鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 観光2国東半島(3回シリーズその2)

2013年11月30日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 修正鬼会に登場する荒鬼は神仏の化身であり、祖先が姿を変えた霊(言霊)とされています。現在では隔年交代で成仏寺と岩戸寺で行われ、豊後高田市の天念寺では毎年行われています。

 修正鬼会という全国的でも珍しく、この時期にはふさわしい祭事である反面、最近では、観光行事となり、地元の居住者よりも観光客や、カメラマンなどが多く、見物に訪れるようになり、前年の厄を落とし、新年を迎える本来の素朴な神仏との交流の場とは異なる側面もあるのですが、過疎の村落はますます過疎となり、檀家が減り、廃寺が増え、出張僧侶も見られ、徐々に祭事の継続を危ぶむ声も聞こえるようになりました。観光化することには依存ありませんが、唯珍しいだけで過ぎてしまう虚しさを感じ、歴史や風俗、習慣がなぜ行われてきたかの背景まで踏み込んだ考察が必要であると想いました。たぶん、伝統の継承には、子供の頃からのすり込みが繰り返されることによって定着する長い時間が関与しているようです。

 神と仏とが複雑に絡み合う独特の文化が西国の国東で発展し、年中行事として現在まで引き継がれてきたことや、寒中の屋外では氷点下のこの時期に徹夜で行われている祭事であることに驚くとともに、いにしえの風習に想いを馳せることができたことを思い出した次第です。】

 定期観光バスによるツアーがあり、毎日運行している。大分駅→別府北浜→宇佐駅前→
宇佐神宮→富貴寺→真木大堂→熊野磨崖仏→両子寺→大分空港→別府北浜→大分駅がコースである。予約・問い合わせは大分交通(097-534-7455)へ。(次回へ続きます)

大分雑感 観光2国東半島(3回シリーズその1)

2013年11月29日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 観光スポットとして国東(くにさき)半島は注目されてきた場所である。両子山(ふたごさん)を中心に、古くは六郷満山と呼ばれ、仏の里として脚光を浴びるようになった。
既にこのブログで修生鬼会(しゅじょうおにえ)のことを題材に採り入れたことがある。
ご覧になれなかった方のために再掲する。

【大分県国東市は大分空港から車で30分のところにある国東半島の東に位置しています。
古くからこの一帯は六郷満山と呼ばれ、仏の里として観光地になっています。六郷とは、来縄(くなわ)、田染(たしぶ)、国東、武蔵、安岐、伊美地区のことで、天台宗の拠点が置かれ、本山(学問の地)、中山(修行の地)、末山、(布教の地)の3拠点に分かれています。

 今回ご紹介する岩戸寺は28寺のうちの一寺で、すべての寺は1200年前に宇佐八幡神の仁門菩薩によって開基されたと言われています。旧暦の正月7日に行われている修正鬼会は、大晦日の夜に悪鬼を払う宮中行事である追な式が変化した鬼祭りと火祭り、正月行事である修正会とが合体したといわれる祭事です。儀式は、日没とともに、介添え役の青年が滝壺の水で清めた後、4本のたいまつを点火し、境内講堂に続く参道に立て、講堂での僧侶の読経開始後、下駄を履いた僧侶2名による香水の舞、荒鬼を招く鈴鬼の舞が行われます。

 既にここまでで6時間は過ぎたのでしょうか、読経は続いていますので、僧侶も眠くなるようで、地域の氏子から竹にさして焼いた芥子餅が僧侶にまず振る舞われます。氏子の話では、芥子餅を食べて僧侶が眠るのを防ぐとのことでした。その後、参列した全員に芥子餅が振る舞われます。冷え切った身体に、焼きたてで、芥子で真っ赤に塗られた餅は体を温めてくれます。ようやく最大のイベントである、若い僧侶が全身を荒縄で縛り付け、鬼の形相の仮面を付けた荒鬼の登場です。仮面には角がありません。家内安全、五穀豊穣、無病息災を祈願し、僧侶が扮した赤鬼(愛染明王の化身)の災払(さいばら)鬼と、黒鬼(不動明王の化身)の鎮(しずめ)鬼の2体がたいまつを持って境内を所狭しと、大声を立てながら、暴れ回ります。その後、午前0時を過ぎると、早朝まで境内から出て地区の家々をお祓いに回ります。(次回へ続きます)

