人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第5章  建国の日の願い

2021-01-11 20:23:07 | 随筆
 新しい年に変わり、世界中お祝いムードになる筈でしたが、ウイルスコロナの蔓延で暗い年の夜明けとなってしまいました。それだけのせいではありません。各国の首脳の施政に国民は幸福感を感じているとは限りません。普通なら新しい大統領を選んで民主主義が復活すると期待していたアメリカは、トランプ現大統領の奇行とも言える行動で困っています。又、新コロナウイルス問題や石油問題でヨーロッパでも平穏無事とは言えません。

 我が国の状態も内閣の支持率の下落が代表するように、コロナの対策ではダッチロールしていると考えざるを得ません。世論は首都圏の緊急事態宣言を遅かったと思っていますし、肝心の医師会や多くの病院の迷惑はこの上ありません。

 一体全体、国民の意思を代表している国会は何も力がないのでしょうか。そもそも現在の政権は前首相から一党独裁(どこかで聞いたことがありませんか)路線をたどっています。裸の王様然としていた首相は恩師に幼いと言われました。その後継者を選ぶ時も不当な党の力で、同じ路線の人を取り巻き数人で強引に進めたのです。

 党は昔は何でも意見が言える党といわれていました。しかし現在は、批判的な意見を言う人をつまはじきしています。自由に意見の言える会議こそ、国民が小学校から学んで来ていることです。それが国民の選んだ議員は、派閥からもらうお金に縛られ長いものに巻かれろ式な支持者に恥ずかしい行動をしています。議員というトラの皮を利用して花見をしたり、自分の子供を会社のいい場所に付けたりするのが議員の特権と思っている腐った政治家になったとは言えないでしょうか。そしてそれを是正しようとする正当な議員を派閥の力でシカトする、そういう国でいいのでしょうか。だから学校のいじめも解消しないのではないでしょうか。日本は礼儀が正しいとか、おもてなしがやさしいとかの評判がありましたが、国のトップを占める国会、内閣などがこんなレベルでは、早晩日本も地に落ちてしまいます。まっとうな議論で、国民の納得するよい指針を進めて頂きたいものです。

 私利私欲が基礎になってしがらみやえこひいきでコロナ作戦を進めてきたとは言えないでしょうか。国民は毎日報道される罹患数をあれよあれよと眺めています。3蜜のお願いをしてもどこ吹く風と感じる若者がいるのでしょうか。一度ゆるめた縄は、元に戻すのは長い時間を要するでしょう。成人式に出席した新成人は、自覚をもって行動したいと言います。それまで生きたことに幸せを感じ健気にそう思うのでしょう。その初心が、社会生活で汚れないことを望みます。権力に負けて、正義が失われるのは悪が力を伸ばすことにならないでしょうか。そういう社会をまっとうな国民は望まないし、老人は、戦争時代の復活?と懸念するのです。



人は考える葦である  第6章   麥飯と とろろ

2020-12-26 15:46:36 | 随筆
 この施設では、クリスマスに楽しいイベントがあったそうですが、今年はコロナ予防のため、職員の熱演ハンドベルのコンサートになりました。そのあと、力のこもったクリスマスランチが出、それに対してアンケートを求められました。私は来て間もない新米ですが、感じたことが沢山あるので書かせて頂きました。

 最初に、今日使ったエネルギーの半分でも日常の食事に払って欲しいということです。入室者でも、普段利用している人はごくわずかです。しかしこのようなイベントとなると利用者は増えます。しかしそのうちの何人がアンケートに答えるでしょう。無記名とはいっても数少ないことは予想されますが、代価を払っていることでもありますから出させて頂きました。前回書いたようにワンパターンのローテーションというあまり喜びを感じないメニューにもう一工夫が欲しいと思ったのです。
 
 小鉢やデザートなどで品数はあっても、内容は必ずしも栄養を満たしているかどうか疑問も湧いてきます。もちろん毎回ではなく満足できることもあります。又数の不足のため代替品が出ることがありますが、これは栄養的にもってのほかと言わざるを得ません。予約なしの予想数調理なので、フードロスは考えられますが、逆に欠品というのはどうかと不快になります。

