏ん切りがつきやすい。しかし、定年後も嘱託として、継続雇用が一般的になりつつあり、悠々自適な年金生活とは縁遠いようである。
人生は寿命が決まっているようで、人によって違う。定年はあるが、一生が決まらないので、リタイアする時期は正確に決められないものである。リタイアする時期が早ければ、その分、第二の人生は長くなる。基準はやはり平均寿命であり、それを目標とするが、実際には、勘違いしている部分もある。平均寿命は、今年生まれた新生児が、今の医療水準や生活環境が継続すれば、あと○○年を生きる可能性があるということで、自分は昭和20年代に生まれたため、その時点の平均寿命は確か50歳ぐらいだと思う。
新生児が80歳の平均寿命があるのは良いにしても、昭和の時代に生まれた者が80歳を平均寿命とするのはどう考えても無理がある。しかしながら、長寿の方もおられるので、あやかりたいと願うのは誰しも共通である。健康食品が売られ、スポーツが盛んとなり、自助の意識の高揚は、国民生活を豊かにするわけで、健康で長寿が良いことは異論を生じる余地はない。
第二の人生をどのように生きるかは、ランディング期間が長い方が良いし、選択範囲が広まる。第二の人生は人として生命を授かり、20年にも及ぶ教育期間を経て社会人となり、40年近い勤労生活後に得ることができる自由時間である。束縛がなく、思い通りに生きることが可能である。その期間の過ごし方で一生涯を決めるフェーズともいえよう。
悔いのない生き方で過ごしてほしいと願っている。
同僚は連日各地を車で散策する旅生活を続けている。今は伊勢参りを済ませ熊野の方を発していることであろう。ひと月前は東北、北海道の旅であった。2年前に亡くなった奥様の菩提をともらってのことらしいが、体力・気力の賜物と思っている。近々にお会いすることにしているが、土産話で盛り上がること間違いなしである。
登戸駅は南武線と小田急線が交差する駅で、生活圏内ではよく利用する駅である。新宿を経由する場合や代々木上原から千代田線に乗り換える場合など都心へ出る場合もよく利用する。都心へは南武線で溝口では田園都市線、武蔵小杉からは東横線で30分以内に都心へ通じている。登戸駅へは自宅から徒歩で15分ぐらいである。最近は健康を留意して、できるだけ自宅の最寄り駅からJRを使うより、徒歩で登戸駅まで行くことが多くなった。
最近ようやく駅前周辺の開発が進み、小ざっぱりした乗換駅となった。そう遠くない時期に、ドラえもんの博物館ができ、地域ではその支援のためにいろいろ工夫されてきた。電車の待合に流れるドラえもんの曲は、心を慰める効果があるようである。今でもあるのかどうか確かめてはいないが、日中駅前には競輪場に向かうお客の相乗りタクシーがひしめいていたことがあったが、それも過去の出来事かもしれない。
特段駅前周辺には大型のスーパーやデパートはないが、飲食店が乱立している。ビル内にある中華料理店「鮮籃坊」はすでに5年は経っているが開店当初より利用してきた店である。社長は若く、なかなかの男前で、センスが良い。店を訪れる度に、愛想良く出迎えてくれる。料理人は本土の中国から来ているようで、なかなかの腕前である。中華料理店が数ある中、この近辺ではトップの地位と自分は思っている。
従業員の接客が良いのは当たり前の時代であるが、継続して良い印象を与えてくれるのは、社長の人柄によるものと思っている。昼食時を利用する機会は多いが、いつも満席の来店客で賑わっている。それも年齢層は関係なく、若い人から高齢者まで年代の特徴はない。
子連れの客には申し訳ないが、中華料理は子供には合わないのか滅多に見ない。その方が、余計な気遣いをしないで済む。ママ友のダべリングのトーンと喧騒は、静に食事をとるには不釣り合いと勝手に思っている。ダべリングの場所はほかにもあるので、そちらに譲られているのもラッキーである。
値段は手ごろで、味は中華街と比べても引けを取らないおいしさである。量も多く、多くのメニューがあり、時期々工夫されていて、満足度は格別である。平日の賑わいから推察すると、おそらく夜の酔客をも魅了する食域の広さを持っている。ぜひ一度ご利用され、確かめられるとよいと思う。