大分雑感 瓜生島伝説

2013年11月28日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 瓜生(うりゅう)島とは別府湾で起こった慶長年間の地震で久光島と共に海底へ沈んだといわれている島である。伝説といったのは実在する古い地図からいわれていることで、根も葉もないことではないらしい。人口は5000人強で、1000世帯居住していて、周囲100キロメートル、陸地側から500メートルの所にあったようである。一夜にして沈んでしまったということは、アトランティス大陸と同じである。地震が引き起こす被害は津波だけではなく、陸地の陥没や隆起がある。2年半前に起きた東日本大震災でも漁港の防波堤が沈む被害が多くあったという。大きな島が水没することは珍しいともいえる。

 後世の調査では深度7に相当する地震であったという。科学技術を駆使した今後の海底調査を待って、はっきりした確証が得られることを期待したい。地図ばかりではなく、瓜生島という名称は地震後移築された瓜生神社があるとのことでそこからの名称のようである。

 丁度、高崎山も裾野が海岸と接するあたりで、仏崎という難所があり、交通事故が多発した場所でもある。仏崎の交通事故が多い理由に、水没した瓜生島の死者の怨念が怨霊となって、海に引き込むということがまことしやかに語られていた。実際にも供養塔があるが、片側が海であるため、大分から別府方面へ走る車は高崎山によって光が遮られ暗く感じるが、仏崎付近では、視界が一瞬であるが開けるので、ハンドルを切りそこね、反対車線の車とぶつかるのが理由であろう。夜間は街路灯もなく暗い場所であった。海岸から急に深度が深くなっていて、古くから仏崎は飛び降り自殺の名所でもあった。想像の域を出ないが、女郎等の飛び降り自殺が考えられる。

 仏崎から大分市内に入る場所は「かんたん」(蓮の花の意味)現在の地名は生石港町で、古くからの港町で、船員相手の遊郭や女郎屋が軒を連ねていたところである。現在は大分と神戸を結ぶダイヤモンドフェリーの出航・着港場所となっている。売春防止法によって禁止されたため、楼閣の姿は消えたが、現在でも、二階には立派な欄干を持つ妓楼建築の名残を見ることが出来る。 

大分雑感 観光1(2回シリーズその2)

2013年11月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 臼杵には大日如来を中心とした石仏群が有名で、当時、大日如来は首が落下していたが、現在は修復されて、元通りになっている。何度も行く機会があった。ここで売られている生姜せんべいは、今でも手にはいると、当時のことを思い出す。金沢の柴舟も有名であるが、堅焼きせんべいと砂糖に含まれた生姜は香ばしく、好物の一つである。

 土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の荒城の月で有名な岡城趾も観光スポットである。しかし、仙台の青葉城、若しくは会津の鶴ケ城がモデルともいわれていて、統一されていない。ここで有名な土産に荒城の月と銘々した和菓子があるが、この他にチョロギ(長老木)の梅酢付けがある。正月料理の黒豆の煮物に飾られる根菜である。歯ごたえが良く、良く買って帰った。チョロギはシソ科の多年草で、塊茎のことである。中国が原産地で、江戸時代に我が国に伝わった。体温を下げる効果があるようだ。

 別府より地図上で北に当たる国道10号線を北上すると宇佐市に入り、官幣大社宇佐神宮がある。横綱双葉山を排出した県であり、境内に土俵もあり、相撲と関係が深い神社として有名である。宇佐をローマ字で書くとUSA、すなわち宇佐産の物はMade in USA でもある。大変広い敷地を持ち、天孫降臨の地とされ、はたまた卑弥呼がここで邪馬台国の祭礼を行ったともいわれているが、確証があるわけではない。一度は訪れておいた方がよい神社といえる。

 当時の記憶で不正確な点もあると思うが、観光地は人を寄せ付ける景勝地や温泉地、パワースッポト等、非日常を体験でき、感動を与えられないとリピーターを呼び込むことは難しい。湯布院がその成功例ともいえる。