 大体は、代替品ですみませんと言われることもありますが、何も言われずに置いて行かれることもあります。私が夫と同じメニューを頼んだ時、同じものを受け取りましたが、何も言われません。しかし、メニューは麦ごはんとトロロだった筈がトロロはなくて納豆になっていました。たまたま通りかかった係の人にその旨を言ったら、メニューが変わりましたというのです。麦にトロロは戦中のご馳走だった思い出のご飯ですので、私のお気に入りでした。いつも量が少なく残念な思いで食べていたのに、納豆とはがっかりといった気がします。

 ところが、納豆を食べ始めた時に、上司がとろろの小鉢を持ってきて下さったのでした。えつ
ダブルでいいのですかと思わず言ってしまいました。このトロロは、誰のためにとってあったのでしょうか。そして納豆に変わりましたといった係の人は、自分の判断ではなく、コックさんとの打ち合わせではなかったのでしょうか。うれしいやらほろにがいやらの食事でした。

 ワンパターンのローテーションだと栄養士は栄養の計算の手数から逃れられます。コックさんも作る手数を簡単に済ませられます。しかし、一旦栄養のことを考えると、実の少ないお澄まし、缶詰のフルーツ、盛り付けの少ない一品など見ると栄養が満たされているのかと心配になります。見た目を重視して旅館のご馳走をイメージするのでしょうが、そういう時は、品数は多くいると思うし、大盛りの時は、老人向けの量(おでん、スパゲティ)に配慮して欲しいと思いますが、若い方々にはご理解いただけないかも知れません。栄養の無視は、体づくりにも影響する老若男女すべての問題と考えます。






人は考える葦である 第6章  地上の楽園

2020-12-17 20:56:17 | 随筆
 私が逃げ込んだ施設は生活支援付きマンションでした。でも入居の時は自立していることが大事な条件です。しかし、入居したその日から生活支援に対する高額な費用を支払うことも条件となっています。介護が主となる施設は、それなりの生活のできる部屋が準備されていますが、マンションは、しっかりしたマンションの形態ですから、家賃も高額ですし、自室のほかの利用施設にも恵まれています。

 ところが私の最も期待した食事の内容は、今迄経験した病院の食事に比べると、価格では高額にも関わらず、それに似あったものでないことに落胆させられました。誰もが複数の施設を経験できるわけでないので、同じような老人向け施設の食事を知る由もありません。もちろん調理している人の費用も含まれますが、それが、生活支援をしている方々全体を含むように考えられます。

 食堂に行くと、杖をつく人、押し車を押してくる人、車いすで運んでもらう人が目立ちました。元気な方もいらっしゃいますが、お部屋に膳を運んでもらう人もいます。私は自立しているので、その方々よりは、係の方の手は煩わしませんが、多くの元気な方は食堂を使わず自炊をなさっているようです。自炊をするしないで大きな負担の違いがあります。

 食堂の入り口にあるロビーでくつろいでいると、人の動きが多いことに気が付きます。車を押して歩いている人が、お迎えの人の車で出かけます。デイサービスか病院などでしょうか。元気な人は近隣を巡回するマンションのバスで出かけます。週二回は遠くのショッピングセンターに行けるので、自炊している人の良い足になっているようですが人数に制限があり、早々と申し込まないと行けません。

 その他掃除をする人、看護師さんの動きもあります。ほんとに世話を受けている人が多いのだと感じますが、その方々は、入居の時は自立していたのだろうか、いつからあのようなお世話を受けているのだろうかと思わせられます。ご夫婦で食事し、どちらかが認知症なのかと感じる人もいます。一人で認知症の方は特別食を調理してもらっているようです。看護師さんはまだ利用しないのでわかりませんが家に訪問して仕事をしているようです。

 いろいろサービスがあるようなのですが、コロナの影響か、集まって楽しむ事は殆どなくなって、実際にあるのは日曜の映画、簡単な運動タイム、温泉水の浴場、送迎バスぐらいです。この時期に入ったのが、たまたま世の沢山の方々のコロナによる不運との遭遇同様に諦めることなのかもしれません。突然の降雪でも、雪かきの心配はないし、外出の制約で家にいることが多い生活だと知人との交流も途絶えて感染の予防にもなります。もちろん、食堂でも友達はできませんし黙々と食べているような状態です。