 オリエント急行が手本となった思われるJR九州は、福岡を出発し九州7県を回る特別寝台列車(クルーズトレイン)七つ星を運行したとのニュースを先月聞いた。専用バスが下車駅から目的地への移動手段として運行している。九州の観光地を結び付け、高級な応接を武器に、人に感動を与える良い例であろう。是非とも成功することを期待したい。(このシリーズ最終回です)

大分雑感 観光1(2回シリーズその1)

2013年11月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 大分県は多くの観光地を有していて、観光客も多い。古くから温泉地として別府は有名であるが、別府の温泉街を浴衣姿で回る観光客は少なくなったようであり、一時のにぎわいは影を潜めている。午後7時ともなると歓楽街である流川などはシャッターが閉まっている店舗が多い。湯治客が多かった鉄輪(かんなわ)もひっそりとしている。旅館では一番大きかった杉の井ホテルや近くにある楽天地も同様で、集客には努力していても全盛時代とは違って見える。

 海岸線にはマリンパレスの水族館があり、山手は高崎山で、野生の猿が餌付けされている。猿の 集団が三つあり、それぞれにボスザルがいて、最近ボスザルが行方不明になったがまた戻ったとの新聞報道があった。ここから更に南下すると大分市内にはいる。往時は別府と大分間に路面電車が走っていたが線路は撤去されている。

 最近、脚光が浴びている湯布院は、当時とは違って人気が高いスポットとなっている。
金隣湖、銀隣湖の二つの湖畔には多くの宿泊設備があり、由布岳を望める温泉地でもある。在職当時には、勤労青少年福祉施設として中野サンプラザと同じ組織が運営していた「湯布院ハイツ」があったところである。現在では湯布院を管轄する市町村に売却され、運営主体も変わったと思われる。

 初代館長であったE氏とは関係が深く、九州地区で毎年行われていた組合主催の職業訓練研究集会の会場として、お世話役であった筆者は、準備のために前日から泊まり、集会が終わった後も何度となく訪ねていた。人望の厚い方であり、施設の職員に対して接客することの困難さを聴いた。職員の殆どは施設の近くに居住しているが、開館当初急遽、募集したこともあり、従業員教育の大切さを語ってくれた。調理場を預かる調理人は一匹狼の渡り職人が多く、仲居と一緒になり、行方知れずとなる者が多発し、館長のいうことを素直に聴く者は少なかったようである。その後、最近まで健在であったが自宅が福岡にあり、ご家族から喪中の葉書をいただき、他界されたことを知った。(次回へ続きます)

大分雑感 魚釣り(2回シリーズその2)

2013年11月25日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 豊後水道の潮の流れが速く、今では、そこで釣れる関アジや関サバはブランド化して高級魚となっている。ブランド化したのはよいが、その管理は偽ブランド品との戦いである。
 出荷するまではタグをつけるなどしているが、調理をしてしまえば判らなくなる。刺身となっても盛り皿にも更にバーコードを置くなど、消費者に捕獲した場所やどこの市場を経由したかの情報が判るようになっているそうである。捕獲場所が豊後水道ならば、対岸の四国の漁師が捕っても同じとは申せ、やはり元祖を争うような所もあるようだ。産地偽装や魚種偽装等の食品表示疑惑は何時の世も取り締まりに困難極まる厄介な出来事である。

 当時M指導員が知り合いの漁師の舟に乗って、関アジを釣りに行ったことがあった。潮流が激しいため、鉄製の重りに20センチ刻みに小粒の重り(ビシ)が付いた幹糸を使った手釣りである。餌は生きたサイマキエビで大物が釣れる。船頭である漁師は必ずといって良いくらいに釣り上げていたが、魚が釣れて糸が高速で手元から急に出ると指を火傷するので、ゴムの指当てを付ける。そのためか糸の感覚は指に殆ど伝わらず、一回糸を流すと巻き上げ、元の場所に戻ってその動作を繰り返す。何度と無く流したが自分はボウズであった。潮流のせいで重り(ビシ)を付けた幹糸が円弧状に流されるため、感覚が消えてしまう。素人が直ぐに釣れることはなく、やはり勘やこつが必要な釣りであることが判った。