 さて食事ですが、入って間もなく、すぐ飽きてしまったので、食事の統計を取ってみました。初めに感じたのは、魚の切り身が、調理を変えて何回も出てくることでした。肉は鶏肉が多く牛肉はないに近い位です。ごはんは常に白いご飯で、炊き込みや混ぜご飯など、手間がかかるせいか頂けません。麦ごはんととろろが昔懐かしいメニューです。だから炒飯はとてもおいしかったです。もう2か月近くなりこれから年末年始を迎えますが、どういったメニューになるのか、あまり期待はしない方がいいのかと思います。メニューで感じるのは、調理のパターンが決まっていることです、見ただけで「あ、これはこの間も出た」というようなサンプル化していることです。サンプルを組み替えて忘れないうちに出すのは、調理の工夫ではなくサンプルのローテーションではないかと考えてしまいます。これでは、飽きるのが当たり前です。しかし、出されるものに文句を言うのは不遜だろうと言われそうにも思います。戦時中、欲しがりません勝つまではというスローガンで老いも若きも苦労した時代を思い出します。一寸の虫にも五分の魂ということもあります。作る人の苦労や働く人の手当てなど必要とは思いますが、値段にあった、新鮮な野菜を食べたい思いです。品物がなくなると冷凍と思われる同じ代替品がその度出ます。栄養のことを考えると残念です。他にも冷凍の加工品と感じることもあります。食べる側で、作る方の栄養士さんコックさんの言い分は分かりませんが、ものの言えない立場の弱さをひしひしと感じます。

 建ててから18年経っていますので、同じ栄養士さんコックさんでやっているとすればマンネリ化も視野に入ってきますし能率優先で利用者軽視ということもあるかもしれないと思います。時々一斉に交代するという例もあるのではないでしょうか。入居してからまだ少しなのですが、お互いにざっくばらんに話すことがないので、この場を借りて感想を述べました。入居者の集まりもコロナでなくなったというし、施設にとっては思い通りに進められるのではないでしょうか。




















 


人は考える葦である 第5章 アラカルト 国の行方から3か月

2020-12-10 20:58:07 | 随筆
 今年の9月、前総理の退任により次期総理を選出することに懸念する文を書きました。現在の政権は自由にものが言える党であるという理念が昔あったそうですが、いつの間にかそうではない党に成り下がったようです。

 以前から党の考えやり方に意見、苦言を言っていた党首候補が支持者が地方に大勢いるにも拘わらず党内では支持者数を増やせずにいました。その方は、客観的に見た党内の方向をまともな方向に修正しようと努力していました。評論家のいうことも、国民の考えもその考えに賛同していました。ところが、その候補者に票が行くのを意図的に阻止し国民から見ると姑息な方法で次期総理を決めました。

 当選した新総理はまるで自分の力で選ばれたと勘違いし、私のような政治歴でも総理になれるのだと挨拶しました。周りの側近が機械的に操作して対立候補が当選するのを見え見えの方法で阻止したにもかかわらずです。つまり正義や道義は考慮にいれず、党議党略に沿って党員を動かしたのです。

 その結果、大臣の不祥事での退任やコロナ対策についての専門分野との意思疎通、学術会議のことでは俯瞰して決めたというパロディにまで使われる言葉で返答したり鋭い政治手腕とは考えにくい状態です。

 官房長官の時代は長いこと木を鼻で括るような答えをしたというふうに言われています。またこともあろうに同じ考えの人にはいいけれど、自分と意見が違うとわかると冷遇するという今迄上に立つ人にない怖い面を持っているということを知りました。

 このように、党利に有利に作られた人事は、ここまで地に落ちてしまいます。世にいじめが跋扈していますが、学校、職場あらゆるところにハラスメントが絶えません。人は生まれながらに悪い考えを持っていません。世の犯罪を考える知恵は持っていません。教育では、道徳で倫理観を育てます。それで正義は何故育たないのでしょうか。戦争の悪夢を忘れない年代が、このような価値観の人が増えていくことをどう思っているでしょうか。前総理の恩師が教え子の前総理に送った手紙に私は同感感激しました。しかしその前総理の路線を継ぐとはっきり言われると国民は希望が持てるでしょうか。みなさんはどうお考えになりますか?国の行方は必ずしもクリーンなデモクラシーは望めないのではないでしょうか。













人は考える葦であるー第5章   世界の願い

2020-11-29 13:30:58 | 随筆
 今世界は新コロナウイルスのお陰で大勢の人が罹患し、予防の不自由な生活を強いられ、経済効果をあげるために沢山の人の消費を推進する旅行や食事の政策が行われています。表はそういう流れで、裏ではたくさんのコロナ退職者が出たり、老舗や店舗が廃業したり、自殺者が増えるというマイナスの現象が増えています。コロナ医療従事者も疲労で限界状態に入っていて、この増加がますます悪化の原因になっているとおもわれます。一方、夜景の光景は変わらず、ネオンやイルミネーション、ライトアップなど景気の低下を感じさせません。

 世界の国の状態は、一国の自国ファーストのため迷惑している国があったり、自国の繁栄を広げるためにじわじわと侵略の手をのばしている国がある一方、内乱をしている国も報道されています。こんな時にSDGsという17の目標が世界の代表によって提案なされたそうです。これは大きく17の基礎項目と細部に亘る内容によるそうですが、今迄考えられてきているのとあまり違いは感じられないほど当たり前のように見えます。

 例えば「1は貧困をなくそう」-これを日本は後進国に対して長年援助してきているのではないでしょうか。後進国の病気に効く薬を発明したり、昨年亡くなった中村さんは、医学を利用して病気を治療するだけでなく、きれいな水を出す工事やその他地元民の救済をやっています。「2は飢餓を0に」だそうですが、砂漠を農場にすることもやっているのでしょうが、焼け石に水なのでしょう。国は、政治が行われる体制が必要ですが、遅れている国は名のように後進がスムースに改善しないのでしょうか。「3はすべての人に健康と福祉を」だそうですが、やはり世界には保障の程度が高いところと低いところがあることは否めません。「4は質の高い教育をみんなに」ですが、日本の受験戦争を上回るような国や、女子にも教育をと言っている国、教科書もない国など様々です。日本で働き財産を積んで学校を作る人もいます。国の手が遅れているのでしょう。「5はジェンダー平等を」です。これは、これまでと違って、日本は先進国の中の下位を占めているという項目です。日本は長いこと男尊女卑という意識が強化されていたので、戦後憲法が改正されても遅れています。世代が交代して新憲法世代が多くなっているのに進歩がないのは何故でしょうか。

 「6は安全な水とトイレを世界中に」です。これも世界の格差は大きく、水をたくさん使える国と水資源に苦労している国とも違うでしょう。「7はエネルギーをみんなにそしてクリーンに」です。エネルギーの技術も進歩が激しいのですが、最近になって公害問題が大きく考慮されてきたからだと思います。文化の進歩の進んだ国と遅れている国との差もあるのでしょう。「8は働き甲斐も経済成長も」です。日本は少子高齢化のため働き手を必要としている企業は、外国から研修員と称して仕事に従事させています。しかしこれもたくさんのお金をかけて来日した人が祖国のために役に立つ人はどれだけかというと疑問があるようです。先進国の技術を身に着けようと夢を抱いた人が、悲しい結果になることも聞いています。「9は産業と技術革新の基礎を作ろう」です。これは先進国と途上国とは大きな格差があることと思います。先進国のなかには、軍備の進歩に力を入れて来ている国があります。宇宙まで征服することを考えていると思われます。しかし世界戦争が起きても後進国は何のことかとおどおどするばかりではないでしょうか。今やAIの知能を使うところまで行っているのにこれも競争の範囲になっています。次の「10人や国の不平等をなくそう」というのにリンクしますが、それは不可能ではないかと思われます。ノーベル賞でも駆け引きが大きい今、科学は各国に知識を平等に知らせるということは難しいと考えます。

 「16平和と公正をすべての人に」がありますが、これが実現する世界はすばらしいと現状を見て思います。国のトップの考え方によって大きく変わる現代、平和は万人の考えですから実現することを祈ってこの文を終わります。興味のある方は、11から17まで調べて見てください。