 秋から冬の時期は太刀魚釣りに人気が高い。英語でスオードフィッシュ、将に銀色に輝く刀魚である。餌にサバの切り身を使い、これも手釣りである。ずっしりと重い太刀魚が掛かると結構暴れる。船上には噛まれることを防ぐため鉄製のはさみを用意して噛まれないようにしているが、しっかり頭を捕まえないと指や腕を噛まれることがある。高校生の時に保健所の狂犬予防の注射を手伝うアルバイトをしていた。特に口先が長いシェパードなどの耳を前から両手で押さえて頭部を固定するが、口先が長いため、犬が頭を左右に振り、良く両腕を噛まれたことがあった。太刀魚も同様で乾いたタオルで頭部をしっかり押さえないと腕を噛まれる。舟釣りの後、釣り人が海面に手を付けていたら太刀魚に噛まれ、鋭い歯で指を食いちぎられたという話を聞いたことがある。
 
 最近は各地の道の駅が繁盛している。地元の食材が並び、新鮮なことと、中には出品者の顔写真までついていて、安心感を与える。国東(くにさき)市にも道の駅がある。ここに「銀たち」という海鮮食堂があり、太刀魚料理が堪能できる。お薦め品はタチウオのにぎり寿司であろう。舎利が多いのはご愛敬としても、新鮮な太刀魚のさっぱりとした食感は絶品である。店には姫島産の車エビ、ボラの刺身、国東生わかめ、時期物、近海物、地魚も販売している。新鮮な魚類が食卓に手頃の値段で供されるのは今では贅沢の世界となり、当時の生活が懐かしく思い出される。(このシリーズ最終回です)

大分雑感 魚釣り(2回シリーズその1)

2013年11月24日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 大分に在職時、庶務課長と鋳造科の職員とが海釣りに趣味を持っていたため、初心者であったが、直ぐに意気投合して海釣りに出かけた。赴任当初は、大分川の大分港に注ぐ河口付近で、スズキの幼魚であるセイゴ釣りを楽しんでいた。ゴカイを餌に重りを付けて、投げ釣りをして竿に鈴を付けておくと、暫くすると鈴が鳴りだす。ちょっと合わせると20センチぐらいの幼魚が掛かる。直ぐにバケツ一杯になり、持ち帰って、天ぷらや刺身、煮付けにしていただいた。半年ぐらい経ったときに、大分川の水質検査があり、高濃度のPCB汚染が確認され、釣りはあきらめていた。

 職員と行ったのは、臼杵から連絡船で四国(宇和島)へ行き、渡船を頼んで岩礁に渡り、本格的な浮き釣りを行っていた。地元では爆弾仕掛けといっていて、釣り針の付いた小エビを撒き餌で包み、団子状にした餌を投げ入れる。魚種は豊富で、ウマヅラハギ、メジナ、黒鯛、石鯛幼魚、石垣鯛等で、持ち帰って刺身三昧であった。鋳造科のM指導員は大物ねらいで、石鯛仕掛け、サザエを餌に、遠方への投げ釣りであった。何度かご一緒したが、石鯛を釣れたことはなかったが、それ以前には数匹釣り上げたといっていた。

 このときまで、石鯛の大きな竿と、仕掛けを見たことがなかったのであるが、数年後に君津の指導員仲間と房総半島の先端の地磯で度々石鯛釣りを行った。餌にアワビやトコブシ、サザエを使い、撒き餌にウニ殻を撒いて釣る豪快な海釣りである。何から何まで大きな道具が必要で、その割には成果がほとんど無い。クエ釣りと同様に釣り仲間では幻の釣りといわれているが、釣りロマンをかき立てる。

 釣れないからまた行きたくなり、今度こそは釣ってみせるという思いがロマンなのであろうか。岩礁に登り、波のうねりとしぶきを浴びながらの釣りは危険でもある。自分も何度か道具一式を波にさらわれた経験がある。以後、ピトンを岩に打ち込み、竿を固定することを忘れなかった。釣れたときは3人がかりで大物を引き上げたこともあった。石鯛は大物になるとクチジロと呼ばれ、石鯛縞はなくなり、磯釣りの王様と呼ばれる風貌になる。
 鬼ヤドカリを餌にすることもあり、大きなヤドカリを一飲みにするのであるからすごい魚である。(次回へ続きます)